第四話 エリーゼの光は、誰よりも明るい
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光魔法の実習は、週に一度、午前の最後の枠に組まれていた。
担当はカリナ・ゾール助教という、二十代後半の穏やかな女性だ。光属性の魔法師で、専門は治癒魔法の応用理論だという。声が柔らかく、生徒の質問に丁寧に答える。ヴィオラ・ハーバート教官の真逆のような人物で、初日の授業後にクロードが「この先生好きだ」と言ったのは、ハーバート教官への反動が半分含まれていると俺は思っている。
光魔法の実習といっても、序盤は基礎中の基礎だ。
魔法灯の球体に魔力を通し、光を灯す。それだけ。
難しくはないが、光属性の親和度によって発光の安定感と強度に差が出る。光属性を主属性とする生徒は全体の三割ほどで、残りは補助属性として光魔法を学んでいる。俺は補助属性として光をわずかに持っているが、親和度は低い。実習では「安定して灯せる」程度を目指せばいい。
問題は、隣の席のエリーゼだ。
彼女の番が来た。
球体を受け取り、両手で包む。それだけで、球体が光を放ち始めた。
緩やかに、でも確実に強くなる光。教室の天井近くまで白い輝きが届き、ゾール助教が思わず目を細めるほどだった。
しかしその光は、五秒ほどで急に弱まった。
エリーゼが手を少し引いたのだ。意図的に、魔力の流れを絞った。誰かに言われたわけでもなく、自分から。
「素晴らしいですよ、エリーゼさん。光の質がとても安定しています」
ゾール助教が言った。エリーゼは「ありがとうございます」と微笑んだ。
俺はその一連を、横から見ていた。
彼女が力を絞った瞬間の、わずかな表情の変化。眉が微かに動き、目が少し伏せられた。それは失敗した時の顔ではなく、何かを「させない」ようにした時の顔だ。
前世で教師をしていると、「抑えている生徒」の顔が分かるようになる。才能があるのに自信がなくて出せない子、怒られることを恐れて力を発揮しない子、周囲との差を気にして意図的に平均に合わせる子。
エリーゼのそれは、どれとも少し違った。
怖れの色があった。しかしその怖れの対象が、他者への評価ではなく、「自分の力そのもの」に向いているように見えた。
昼食の時間、俺はエリーゼと同じテーブルに座った。
学園の食堂は身分で席が分かれているわけではないが、自然と似た者同士が集まる傾向がある。俺たちのテーブルにはクロードとセラも来て、四人で食べることが今週の自然な流れになっていた。
クロードは今日も騒がしかった。隣のテーブルの男子生徒と昨日から仲良くなったらしく、昼食の間じゅう二つのテーブルを往復していた。セラは本を読みながら食べていて、フォークが皿から外れることがない。前世でいえば「ながら食べ名人」だ。
俺はエリーゼの隣に座った。
「光魔法の実習、どうでしたか」
俺が聞くと、エリーゼは少し間を置いてから「問題なく」と答えた。
「そうですか」
「何か気になりましたか?」
「いいえ」
嘘だが、ここで追わない方がいいと判断した。食堂という場所は、込み入った話をする場所ではない。
エリーゼはスープを一口飲んだ。
「ライナスは光魔法、どうでした」
「まあ灯りはつきました。それだけです」
「虚空属性の人間が光魔法まで持っているというのは、珍しいのではないかしら」
「補助属性として、ほんの少しだけ。大したものではありません」
「ふうん」
エリーゼはパンをちぎりながら、少し考えるような顔をした。
「ねえ、ライナス」
「何ですか」
「光魔法って、強くなりすぎると危ないって聞いたことはある?」
さり気なく聞いた風だったが、俺はその問いの重さを感じた。
「聞いたことはあります」
「どういう意味で危ないの?」
「光属性の魔力は、高純度になると周囲の魔素を吸収しながら増幅する性質があります。制御が追いつかないと、術者自身を内側から焼く」
俺は事実として言った。「魔力燃焼」という現象だ。術者の体内魔力が制御を超えて暴走し、肉体を損傷する。特に光属性の高位魔法師に起きやすい。
エリーゼの手が、少し止まった。
「そうよね」
静かな声だった。
俺は彼女の横顔を見た。
「母を幼い頃に失った」ということは、入学前に父からさり気なく聞いていた。詳細は聞かなかったが、バルトアルト伯爵家の夫人は光魔法の使い手だったという話は、父の言葉の端にあった。
今の会話で、俺の中で何かが繋がった。
エリーゼが力を抑制する理由。光魔法を「させない」ようにしている怖れの正体。
それは、母と同じになることへの怖れだ。
その日の夕方、俺はアルベルト教授の研究室を訪ねた。
研究室は本棟の四階にあり、扉を開けると天井近くまで積み上がった書棚と、その間に辛うじて確保されたデスクスペースがあった。本が多すぎて部屋が狭く見えるが、それぞれの本の置き場所には何か法則があるらしく、教授はこちらを振り向きもせず特定の棚から一冊を取り出した。
