EP 2
【算術の絶望】自給率0%の宣告
霞が関、中央合同庁舎第1号館。
農林水産省の地下にある緊急事態オペレーションルームは、怒号と絶望の坩堝と化していた。
「外部との連絡は!? 千葉の備蓄倉庫はどうなった!」
「ダメです! 物理回線も無線も、都境の『壁』で完全に遮断されています!」
「総理官邸からの直通線だけは生きています! だが、官邸もパニック状態だ……!」
若手キャリア官僚の結城は、周囲の喧騒から逃れるように、目の前のオフライン端末の画面を凝視していた。
カタカタと、震える指でキーボードを叩き、無慈悲な表計算ソフトに数字を打ち込んでいく。
彼に与えられた任務は、都内に残された「食料総量」の算出だ。
「結城! 状況はどうなっている! 都民を何日食わせられる!?」
血走った目をした局長が、結城の肩を乱暴に掴んだ。
結城は画面から目を離さず、ひからびた唇を開いた。
「……無理です、局長。計算するまでもありません」
「何が無理だ! 備蓄米があるだろう! 流通センターの在庫は!」
「国家備蓄米の主要倉庫は埼玉と神奈川です。壁の『外』です。都内に点在する民間倉庫の加工食品、スーパーとコンビニの店頭在庫をすべて掻き集めたと仮定します」
結城は、画面の中央に弾き出された赤字のセルを指差した。
「東京都の人口、約1400万人。極限状態の配給として、1人1日1000キロカロリーまで絞ったとしても、1日で140億キロカロリーが消費されます。対して、現在都内にある即時消費可能な食料の総カロリー数は……」
結城は息を呑み、絶望的な結論を口にした。
「完全に統制が成功したとしても、最大で『8日分』。それが限界です」
「ば、馬鹿な……。東京は世界最大の都市だぞ! 食べ物などいくらでも……!」
「ここは消費するだけの胃袋です! カロリーベースの自給率は実質0%なんですよ! 物理的に食べ物が存在しないんです!」
結城の悲痛な叫びに、オペレーションルームが水を打ったように静まり返った。
世界で最も豊かなメガロポリスは、外部からの補給という血液の供給を絶たれた瞬間、巨大な餓死の檻と化す。その事実を、食料の専門家である彼らが一番よく理解していた。
「……局長」
結城は、震える声で最悪の『提案』を口にした。
「1400万人全員を救うことは不可能です。ですが、西多摩の山間部……あきる野や奥多摩のわずかな農地と林産資源、そして一部の地下備蓄基地を自衛隊で完全制圧すれば」
「……何を言っている、結城」
「『数万人』なら、90日間生かせる計算になります。……警察、自衛隊、医療従事者、そして国家の中枢機能だけを西部に退避させ、防衛線を敷くんです」
それはつまり、23区内に住む1000万人以上の一般市民に、餓死か殺し合いを強要するという意味だった。
局長はよろめき、机に手をついた。しかし、その瞳にはすでに官僚としての冷酷な光が宿っていた。
「……官邸に繋げ。西多摩『グリーンゾーン』への移行計画を具申する」
結城は目を伏せた。
自分たちもまた、その「数万人」の枠に入るために、同胞を見殺しにするのだ。
霞が関の窓の外、空に浮かぶ巨大な数字が、無感情に減っていく。
【2158:22:05】
配給という希望が絶たれたことなど知る由もなく、街ではまだ、スーパーのレジに長蛇の列を作る市民たちの姿があった。




