第16話「かばう側に、回ってしまう」
査問を翌日に控えてわたしは放課後の校舎を、あてもなく歩き回っていた。少しでも有利な材料がないか、最後にもう一度確かめておきたかったのだ。とはいえ、当てなどない。ただじっとしているとよくない想像ばかりが膨らむから、足を動かしていたかっただけかもしれない。
日の暮れかけた校舎は、人影もまばらだった。磨かれた床に自分の靴音だけがこつこつと響く。窓の外では建国祭の支度だろうか、遠くで何かを組み立てる槌の音がしている。あの音が大きくなるほど、わたしの断罪の日も近づいてくる。
その声を聞いたのは空き教室の前を通りかかった、ちょうどそのときだった。
「いいことティセルさん。証言は明日。あなたは『ヴァルモア様に、廊下で突き飛ばされた』と言えばいいの。簡単でしょう?」
ロザムンドの声だ。甘く、冷たい。扉の隙間から覗くと、壁際に追い詰められたミラの姿が見えた。栗色の頭がうつむいている。肩が小さく震えていた。
「ででも、わたしそんなこと、されていなくて」
「されたのよ。あなたが『された』と言えば、されたことになるの。それとも特待生の資格を失って、田舎に帰る? あなたのお母様、病気なんですってね。薬代も、馬鹿にならないでしょう」
わたしの中で、何かがぷつりと切れた。
考えるより先に足が動く。気づいたら扉を開け放って、二人の間に割り込んでいた。
「そこまでよ、アシュフィールド様」
ロザムンドがゆっくりと振り向く。一瞬だけ驚いてそれからすぐに、いつもの隙のない微笑みを貼り直した。
「あら。盗み聞きとは、感心しませんわね」
「人を脅す声が、廊下まで漏れていましたわ。もっと小声でなさったら? 脅迫の基本でしょう」
「……減らず口を」
わたしはミラを背中にかばって、ロザムンドと向き合った。自分でもなぜこんなことをしているのか、よくわからなかった。断罪されたいはずのわたしが、断罪の材料になる証言を自分から潰しにいっている。逆だ。完全に逆をやっている。
でも、止まれなかった。震えている子を見て見ないふりができるほど、わたしは器用じゃない。
「ミラさんは、何も言わないわ。脅しでも、賄賂でも、この子の口は割れない。あなたが期待しているような、都合のいい証言は出ないと思って」
「ずいぶんと、ご立派ね」
ロザムンドの目がすうっと細くなる。その奥に嫌な光がちらついた。
「でも、いいのかしら。あなたが今、こうして特待生をかばっている。これ傍から見たら、どう映ると思って? 『被害者を、加害者が必死に口止めしている』——そう見えるのよ」
背筋がひやりとした。
そうだ。わたしがミラをかばえばかばうほど「悪役令嬢が被害者に圧力をかけている」という筋書きに、説得力が乗ってしまう。善意が、そのまま証拠に化ける。ロザムンドはそれを狙って、わざと聞こえる声で脅していたのかもしれない。
「セリーヌ嬢!」
間の悪いことに、そこへリオネルが駆けつけてきた。状況を見て取るなり、彼の顔がぱっと輝く。
「弱き者をかばい、強き者に立ち向かう。ああ、なんて気高い。今日のあなたも、最高に――」
「殿下、黙って。今、それどころじゃないんです」
「メモだけ、させてください」
「しまって、その手帳を!」
緊迫した対峙の真ん中で、推し全開の王太子が一名。場の空気が、見事に台無しになった。ロザムンドですら毒気を抜かれたように、わずかに眉をひそめている。
でもおかげでミラの震えが少しだけ止まった。間の抜けた闖入者のおかげで、張り詰めた糸がふっと緩んだのだ。
ロザムンドは、扇を広げて踵を返した。
「明日の査問、楽しみにしていますわ。せいぜい、その『気高さ』で、ご自分の首を絞めることね」
深紅の裾が廊下の角に消える。
残されたわたしは、深い息を吐いた。張り詰めていた肩から、ゆっくりと力が抜けていく。背後でミラが、消え入りそうな声で言った。
「セリーヌ様……わたしのために、また」
「いいの。気にしないで」
「でもわたしのせいで、セリーヌ様が、どんどん不利に」
「あのね、ミラさん」
わたしは振り返って、できるだけ軽い口調を作った。
「勘違いしないで。わたしは、あなたのために動いたわけじゃないの。ロザムンドの、ああいう人を見下した脅し方が、虫唾が走るほど嫌いなだけ。要するに、八つ当たりよ」
半分は本当で半分は嘘だった。けれどミラの泣きそうな顔が、その嘘でほんの少しだけほどける。本当の理由を並べて感謝されるより、こうやって突き放したほうがこの子はきっと楽に呼吸ができる。悪役令嬢の仮面は、たまにこういう優しさの隠れ蓑になる。
よくなかった、と頭の冷静な部分が囁いた。たぶん今のは、悪手だ。かばったことでわたしはまた一歩、自分の望まない断罪へ近づいてしまった。それも家ごと潰される、いちばん残酷な形のやつへ。半年かけて避けようとしてきた結末に、自分から手を伸ばしている。我ながら、支離滅裂だ。
なのに不思議と後悔はなかった。震えていた肩が止まったこと。ただそれだけで、帳尻は合っている気がした。
隣でリオネルが、まだ嬉しそうに手帳を抱えている。さっきの『気高い』とやらを、まだ書き足しているらしい。
「殿下。さっきの乱入、はっきり言って、邪魔でした」
「光栄です」
「褒めてません」
「あなたが誰かを守る瞬間に立ち会えた。僕の手帳の、最も価値ある一ページになりました」
真顔で言うのでため息も出ない。わたしはそれを取り上げる気力も、もうなかった。
「殿下。正直に言います。明日の査問、たぶん、負けます。証拠が、足りない」
「知っています」
「即答しないで。少しは、慰めてください」
「では——僕が見ています。あなたが、どんなに不利な場でも、最後まであなたらしくあろうとする姿を。勝っても負けても、その全部をちゃんと見ています。世界でいちばん近くで」
慰めに、なっているような、いないような。それでも不思議と、肩の強張りが少しだけほどけた。
二人で夕暮れの廊下をゆっくりと歩く。傾いた陽の色が、長い影を二つ床に伸ばしている。明日は、査問。勝てるかどうかは、わからない。むしろ、分が悪い。
それでも隣にこの間の抜けた足音があることが、なぜだかほんの少しだけ心強かった。断罪されたいはずなのにこんなふうに誰かと並んで歩く時間を、まだ手放したくないと思っている。矛盾した気持ちをわたしは抱えたまま、茜色の廊下を進んだ。
次話:「策が、裏目に出る日」