「来たね。座りたまえ。椅子に本が積んであるから、床に置いてくれていい」
「失礼します」
本を丁寧に床に移してから腰を下ろすと、教授がデスクの向こうから俺を見た。
「昨日の話の続きをしよう」
「大厄災のサイクルについてですか」
「その前段として」教授は一冊の本を開いた。かなり古い本で、革表紙が色褪せ、ページが黄ばんでいる。「これは二百年前に書かれた古文書の写しだ。原本はザハラ砂王国の国家図書館にある。内容は大陸各地の遺跡から発掘された碑文の記録集なのだが、その中に一つ、面白い記述がある」
教授はページを探しながら続けた。
「『世界は五百年ごとに息を吐く。息を吐くたびに、余分なものが洗い流される。洗い流されるものは、力ある者から先に』」
俺は黙って聞いた。
「これが何の碑文か分かるかね」
「……大統一時代の遺跡、でしょうか」
教授の目が、少し光った。
「正解だ。二千年前、賢者王エルフォスが建国した大統一王朝の時代のものだ。しかしおかしいと思わないかね? 二千年前の碑文に、なぜ大厄災のサイクルが記されているのか」
「二千年前から、サイクルは始まっていたということでしょうか」
「それが普通の解釈だ。しかし私の解釈は少し違う」教授は本を閉じた。「エルフォスは大厄災を『知っていた』のではないかと思っている。予言として知っていたのではなく、仕組みとして理解していた」
俺は前のめりになった。
「仕組みとして、というのは」
「大厄災は自然現象ではなく、設計されたものだという仮説だよ」教授は静かに言った。「誰が設計したか、何のために設計したか、それはまだ分からない。しかしエルフォス賢者王は、その設計に関わっていたか、あるいは設計を知った上で大陸を統一した可能性がある」
部屋の外で風が鳴った。
俺は頭の中で、前世の知識と今の話を照合していた。
設計された文明崩壊のサイクル。五百年周期。それを知った上で行動した人物の存在。
地球の歴史には、似た構造の話がある。歴史家が「歴史には意図がある」と感じる瞬間が、稀にある。あまりにも整いすぎた因果の連鎖、あまりにも対称的な盛衰のパターン。多くはただの偶然だが、時に「偶然にしては出来すぎている」事例が積み重なる。
「教授は、それを止めることができると思いますか」
教授は俺を見た。
「君が昨日言ったことだよ、エールハルト君。繰り返しには原因がある、原因があれば介入できる、と」
「それは仮説です。俺がそう思うというだけで」
「学問はすべて仮説から始まる」教授は少し笑った。「私が君に話したかったのは、この古文書の存在だ。そしてこれと対応する記述が、大陸各地の遺跡に残っている。バラバラに存在するそれらを繋ぐと、ある一つの場所が浮かび上がる」
「場所、ですか」
「エルフォスが最後に残したと言われる、『世界の設計図』が保管された遺跡だ。場所の特定はまだ完全ではないが、大陸の中央部、氷原と砂漠の境目あたりだと私は考えている」
教授は立ち上がり、部屋の隅の大きな地図を広げた。
ヴァレリア大陸の全体図だ。手書きの書き込みが無数にあり、各地の遺跡の位置と、そこから得られた記録が細かく書き込まれている。
「ここだよ」教授は大陸の中央やや北の一点を指した。「仮称として、私は『エルフォスの核』と呼んでいる」
俺はその位置を見た。
転移があれば、行けない場所ではない。少なくとも理論上は。
「教授は、その場所に行くつもりですか」
「私はもう老いすぎた」教授は静かに言った。「それに、あそこは相当な危険地帯だという記録もある。通常の移動手段では辿り着けない可能性が高い。馬でも船でも」
俺は何も言わなかった。
教授も何も言わなかった。
二人の間に、言葉にされない何かが漂った。教授は俺の転移について直接は触れなかった。俺も答えなかった。しかし、この会話が何を意味するか、互いに分かっていた。
「今日はここまでにしよう」教授は地図を畳んだ。「また来てくれ。見せたい文書がまだ幾つもある」
「ありがとうございます」
俺は立ち上がり、部屋を出た。
夜の八刻を過ぎていた。
廊下を歩きながら、俺は頭の中を整理した。
教授の話は、俺が転生前から持っていた「大厄災への感覚的な疑問」に、初めて具体的な輪郭を与えてくれた。設計されたサイクル、エルフォス賢者王の関与、遺跡に残された記録。
ただし今すぐ動く話ではない。
まず学園で学ぶべきことがある。魔法の実力を上げ、人間関係を構築し、この世界の政治構造をより深く理解する。そうした基盤なしに動いても、空回りするだけだ。前世の歴史が教えるのは、「準備なき行動は失敗する」という単純な事実だ。
廊下の突き当たりを曲がったところで、人影があった。
エリーゼだった。
壁に背を預け、窓の外を見ていた。こちらに気づくと少し身を正したが、驚いた顔はしていない。
「こんな時間に」と俺は言った。
「あなたこそ」
「教授の研究室に」
「そう、私は散歩。寮の中を」
