幕間 エレンのはじめてのおつかい1
分厚い石造りの壁が、窯から吐き出される熱波を逃さずに閉じ込めている。
空気を吸い込むだけで気管が焼け焦げ、皮膚の水分が瞬時に奪われるほどの灼熱。充満する魔導炭の煤煙と、焦げた金属のむせ返るような臭気が鼻を突く。
中世の重工業地帯や職人街を思わせる無骨な空間の奥で、金属同士がぶつかり合う鼓膜を破るような轟音が規則的に響き渡っていた。
ここは大陸の地下深くに広がる工業都市――鉄機郷ドヴェルグ。その最奥にある、王の工房である。
「カッカッカ! オラオラオラァ! 言うことを聞けぇ!」
鍛冶床の前に足を開いて踏ん張り、巨大な戦槌を振り下ろしているのは、丸太のように太い腕を持つ男だった。
生粋のドワーフ族特有の極端に筋肉質でずんぐりとした体格。白髪交じりの立派な髭と、数百年におよぶ鍛冶仕事で刻まれた無数の火傷痕が、分厚い胸板を覆っている。
ドヴェルグを統べる王にして、天鋼級の探索者でもあるヴァルター・オルセンは、悪態をつきながらもその顔に狂気じみた笑みを張り付かせていた。
「相変わらずむさ苦しい部屋ね」
背後から、硬質な氷の結晶がぶつかり合うような、絶対零度の声が響いた。
直後、工房の空気を満たしていた暴力的な熱波が、急速に温度を奪われていく。皮膚を焼く熱が薄らぎ、汗が急激に冷えるような変化に、ヴァルターは手を止め、肩越しに振り返る。
そこにいたのは、重力を無視して床から数センチほど浮遊している、白銀の髪を持った女だった。
魔導帝国ゼノビアの女帝、エレオノーラ。だが、今の彼女はいつもの豪奢なドレスアーマーではなく、湊から借りた大きすぎるえんじ色のジャージをだぼだぼと着込んでいる。
(あー、一応着替えてから来ればよかったかしら。……まぁ、あの偏屈爺に会うだけだしいいか)
地球から帰還したばかりの気の抜けた格好。泥と汗にまみれた工房にはおよそ不釣り合いな姿だが、彼女が纏う魔力が塵一つ寄せ付けず、その周囲だけは別次元のような冷徹な美しさを保っていた。
「あぁ? なんだその奇妙な服は。いつも鎧を着込んでるお前さんが、珍しい格好をしてるじゃねぇか」
「……ちょっと、出先から直接来ただけよ。気にしないで」
痛いところを突かれ、エレオノーラは少し気まずそうに視線を逸らした。
だが、ヴァルターは彼女のそんな反応を都合よく解釈したらしい。
「カッカッカ! そういう動きやすそうな格好をしてるってことは……とうとうお前も儂の最高傑作を握る気になったか、エリーチェン!」
ヴァルターは豪快に笑い飛ばし、手に持った戦槌の柄を嬉しそうに撫で回した。
彼女がまだダンジョンに潜り始めたばかりの小娘だった頃からの、長い付き合いだ。魔法特化で武器を持たない女帝に対し、ヴァルターは事あるごとに「儂の武器を握らせてやる」と豪語してきた。
「私が武器なんか振るうわけないでしょ」
エレオノーラは気怠げに視線を逸らし、ふん、と鼻を鳴らす。
宙に浮いたまま、彼女は自身の収納機能から赤黒く変色した巨大な骨――『暴食王の大凶骨』を実体化させた。
ズォン、と重苦しい音を立てて作業台の上に落とされたそれは、巨大な工房の空気を一瞬で淀ませるほどの禍々しい呪力と質量を放っている。
「私じゃなくて、他人のよ。それに相応しい形に打ち直してほしいの」
「……あぁ? 他人のだと?」
ヴァルターの笑顔が消え、鍛冶王としての不遜な眼光が鋭く細められた。
「じゃあ駄目だ。どこの山から転がり出たとも分からん石っころに打ってやるほど、儂の腕は安くないんだよ」
にべもなく突き放し、ヴァルターは再び鍛冶床へと向き直ろうとする。
その丸太のような広い背中に向かって、エレオノーラはふわりと空中で地団駄を踏むようにして抗議の声を上げた。
