EP 6
【上級国民の崩壊】銃口の反逆
渋谷区松濤、地下三十メートル。
かつては優雅なクラシック音楽が流れていたIT社長・俊哉のシェルターは、今や死の静寂と、耐え難い腐臭に包まれていた。
——ピーッ、ピーッ、ピーッ……。
壁面のコントロールパネルが、無慈悲な赤い警告音を鳴らし続けている。
『警告:二酸化炭素濃度が規定値を大幅に超過。換気システム、燃料切れにより停止寸前』
「……う、あ……ぁ……」
俊哉の妻と娘は、床にへたり込み、浅い呼吸を繰り返していた。疑似太陽光ランプはチカチカと点滅し、今にも完全に消えようとしている。
第七話で判明した燃料の計算ミス。その「死のタイムリミット」は、外界の地獄よりも遥かに速く、彼らの元へ訪れていた。
「クソッ、クソォッ!! なんで動かないんだ!! 俺は三千万円も払ったんだぞ!!」
俊哉は血相を変えてコントロールパネルを殴りつけていたが、機械は金を払えば動くものではない。燃料がなければ、ただの鉄の塊だ。
換気が止まったこの密閉空間は、数時間後には彼ら家族を皆殺しにする『ガス室』へと変わる。生き延びるためには、防爆ドアを開け、外の暴徒が蠢く地獄へと出るしかない。
「俊哉さん。……話がある」
その時、重厚な防爆ドアが内側から開き、雇っていた民間警備兵(元傭兵)のリーダー、マサ(四十代・元陸自特殊作戦群)が無言で入ってきた。
彼の後ろには、同じく銃を構えた二人の部下が続いている。
「マサ! ちょうどいい、換気システムをなんとかしろ! あと、ドアの外にいる暴徒を皆殺しにして、多摩のダムまで俺たちを護衛するんだ! 金ならいくらでも払う!!」
俊哉はパニックになりながら、床に転がっていたアタッシュケースから、帯封のついた一万円札の束を掴み、マサの足元に投げつけた。
「五千万円だ! いや、一億出す!! だから俺と家族を助けろ!!」
床に散らばる、一億円の紙屑。
しかしマサは、その札束には一瞥もくれず、ただ冷酷な瞳で俊哉を見下ろした。
そして、手にした89式小銃の銃口を、俊哉の眉間にピタリと突きつけた。
「……え?」
俊哉の動きが止まった。
「俊哉さん。あんた、まだ気づいてないのか?」
マサはひび割れた唇を歪め、氷のような声で言った。
「この檻の中じゃ、その紙切れはトイレットペーパー以下の価値しかねえんだよ。……お前が俺たちに払えるのは『金』じゃない。このシェルターに残っている『最後の燃料』と『水』だ」
ヒエラルキーの、完全な逆転。
資本主義という虚構が剥がれ落ちた世界で、唯一の法となるのは『暴力(銃)』と『資源(カロリーと水)』だけだ。
金を払っている「ご主人様」から、銃を持った部下に命を握られる「無力な豚」へ。俊哉のアイデンティティが崩壊した瞬間だった。
「ひっ……! や、やめろ、俺は……俺は金を……!」
「……燃料は、あと一週間分ってとこか。俺たち三人が生き延びるには、このシェルターの空調と水、食料を独占する必要がある」
マサは躊躇なく引き金に指をかけた。
「俊哉さん。……あんたのトリアージは『黒』だ。邪魔な口減らし(デコイ)は、ここで処理させてもらう」
「あ、あああああッ!!」
俊哉の絶叫は、疑似太陽光が完全に消え、シェルターが暗黒に包まれた瞬間に、けたたましい銃声によって掻き消された。
——タァンッ!!
一発の銃声。
かつて絶対的な勝者だった金持ちは、自ら買った密室の中で、自分が雇った暴力によって、あっけなく排除された。
コントロールパネルの赤い数字が、新たな支配者の誕生を見届けるように時を削る。
【1700:00:00】
(封鎖から約19日経過。残り七十日)
上級国民の幻想は崩れ去った。
シェルターを乗っ取り、ホンモノの「銃」と装備、そして最後の資源を手に入れたプロの殺し屋たちが、新たな『強者』として地獄の街へ解き放たれようとしていた。




