第20話「隣にいる意味を、まだ」
建国祭まであと五日。
わたしの処分が、衆人の前で申し渡される日。半年追いかけてきた断罪の夜が、もうすぐそこまで来ていた。
なのにわたしの心は、半年前とはまるで違う場所にいた。
半年前のわたしなら断罪の日が近づくほど、わくわくしていたはずだ。やっと出口だやっと自由だ、と。指折り数えて、その日を待っていた。なのに今はその日が近づくたび、胸の奥に重たい石が一つずつ沈んでいく。逃げたい、と思う。あの夜が来てしまうことから。
矛盾している。断罪されたくて仕方がなかったわたしが、今度は断罪の夜をこわがっている。
「ねえセリーヌ。あんた、最近、変よ」
寮の部屋でジゼルが焼き菓子を齧りながら、じろりとこちらを見た。
「変って、何が」
「殿下の話をするとき、塩の濃度が明らかに下がってる。前は塩湖だったのに、最近、薄味のスープくらいになってるわよ」
「……気のせいよ」
「ふうん。じゃあ聞くけど、断罪されたら、殿下と二度と会えなくなるわね。それ、平気?」
答えに詰まった。
平気だ、と即答できない自分がいた。半年前なら、迷わず「せいせいする」と言えたのに。今はその言葉が、喉の途中でつかえて出てこない。
「……ほら、図星」
ジゼルがにやにやと笑う。わたしは焼き菓子を一つ奪い取って、口に押し込んだ。甘い。誤魔化すには、ちょうどいい甘さだった。
わからなかった。リオネルの隣にいることが、自分にとってどういう意味なのか。同情なのか情なのかそれとも——その先の、何かなのか。名前をつけようとするたびに心がするりと逃げる。まだ、認めたくない。認めたら、たぶんもう後戻りできない。
ジゼルは、それ以上は追及しなかった。代わりに焼き菓子をもう一つ、わたしの手に握らせる。
「ま、名前なんて、後でいいわよ。今は、生き延びることが先。死にかけの恋心ほど、面倒なものはないんだから」
「死にかけって、誰のことよ」
「あんたの。査問で、家ごと潰されかけてる令嬢の、ね」
言い返せなかった。その通りだ。今わたしがすべきは、胸の内をのぞき込んで一喜一憂することじゃない。あの夜を生き延びること。話は、それからだ。
ただひとつだけ、はっきりしたことがある。
わたしはもうあの「穏やかな出口」を、本気で望めなくなっていた。
断罪されて、辺境で猫を飼う。誰にも崇められず、誰も断罪しない静かな日々。あんなに焦がれた未来図が、今はひどく寒々しく見える。そこにはうるさい推し活も甘すぎる蜂蜜湯も間の抜けたあくびも、ない。
気づいてしまう。わたしが本当に欲しかったのは、『静けさ』じゃなかった。誰にも煩わされない孤独じゃなくて——煩わしいくらい、誰かが隣にいる騒がしい日々のほうだった。観察日記をつけられて変なグッズを贈られて、塩対応がご褒美だと喜ばれる。あんなに騒々しくてばかばかしくてあたたかい毎日のほうを、わたしはいつのまにか選んでしまっていた。
「ジゼル。わたし、決めたわ」
「何を」
「建国祭で、おとなしく断罪されるのは、やめる」
ジゼルの動きが止まった。焼き菓子のかけらがぽろりと落ちる。
「……正気? あんた、ついこの前まで、断罪されたくて死にそうだったじゃない」
「そうよ。だから、笑っちゃうでしょう。断罪されたい令嬢が、今度は、断罪されたくないって暴れるの」
わたしは、立ち上がった。
「ミラを庇って罪をかぶったのは、後悔してない。でも、あの査問は、最初から仕組まれてた。ロザムンドとその背後の誰か。あいつらの筋書きどおりに、家ごと潰されて消えるなんて、まっぴら。──断罪されるにしても、自分の負け方くらい、自分で選ぶ」
ジゼルがぽかんと口を開けて、それからにやりと笑った。
「いいわね、それ。あんた、そういう顔のほうが、ずっといい」
「でしょう。で、ノアの調べは?」
「進んでるわよ。ロザムンドの後ろにいる人物の、尻尾。あと少しで掴めそう。建国祭までに間に合えば——逆転できる」
「相手は、誰だと思う?」
「まだ確証はないけどね」とジゼルが声を落とす。「アシュフィールド侯爵家、最近、急に羽振りがよくなってるの。後ろ盾がいるのよ。それも、王宮にかなり近い、大物が。ヴァルモア家を潰して、いちばん得をするのは誰か——そこを辿れば、見えてくるはず」
王宮に近い、大物。背筋がひやりとした。それはもう、学園の令嬢同士の小競り合いの話じゃない。国の、権力の話だ。わたし一人が消えれば済む段階は、とっくに過ぎている。
「ノアと、もう一押し、調べてみる。証拠さえ掴めれば、建国祭の場で、ひっくり返せるかもしれない」
「頼んだわ。──わたしも、ただおとなしく断罪されるために、あの場に立つわけにはいかなくなったから」
逆転。あの査問で、ことごとく裏目に出た策。その雪辱をあの夜に。
窓の外で建国祭の準備の槌音が遠く響いていた。国中が祝いに沸く夜。その同じ夜にわたしの断罪の場が用意される。
国中が浮かれる祝祭の夜に、たった一人、断罪される令嬢。絵面だけなら、すっかり悲劇のヒロインだ。──なんて、こんなときでも軽口を叩いてしまう自分に少しだけ笑った。前世から、土壇場ほど冗談が増えるのは、わたしの悪い癖だ。
でも、それでいい。深刻ぶって俯くより、ばかばかしく笑っていたほうがずっとわたしらしい。きっと、あの推し馬鹿な王太子も、そういうわたしを見ているのだから。
わたしは、窓辺の紫の花にそっと指で触れた。冷たい夜気のなかで、その一輪だけが、なぜだか、あたたかい気がする。ノアの調べが間に合うかどうかは、賭けだ。分の悪い賭け。それでも、賭けるだけの理由が、今のわたしにはちゃんとある。守りたいものが、この手に増えすぎてしまったから。
隣にいる意味を、まだわたしは言葉にできない。
でも隣にいたい、とは思っている。たぶん、もうずいぶん前から。
窓辺にはいつかもらった紫の花がまだ咲いていた。何度も贈られた、わたしの名前の花。捨てられなくてずっと飾っていた、あの一輪。
その気持ちの名前を確かめるためにも、わたしはあの夜を生き延びなければならなかった。断罪の夜まであと五日。わたしは生まれて初めて、自分のために勝ちにいくと決めた。出口のためじゃない。あの騒がしい隣にもう一度立つために。
次話:「望んだ出口の、その手前で」




