第21話「望んだ出口の、その手前で」
建国祭の朝は、街じゅうが浮き立っていた。
窓から見下ろす王都は色とりどりの旗で飾られ、広場には屋台が並び子どもたちが菓子を片手に駆け回っている。夜には王宮前の大広場で、盛大な舞踏会が開かれる。建国を祝う、一年でいちばん華やかな夜。
そしてその同じ夜に、わたしの断罪が申し渡される。
わたしは、鏡の前に立っていた。侍女が断罪の場にふさわしい——というより、断罪されるにふさわしい控えめな装いを整えてくれている。半年前のわたしなら、この朝を指折り数えて待っていただろう。やっと出口だ、と。
なのに今は、胸の奥が鉛みたいに重い。
「お嬢様。本当に、行かれるのですか」
侍女の声が震えていた。彼女は、何も知らない。わたしが自分から罪をかぶったことも、その裏に黒幕がいることも。ただ仕えてきた主人が、今夜衆人の前で裁かれる。それだけで、泣きそうな顔をしている。
「行くわ。逃げたら、それこそ、相手の思うつぼだもの」
鏡の中の自分は青ざめてはいたけれど、目だけは死んでいなかった。半年断罪から逃げ回ってきたわたしが、今は断罪と戦うために鏡の前にいる。我ながら、ずいぶん遠くまで来たものだ。
ふと父の顔が浮かんだ。今朝出がけに父はわたしの肩へそっと手を置いて、ただ一言だけ言った。『おまえは、何も恥じることはない』と。事情をどこまで察しているのかは、わからない。けれどその手のあたたかさだけで、わたしは泣きそうになった。
商会を一代で築いたあの不器用で実直な人の半生を、領民たちの暮らしをわたしの失策で潰すわけにはいかない。今夜のわたしは、自分のためだけじゃない。ヴァルモアの名を背負って、あの場に立つ。そう思い直すと震えそうだった膝に少しだけ力が戻った。
昼過ぎジゼルとノアが、こっそり部屋を訪ねてきた。
「掴んだわよ」
ジゼルが開口一番、言った。いつもの軽い口調の裏に、隠しきれない緊張がにじんでいる。
「ロザムンドが使った、あの捏造の書面。出どころを辿ったの。筆跡を真似た代筆屋、買収された証人、全部アシュフィールド家から金が流れてる。証拠も、揃えた。これを建国祭の場で出せば、告発が捏造だって、突きつけられる」
「でかしたわ、ジゼル。ノアも」
ノアが無言で、分厚い書類の束を差し出した。徹夜したのだろう。目の下に濃い隈がある。ミラのためにわたしのために、この物静かな図書係は自分の眠りを削ってくれた。
「ただ」
ノアがめずらしく、自分から口を開いた。
「アシュフィールド家の、さらに後ろにいる人物までは、辿りきれませんでした。金の流れは、ある大きな後ろ盾から来ている。けれど、その正体は、巧妙に隠されています。宮廷の、かなり上のほうの誰か、としか」
宮廷の、上のほう。
背筋が冷えた。ロザムンドは、駒だった。彼女もまた、誰かに使われている側。本当の黒幕は、まだ影の中にいる。今夜の断罪を仕組んだのは、ただヴァルモア家を潰したいだけじゃない。たぶんもっと大きな何かが動いている。
でも今夜できることは、限られている。
「いいわ。今夜は、ロザムンドの捏造を崩して、断罪を止める。それだけに集中する。後ろの大物は——今は、追わない」
追えば、深みにはまる。今夜を、まず生き延びることが先だ。
「セリーヌ」
ジゼルがめずらしく、まっすぐにわたしの目を見た。
「あんた、ほんとに変わったわね。前は、断罪されたくて、うずうずしてたのに。今は、生き延びるために、目を血走らせてる」
「……笑える話でしょう」
「ううん。いい変化だと思う。──で、その変化の原因は、どこの誰かしらね?」
にやりと笑うジゼルに、わたしは焼き菓子を投げつけてやった。彼女は器用に、それを口でキャッチした。緊張の糸がほんの少し、緩む。
「ねえ、ひとつ聞いていい?」とジゼル。「もし今夜、断罪を止められたら。あんた、そのあとどうするの。何事もなかった顔で、王太子妃に収まる気?」
「……まだ、そこまでは考えてない」
「ふうん。まあ、生き延びてから悩みなさいな。死にかけの恋心の次は、生き延びたあとの恋心、ってね」
「だから、恋心とは言ってないでしょう」
「言ってないのに即否定する。これだから」
ノアが、横で小さく噴き出した。普段はほとんど表情の動かないこの子の、めずらしい笑顔だった。こんな土壇場でも、誰かと笑える。それは半年前のわたしには、なかったものだ。一人で断罪を待つだけだった、あの頃には。
夕暮れが近づいてくる。
わたしは窓辺の紫の花をもう一度だけ見た。何度ももらった、わたしの名前の花。今夜すべてが終わるか、始まるか。
望んだ出口は、もうすぐそこにある。手を伸ばせば、届く。断罪されればわたしはこの息苦しい立場から、解放される。半年前の願いが今夜叶う。
不思議なものだ。あれほど焦がれた出口がいざ目の前に開かれると、わたしの足はすくんで動かない。
くぐった先に待っているのは、辺境の静かな暮らし。誰にも崇められず誰にも干渉されない、わたしだけの時間。半年前のわたしが夢に見た理想の未来。──でもその未来図には、ぽっかりと人ひとりぶんの空白があいている。うるさくて不器用で甘すぎる蜂蜜湯を淹れる、あの人の場所が。
なのにわたしの足は、その出口の手前で止まっていた。
くぐりたく、なかった。あの人を孤独な檻に置き去りにして、一人で外に出るなんて。
半年前のわたしには、考えられなかったことだ。誰かのためにせっかく手に入りかけた出口を、自分の手で閉じるなんて。あの頃のわたしは、自分が傷つかないことだけを考えていた。誰とも深く関わらず、何も背負わず静かに消えていくつもりだった。
でももう、無理だ。あの推し馬鹿な王太子に、ジゼルにノアにミラに。気づけばわたしの世界は、こんなにも人でいっぱいになっていた。一人で閉じるには抱えているものが増えすぎた。手放したくないものが、両手からあふれている。
それを全部置き去りにして、一人で出口の外へ出るくらいなら。いっそ、戦って派手に転んだほうがずっといい。無様でも、みっともなくても、自分で選んだ負け方のほうがきっと後悔しない。半年前のわたしが聞いたら、正気を疑うだろう。冗談じゃない、断罪は出口でしょう、と。でも、これが今の、わたしの本心だった。願いが叶う一歩手前で、わたしは、願いそのものを、書き換えてしまっていた。
「行きましょう」
わたしは、立ち上がった。出口をくぐるためじゃない。閉じるために。
次話:「満月が満ちる、断罪の夜」




