第24話「全員の前で、堂々と」
「僕は、このセリーヌ・ヴァルモア嬢の、世界で一番のファンです!」
満月の下王太子の声が、高らかに広場じゅうに響き渡った。
時が止まった。何百人もの貴族がぽかんと口を開けて、固まっている。楽団の手も、止まった。わたしも、止まった。脳が理解を拒否している。
「殿下、あなた、今何を」
「事実を、述べているだけです」
リオネルは晴れやかな顔で懐から——出した。革表紙の、分厚い手帳を。一冊。二冊。三冊。次々と。最後には、従者が台車で残りを運んできた。
「これが、僕の三年間の、観察記録です。全七巻。いえ、先日、八巻目に入りました」
「台車を出すな! しまえ! 全部しまえ!」
わたしの絶叫も、虚しく。リオネルは、一巻目をおもむろに開いた。
「読み上げます。『初雪の章』より。──ある冬の慈善市にて。セリーヌ嬢は寄付の蜂蜜酒に水が混ぜられた詐欺を、たった一口で見抜き、孤児院の取り分を守った。悪を見過ごせぬ、その舌と心。尊い』」
広場がざわついた。「えあの詐欺を暴いたのヴァルモア様……?」「孤児院を、救った?」
「続けます。『春の交流茶会にて。給仕の淹れた紅茶が渋くとも、誰も困らせまいと黙って飲み干す。気高き、気遣い』。──皆さん、ご存じですか。彼女はいつもいちばん弱い立場の者を、誰にも気づかれぬよう、そっと守っているのです」
「まだ、あります。『夏の園遊会にて。日傘を持たぬ侍女に、そっと自分の日傘を渡し、自分は木陰へ。誰にも見られていないと思っている。尊い』。『初秋の図書館にて。難しい本に唸る下級生へ、通りすがりに正しい頁をめくってやり、照れ隠しにふんと鼻を鳴らす。その、ふん、が尊い』」
「『ふん』まで記録するな!」
広場のあちこちから、くすくすと笑いが漏れはじめた。断罪の緊張で張り詰めていた空気が、王太子の暴走によってじわじわとほどけていく。
わたしは、両手で顔を覆った。羞恥で消え入りたい。これは断罪より、よほど重い刑罰だ。公開処刑ならぬ、公開賛美。死ぬ。羞恥で死ぬ。
「殿下。お願いですから、やめてください。わたしを推すのは、やめてください!」
「無理です」
即答だった。一片の迷いもない。
「だって、本当のことなので。皆さんが『悪役令嬢』と呼んで遠ざけてきた人は、本当は、こんなにも——尊いんです。それを知ってほしい。今夜、ここで、全員に」
貴族たちが顔を見合わせている。今まで信じてきた『悪役令嬢』像が王太子の熱弁と突きつけられた捏造の証拠の前で、ぐらぐらと揺らいでいく。
無理もない。片や金で証人を買い、書面を偽造した侯爵家。片や、王太子が三年も観察日記をつけて崇めるほどの令嬢。どちらが『悪役』か。証拠と熱弁を並べて差し出されれば、答えはもうひとつしかない。
『悪役令嬢』という半年かけて染みついたレッテルが、たった一夜の推し語りで塗り替えられていく。皮肉な話だ。あれだけ自分で『悪名』を欲しがって、手に入らなかったのに。手放したくなくなった今になって、向こうから勝手に剥がれ落ちていく。
ロザムンドがたまらず声をあげた。
「で、殿下! 惑わされてはなりません! その女は、特待生を陥れた——」
「アシュフィールド嬢」
リオネルの声がすっと温度を下げた。推し全開の顔のまま、目だけが笑っていない。
「その特待生を脅し、証人を金で買い書面を偽造させたのがどこの家か。──ここで申し上げても、よろしいですか? 証拠は、すべて揃っているのですが」
ロザムンドが、息を呑んで後ずさった。扇を握る手が震えている。もう、何も言い返せない。勝ち誇っていた笑みは、跡形もなく消えていた。
彼女の背後で何人かの貴族が、そっと距離を取りはじめた。沈む船から逃げ出す鼠のように。後ろ盾がいるとはいえ、表向きはアシュフィールド家が捏造の実行犯。この空気のなかで彼女に味方しようという物好きは、もうどこにもいない。
審査官たちが慌てて額を寄せ合う。やがて中央の一人が苦渋の表情で告げた。
「……新たな証拠の提出を受理する。本件の処分は、保留とし再調査の上、改めて審議する。ヴァルモア公爵令嬢の身柄は、ひとまず、解放とする」
わっ、と広場が沸いた。
断罪が覆った。半年追いかけて今夜こそ叶うはずだった、あの断罪が。リオネルの推し全開の暴走によって、木っ端みじんに吹き飛ばされた。
わたしはへなへなと、その場に座り込みそうになる。助かった。家も、わたしも。けれどその代償が——羞恥の、公開賛美。複雑すぎる。
人垣の向こうでジゼルが親指を立てて、にやにやしている。その隣でノアがほっとしたように肩の力を抜いていた。あの子たちの徹夜がようやく報われる。集めた証拠がちゃんと生きた。
そして、ミラ。彼女は両手を口に当てて、ぼろぼろと泣いていた。自分のために罪をかぶってくれた令嬢が、衆人の前で断罪ではなく賛美を浴びている。その光景に、何かがこみ上げてしまったのだろう。──大丈夫。あなたの未来は、守られた。わたしの、ね。
「セリーヌ嬢」
リオネルが手帳を抱えたまま、満面の笑みでこちらを見た。
「今夜のあなたも、最高に、尊かったです」
「……一生分、推されました。もう、お腹いっぱいです」
憎まれ口を叩きながら、わたしの胸は変に高鳴っていた。
全員の前で堂々と。誰に隠すでもなく誰に恥じるでもなく、この人はわたしを『尊い』と言い切った。完璧な王太子の仮面をかなぐり捨て、ただのリオネルとして。──たぶんそれは彼にできる最大の、命がけの推し活だった。自分の立場を未来を丸ごと賭けた。
ずるい。やっぱりこの人は、どこまでもずるい。
月の光の下、彼は、まだ嬉しそうに手帳へ何か書き足している。たぶん、今この瞬間のわたしの、毒気を抜かれた顔も、しっかり『尊い』の一語で記録されているのだろう。やれやれ、だ。一生分どころか、十生分は、推された気がする。それでも、不思議と悪い気はしなかった。むしろ——ほんの少しだけ、誇らしかった。こんなにもまっすぐに、誰かに想われることが。
満月が二人を青白く照らしている。
助かった。ひとまずは。けれど、こんな派手な筋書き破りに、代償がないはずもなかった。喝采の渦の片隅で、わたしの胸には、もうひとつの不安がちらつきはじめていた。
次話:「覆したぶんの、代償」