沈黙が来た。
エリーゼは窓の外に視線を戻した。中庭に面した窓で、魔法灯の光が石畳に溶けている。
「ライナス」
「何ですか」
「昼間の話、覚えてる?」
「覚えています」
「光魔法が危ない、という話」
「はい」
エリーゼはしばらく黙っていた。俺も黙った。
急かす必要はないと思っていた。彼女が話すなら、彼女のペースで話す。それを前世から俺は知っていた。待てる人間が、最終的に多くを聞ける。
「母が死んだのは、私が四歳の時だった」
静かな声だった。
「魔力燃焼よ。治癒魔法師として戦場に出て、傷ついた兵士を一晩で百人以上癒した。それが限界を超えていた」
「……」
「私には記憶がある。母が帰ってきた時の、最後の日の記憶が。手が震えていて、目の色が白く濁っていた。体の内側が燃えているみたいだって、一言だけ言った。それが最後の言葉だった」
俺は何も言えなかった。
何を言うべきかを知っている人間ほど、言葉が出なくなる瞬間がある。
「私の光魔法は、母より強いと鑑定師に言われたことがある」エリーゼは窓の外を見たまま続けた。「十歳の時に。あなたの力は母上を超えていると。喜ぶべきことのように言われた。でも私は、全然嬉しくなかった」
「当然だと思います」
「同じになりたくないわけじゃない」彼女は言った。「母のように誰かを救うことは、したいと思っている。ただ——同じ死に方はしたくない」
「したくていい」
俺は短く言った。
エリーゼが初めてこちらを向いた。
「力を抑えながら生きることと、力を制御しながら生きることは違います」俺は言葉を選んだ。「今やっていることは、前者に近い。でも本当は、後者ができる人間のはずです」
「どう違うの」
「抑えるのは、怖いから使わないことです。制御するのは、いつでも使えるけれど必要な時だけ使うことです」
エリーゼは少し考えるように視線を落とした。
「……簡単に言わないでほしいわ」
「簡単だとは言っていません。ただ」
俺は壁に寄りかかり、エリーゼと同じように窓の外を見た。
「今日の実習で、あなたが光を絞った瞬間を見ていました。あの光は、絞る前の方が綺麗だった」
少しの間があった。
「見てたの」
「隣にいますから」
「……」
エリーゼは何も言わなかった。でも、俺の言葉を聞いていることは分かった。
「綺麗、か」と彼女は小さく呟いた。自分に言い聞かせるような声だった。
「本当のことです」
また沈黙があった。
今度は、少し種類の違う沈黙だった。重くなかった。二人がそれぞれ何かを考えていて、その時間を共有しているような間だった。
「ライナス」
「何ですか」
「あなたって、意外と」
「意外と?」
エリーゼは少し間を置いて、「いえ、何でもない」と言った。口元が微かに動いたのは見えたが、表情は窓の外を向いていたので読めなかった。
「明日からの実習、少し——少しだけ、試してみようかと思う」
「それで十分です」
「あなたが見ているから、というわけじゃないわよ」
「分かっています」
「念のため言っておきたかっただけ」
「了解しました」
エリーゼは壁から背を離した。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
彼女が廊下を歩いていく後ろ姿を見ていた。角を曲がる直前、一度だけこちらを振り返った。
何も言わなかった。ただ、見た。
それで十分だった。
自室のドアを閉め、ランプに火を入れた。
デスクの前に座り、手帳を開く。
今日見えたことを書き出す。いつもの習慣だが、今夜は少し違う。書きながら、自分の中に何か重心が移動した感覚があった。
エリーゼの話について、何を書くべきか少し悩んだ。
個人の事情は記録に残さない方がいい。彼女が俺に話したことは、俺だけのものだ。
だから短く、事実だけを書いた。
「エリーゼの力の抑制について、理由が分かった。今後、見守る方向で」
それだけにした。
ペンを置いて、天井を見た。
政略婚の相手として決まったのは、俺が五歳の時だ。その時から今まで、エリーゼのことを「知らない訳ではない」関係で過ごしてきた。
でも今日初めて、彼女の「傷」を見た気がした。
完璧に見える人間ほど、隠している重さがある。前世でも繰り返し見てきたことだ。優秀な生徒が突然折れる時、その折れ目には必ず「ずっと言えなかった何か」がある。
エリーゼはそれを、まだ完全には言えていない。でも今夜、少しだけ見せた。
それを受け取った。
そのことを、俺は思ったよりずっと大事なことだと感じていた。
前世の二十八年間、誰かの傷を本当に受け取ったことがあったかどうか、正直自信がない。教師として生徒に向き合ってはいたが、「受け取る」より「解決する」ことを先に考えていた気がする。
この世界では、そうじゃない方がいい。
解決より、先に受け取る。
ランプの炎が揺れた。
窓の外では風が鳴っていた。秋が近い風だった。
俺は手帳を閉じ、目を閉じた。
明日もまた、始まる。




