第11話「早まる、断罪の足音」
その朝、わたしは学園長室に呼び出された。
重い樫の扉の前で嫌な予感がする。学園長じきじきの呼び出しなんて、よほどのことだ。心当たりを探そうとして、すぐにやめた。心当たりなら、多すぎる。なにせ半年、せっせと嫌われ工作に励んできたのだから。
中に入ると白髪の学園長が一枚の書面を机に広げて、難しい顔で待っていた。インク壺のそばで、羽ペンが所在なげに転がっている。
「ヴァルモア公爵令嬢。これに、見覚えは」
差し出された書面に目を通す。
告発状だった。差出人は匿名。内容は——『ヴァルモア公爵令嬢が、特待生ミラ・ティセルに継続的な嫌がらせを行っている』。証言者の署名が三人ぶん。日付も場所も、もっともらしく並んでいる。先月の中庭。先々週の渡り廊下。まるで見てきたように具体的だ。
(嫌がらせ? わたしが、ミラに?)
心当たりは、まるでない。むしろ逆だった。ミラとはこっそり手を組んでいる。彼女を王太子にあてがおうとして、盛大に失敗した奇妙な共犯関係にある。嫌がらせどころか、わたしは彼女に図書係への恋を応援すると約束したばかりだ。
でも——待って。
頭の隅で、冷たい計算が動きだす。これは悪役令嬢の断罪の、定番の入り口じゃないか。ヒロインへの嫌がらせ。それが公の場で暴かれ、衆人環視のなかで断罪。わたしが半年かけてたどり着きたかった、あの出口そのものだ。
なら、これは好都合では?
一瞬そう思いかけて、わたしは自分の浅ましさに少しぞっとした。ミラを踏み台にして、自分だけ出口へ走る。そんな逃げ方は、したくなかったはずだ。
「……学園長。この件を認めれば、わたしはどうなりますか」
「事実なら、相応の処分を検討せねばならん。特待生への迫害は、学園の理念に真っ向から反する。だが——」
学園長の声が途中で重くなった。眼鏡の奥の目が、わたしを案じるように曇る。
「正直に言えば、これは学園だけの話では収まらん。同じ告発状が宮廷にも届いておる。しかもヴァルモア公爵家の商会の不正と、ご丁寧に抱き合わせでな」
背筋がすっと冷えた。
商会の不正。父の事業。それは夜会でロザムンドが匂わせた、あの言葉とぴたりと同じ方向を向いている。手を広げれば足元ももろくなる、と彼女は笑った。あれは、ただの嫌味ではなかった。予告だったのだ。
これは、わたしが望んだ断罪じゃない。
わたしが欲しかったのは自分ひとりがそっと退場する、穏やかな出口だった。父も母も領民も無事なまま、わたしだけが消える。誰も深くは傷つかない、静かな幕引き。猫を飼って辺境で暮らす、あの未来へ続く扉。
なのにこの告発状は違う。ミラを口実に使い父の商会を巻き込み、ヴァルモア家ごと根こそぎ地獄へ引きずり込もうとしている。同じ「断罪」という言葉を着ていても、中身はまるで別の獣だ。
「学園長。この証言者三名に、会わせていただけますか」
「それはできん。匿名を条件に出された証言だ。告発される側が、証人に接触するのも禁じられておる」
匿名の証人。会えない告発者。反論の窓口すら、最初から塞がれている。
よくできている。あまりによくできすぎている。
礼を言って学園長室を出ると、廊下の空気がやけに張りつめて感じられた。窓の外では、いつもと同じ春の庭が広がっている。生徒たちの笑い声も、鳥のさえずりも昨日と何ひとつ変わらない。変わったのは、わたしの足元の地面だけだ。
誰かが筋書きを書いている。わたしを断罪したい誰かが。それも、いちばん残酷なやり方で。
(断罪されたいのは、わたしのほうなのに)
皮肉なものだった。半年あんなに苦労しても掴めなかった断罪が、今向こうから足音を立てて近づいてくる。望めば逃げ、望まなければ追ってくる。運命というのは、つくづく意地が悪い。
でもこの足音はわたしが聞きたかったものとまるで違った。冷たくて、重くて誰かの悪意の匂いがする。
学園長室を出てすぐの渡り廊下で、待ち構えていたようにひとりの令嬢とすれ違った。
ロザムンドだった。今日も金の髪を完璧に結い上げ、勝ち誇るでもなくただ涼しい顔で立っている。その余裕がかえって癪に障った。
「ごきげんよう、ヴァルモア様。お顔の色が、すぐれないようね」
「おかげさまで。よく眠れない夜が、続いておりますの」
「あら、お可哀想に。──でも、人を長く陥れていると、いつか報いが来るものですわ。身に覚えのある方には、特に早く」
身に覚え。よく言う。陥れているのは、どちらだ。
わたしは、ぐっと言葉を呑んだ。ここで激昂すればそれこそ『気性の荒い令嬢』という評判を裏づけて、告発の信憑性を上げてしまう。相手は、それを待っている。挑発に乗らないことが、今は唯一の武器だった。
「ご忠告、痛み入りますわ。アシュフィールド様こそ、どうか足元にお気をつけて。高く積んだものほど、崩れたときの音は大きいと申しますから」
ロザムンドの眉が、ほんの一瞬だけ跳ねた。図星を少しは突けたらしい。
彼女は扇で口元を隠しそれ以上は何も言わずに優雅に去っていった。今日のドレスは、深紅ではなく淡い水色。涼しげなその色が、なぜだかぞっとするほど冷たく見えた。
ひとりの仕業では、ない。あの自信は、確かな後ろ盾あってのものだ。ロザムンドの背後にいる誰かは、わたしが思うよりずっと大きくずっと冷たい。父の商会にまで手を伸ばせる相手。それは、もうただの令嬢同士の小競り合いの域を超えている。
ふと父の顔が浮かんだ。商会を一代で大きくした、不器用で実直なあの人。わたしが断罪されて消えるだけなら、父はきっと、苦笑いで送り出してくれる。でも、家ごと潰されるのは、まるで話が違う。父の半生も、領民の暮らしも、まとめて巻き添えにするわけにはいかない。
わたしの『穏やかな出口』は、わたし一人が静かに退場してこそ、成り立つ計画だった。誰も深くは傷つけずにわたしだけが消える。その大前提が、今、根こそぎ崩されようとしている。
だったら、戦うしかない。断罪されたい令嬢が、自分を陥れる断罪と戦う。我ながら、間が抜けた構図だ。それでも、守るべきものの順番だけは、間違えたくなかった。
わたしは廊下を駆けだした。まず、ミラに会わなければ。あの子が、この筋書きのどこに置かれているのか。被害者の役を、誰に押しつけられているのか。それを確かめないと何も始まらない。
次話:「完璧な人の、静かな目」




