第22話「満月が満ちる、断罪の夜」
王宮前の大広場は、光の海だった。
無数の燭台と篝火。着飾った貴族たち。楽団の調べ。建国を祝う夜は、まばゆくてめまいがするほど華やかだ。空には、まんまるな満月。雲ひとつなく、青白い光を広場いっぱいに注いでいる。満ちた月の下で、人々は笑い踊り杯を交わす。
その光景は、美しかった。残酷なくらいに。これから一人の令嬢が裁かれる夜だというのに、世界はこんなにも機嫌よく輝いている。満月は何も知らない顔で、わたしの頭上に煌々と懸かっていた。
前世で満月は『不吉の象徴』だと、何かで読んだ気がする。獣が変わり、人が狂う夜。今夜のわたしにはその古い言い伝えが妙にしっくりきた。何かが変わる夜。誰かが運命を踏み外す夜。
その華やぎの中央に、わたしは一人引き出された。
慣例だった。建国祭の夜はその年の卒業生に関わる重大な処分が、衆人の前で申し渡される。祝いの席で見せしめのように。残酷な伝統だ。今年その壇上に立たされるのは、ヴァルモア公爵令嬢セリーヌ。
ざわめきが広場を覆った。
「あれが、例の……」「特待生を陥れたとか」「公爵家も、これで終わりね」
好奇と侮蔑とわずかな同情。無数の視線が針のように刺さる。半年かけて積み上げた『美談』の名声は、もうかけらも残っていない。今のわたしは、ただの断罪を待つ悪役令嬢だ。
壇上には、審査官たち。そして王族席に、国王陛下と王太子リオネル。
リオネルは、こちらを見ていた。いつもの、ふやけた推しの顔じゃない。完璧な王太子の、静かな仮面。けれどその奥の目だけが痛いほど揺れている。今夜台本通りなら——断罪を宣告するのは、彼の役目だ。
法務官が進み出た。あの査問で立ちはだかった、滑らかな声の男。
「では、これより、ヴァルモア公爵令嬢セリーヌに対する処分を申し渡す。罪状は、特待生ミラ・ティセルへの迫害、ならびに偽証の教唆。本人も、これを認めている」
認めた。ミラを守るために自分から。あの自白が、今わたしの首を絞めている。
「さらに、ヴァルモア公爵家には、商会の不正取引の疑いがある。よって処分は令嬢の貴族籍剥奪と国外追放、ならびに——公爵家の、爵位返上に及ぶものとする」
広場がどよめいた。
家ごと。やはり、そう来た。わたし一人の追放では、済まさない。父も母も領民もまとめて、奈落へ突き落とす。これが黒幕の描いた、いちばん残酷な筋書き。
頭の中で領地の風景がちらついた。父が手塩にかけた葡萄畑。母が世話をする薔薇園。収穫祭で笑う領民たちの顔。爵位を失えばあの暮らしは、根こそぎ奪われる。わたし一人が消えるだけでは、済まない。何百人もの人生が、今夜の一言でまとめて暗転する。
そんなことさせてたまるか。半年前のわたしなら自分の出口のことしか、考えていなかった。でも今は、違う。背負っているものの重さがまるで違う。
ロザムンドが貴族の列の中で、扇の陰で笑っているのが見えた。勝ち誇った、冷たい笑み。
今だ。
わたしは、息を吸った。ジゼルとノアの集めた証拠が懐にある。これを突きつけて、告発の捏造を暴く。家を守る。今夜のために用意してきた、たったひとつの武器。
「申し上げます」
わたしは、声を張った。広場の隅々まで届くように。
「この告発は、捏造です。証人は買収され、書面は偽造されたもの。証拠が、ここに——」
「お黙りなさい」
法務官の声が被せるように響いた。
「被告人に弁明の機会はない。処分は、すでに評議で決した。見苦しい悪あがきは、おやめなさい」
そんな。発言すら、封じられる。最初から、わたしに反論させる気などないのだ。証拠を出す隙すら、与えない。よくできた、完璧な詰み。
膝が震えそうになる。ここまで来たのに。あと一歩のところで口を塞がれる。
広場の貴族たちは、固唾を呑んでわたしを見ている。誰も、助け舟は出さない。出すはずもない。ここで没落する公爵令嬢を彼らはただ祝祭の夜の余興として、眺めているだけ。
懐の証拠が、急にひどく重く感じられた。出せなければ、ただの紙切れだ。準備した武器を、抜くことすら許されない。人垣の中でジゼルとノアが、悔しげに唇を噛んでいるのが見えた。あの子たちの徹夜も、このままでは無駄になる。
だめだ。何か。何か言わないと。塞がれたこの口をこじ開けないと。
その、ときだった。
王族席で誰かが立ち上がった。
ざわめきがぴたりと止む。満月の光の下その人影はまっすぐに壇の中央へ歩み出た。
リオネルだった。
「待て」
彼の声が広場に静かに、けれど確かに響き渡った。
「その処分、王太子の名において、待ったをかける」
何百という視線が、いっせいに彼に集まる。完璧な王太子が、断罪の儀を自ら止めた。前代未聞の、異常事態。
貴族たちが、いっせいにざわめいた。『殿下が……?』『なぜ、被告人をかばうように』。国の宝たる王太子が、慣例を衆人の前で止めた。その意味を、誰もが測りかねている。
国王陛下が、王族席で片眉を上げた。けれど、止めはしない。ただ息子の出方を静かに見守っている。──いつかの陛下の言葉がよみがえる。『あの子は欲しいものを手放す術を知らずに育った』。今その言葉の意味が、嫌な形で現実になろうとしている気がした。
わたしは彼の横顔を見上げる。何をするつもりなの、と。
ここで王太子が動けば、ただでは済まない。慣例を破り、評議の決定に逆らう。それは、王家の威信に傷をつける行為だ。陛下の顔に、泥を塗ることにもなりかねない。彼の立場が危うくなる。──やめて、と叫びたかった。あなたまで巻き込まれないでと。わたし一人が断罪されれば、それで済む話なのに。
でも彼の背中は、もう止まらないと言っていた。生まれて初めて自分で選んだ道を、まっすぐに進もうとしている。
止められない。わたしには、もう、止められなかった。あの背中を見ていると、不思議と、止めたい気持ちより、信じたい気持ちのほうが勝ってしまう。どうか、無茶だけはしないで。でも、もし無茶をするのなら——その先に、わたしも、ちゃんといるから。
リオネルはちらりとわたしを見て、ほんの少しだけ笑った。いつもの、あの子どもみたいな笑みで。それは、何かとんでもないことをしでかす直前の、あの顔だった。
嫌な予感がした。とても、嫌な予感が。
次話:「破ってもいい、運命の筋書き」