彼女の中では珍しく歩み寄って持ち込んだ依頼(物理的には全く頭を下げていないし、何なら浮遊して見下ろしているが)を無下にされた不満が、彼女から無意識に漏れ出る魔力をチリチリと波立たせる。
「なによ! あれだけ武器が欲しかったらいつでも頼れって言ってたのに! 嘘つき! 偏屈爺! キライ!」
「……っ」
子供のような、理不尽極まりない癇癪。
だが、普段は他者をゴミ虫のようにしか見ない暴虐の女帝からの直球すぎる拒絶の言葉に、八百五十歳を越える偏屈なドワーフの分厚い背中が、目に見えてビクッと跳ねた。
大きくため息を吐き出し、彼は渋々といった様子で振り返る。
「……たく。話だけは聞いてやる」
「作ってくれるの?」
「だから話だけは聞いてやるって言ってるだろ。そもそも、お前さんが持ち込んだこの骨……」
ヴァルターは大凶骨の表面を太い指で叩く。
ガンッ、と硬質な音が工房に響いた。
「普通の奴なら傷一つ付けられねぇ、圧倒的な耐久性と極大質量だ。ただ、この重心と形じゃあ作れる武器が限られるぞ?」
「こういうのは無理かしら?」
純粋な職人としての的確な指摘。
それを受けて、エレオノーラは空中に指先で幾何学的な光の線を描き、希望する武器の形状をヴァルターに提示した。
それは無骨な金属の棒の先端がL字に曲がり、先が割れているという奇妙なシルエットだった。
「ほぉ……なるほどな。それなら、この素材でもぴったりだとは思うが……武器っちゅうよりも金梃みたいだな」
エレオノーラが提示した『バール』という無骨なシルエットを眺めながら、ヴァルターは己の髭を無意識にしごく。
「金梃が何かはわかんないけど、この形がいいの」
「分かった。ちなみに、コレを使う相手はお前さんの何なんだ?」
ヴァルターが強い興味を抱いて尋ねる。
その問いに、エレオノーラはピタリと空中で動きを止めた。
赤い双眸が落ち着きなく宙を泳ぎ、彼女は内心で激しい葛藤を始める。
(知人? ……そっけないから嫌。友人? ……そこまで互いのことを深く知っているわけじゃないし。契約をしたから、強いて言うなら『ご主人様』? ……なんか恥ずかしいし、ムカつくわね。恩人? ……アダマンタイトの壁を壊してくれたし、そうなるの?)
腕を組み、難しそうな顔をしてぶつぶつと呟く女帝。
その陶器のような白い頬が、窯の熱とは無関係にほんのりと赤く染まっていく。
その様子をじっと観察していたヴァルターは、「あぁ、なるほど」と完全に別の意味で合点がいったように深く頷いた。
「……まぁ、いい。分かった、作ってやる。だから今度、そいつを儂のところに連れてこい。儂が直々に品定めしてやる」
ヴァルターはニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
一方のエレオノーラは、ただ武器を作ってもらえるという結果に満足し、「えぇ、別に構わないわよ」と軽く承諾した。
異世界のトップ探索者であるヴァルターとの面会予定が、湊の全く知らないところで勝手に組まれてしまった瞬間だった。
「よし、ならとっとと始めるぞ。完成までには、最低でも五日はかかる。その頃に取りに来い」
「期待しているわ、ヴァルター」
エレオノーラがふわりと後ろへ退くと、ヴァルターが戦槌を構える。
同時に、その全身から圧倒的な魔力が立ち上った。
専用スキル〈万物鍛造〉。
『暴食王の大凶骨』が放つ呪いや概念すらも素材として叩き直す神技の光が、地下の工房を真昼のように照らし出した。
(なんで!こんなに頭を下げてるのに!)→下げてない。
ヴァルターの方がはるかに格上ですが、「やんちゃする目が離せない孫娘」くらいの感じなので成り立っている関係です。
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