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完全手動(フルマニュアル)おじさん、ダンジョンの意思?に人間卒業させられました。  作者: 別所 セラ
地球編

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第90話 月夜の酒杯と、伸びる手


 襖を開けた先、上座の座椅子には《海神(ワダツミ)》氷室 透が深く腰掛けていた。

 その斜め後ろで、巫女服姿の《神籬(ヒモロギ)》天宮 巫が静かに控えている。

 障子が開け放たれ、夜風と虫の音が流れ込む離れの特別室。扉口で立ち尽くす俺たちの前に、日本のトップ探索者二人が待ち受けていた。


 なんでこのお二人がここにいるのか。

 思考がフリーズして動けなくなった俺の視界の端――俺たちと彼らの間にある部屋の隅で、舟木さんが申し訳なさで泣き崩れそうな顔をして縮こまっていた。


「湊さん、ジョンさん……本当に、すみません。お止めしたのですが」

「いや、いいんだ。舟木さんのせいじゃないから」


 俺は小さく息を吐き出して、彼女を庇うように一歩前に出た。

 旅館の当主であるお父さんや舟木さんがどれだけ気丈に止めてくれようとも、世界のトップクラスの探索者が本気で無理を通そうとした時に、それを押し留められる人間などいない。それがこの世界の、残酷で確かな事実なのだから。


 しかし問題は、彼らがなぜ、そんな無理を通してまで俺たちをここで待ち伏せしていたかだ。


「……随分と、急ぎの用事だったようだな」


 静まり返った部屋に、氷室さんの低く冷涼な声が響いた。

 その声音には有無を言わせぬ圧があり、鼓膜を通して全身の皮膚を粟立たせる。彼から語られた事実を聞き、俺の胃の底が冷たい鉛のように沈み込んだ。


 イギリスでの未曾有の危機的状況。事態を隠蔽しようとしていたイギリス政府だったが、実は裏で《神籬》様に対して水面下の打診を出していたらしい。

 日本で休暇中のジョージが帰国したのでは到底間に合わない。だからこそ、《海神》様の超高速移動能力と《神籬》様の回復力のセットが頼られたのだという。


 つまり、お二人はイギリスで何が起きているかを正確に把握していたのだ。

 だが、彼らはそのSOSに応じるよりも、日本のこの宿で観測された凄まじい魔力痕跡――転移魔法の影響だろう――『剛神』の手がかりを優先していた。


 しかし、いざ剛神を待ち伏せてみれば。

 そこに、騎士王ジョージ本人が、冴えない男と一緒にゲートから平然と現れたのだ。


 張り詰めた空気の中、上座に座る氷室さんの銀縁眼鏡の奥の瞳が、僅かに揺れる。

 想定外の事態と状況の矛盾。理詰めで動く日本のトップの脳内で、パズルのピースが噛み合わずに軋む音が聞こえてきそうだ。


「……騎士王。君に転移魔法が使えるなんて知らなかったよ」


 上座に座ったまま微動だにせず、氷室さんが静かなトーンで探りを入れてくる。視線だけで俺たちを射抜くような、底知れぬ静の重圧。


「ハハハ! 日本には素晴らしいことわざがあると聞いたよ。『男子三日会わざれば刮目して見よ』――だったかな? 探求を続ける者にとって、昨日できなかったことが今日できるようになるのは、不思議なことではないさ」


 対するジョージは、扉口に立ったまま分厚い胸板を揺らして朗らかに笑い飛ばした。その巨体から発せられる動の覇気が、氷室さんの静かな重圧を真っ向から弾き返す。


 しかし、そんな適当な煙幕で納得するわけもなく、座椅子から身を乗り出すように氷室さんがさらに一歩踏み込もうとした瞬間。斜め後ろに控えていた天宮さんが、ふっと口元を綻ばせた。


「透さん。そんな怖い顔をしていたら、誤解されてしまいますよ」


 白衣に緋袴という神聖な出立ちの彼女が、鈴を転がすような声で小さく笑う。それだけで、部屋に充満しかけていた刺すような緊張感が、ふわりと解けるのを感じた。まるで冷え切った空間に、暖かな春の陽射しが差し込んだかのように、肌を刺す殺気が物理的に弛んでいく。


「騎士王さん。警戒しないでください。私たちは別に、あなたや彼をどうこうしようとしているわけじゃありません。ただ、素晴らしい仕事をしてくれた名もなき英雄と、時折こうして酒を酌み交わせるような……友好関係を築きたいだけなんです」


 その声音には、一切の裏がなかった。天宮さんの纏う澄んだ空気が、何よりの証明として肌に伝わってくる。

 やがて、氷室さんがふっと息を吐き出し、口元に微かな苦笑を浮かべた。


「……彼女の言う通りだ。安心してほしい。我々も面倒を押し付けるつもりはない」


 氷室さんは座椅子から立ち上がると、日本の統括者としてではなく、ただの一人の探索者として、俺に対して深く、静かに頭を下げた。


「富士山スタンピードのときは素晴らしい仕事だった。礼を言わせてほしい」


 言葉通りに世界を救ったことに対する、飾り気のないまっすぐな謝意。


 頭を下げる氷室さんの姿を見て、ジョージから放たれていたピリついた殺気が霧散する。

 どうやら本心から友好的な関係を望んでいると判断したのだろう。彼は再び、気のいい大男の顔に戻って快活に笑った。


「ハハハ! そういうことなら大歓迎だ! ……と言いたいところだが、すまない。ここに来るまでずっとバタバタしていてな。私も湊も、実はまだ晩御飯を食べていなくて、腹が減っているんだ。詳しい話は後にして、まずは何か腹に入れたいのだが」

「……ああ、それなら好都合だ。私も少し、喉が渇いていたところでね。良ければ、我々もご一緒しても構わないだろうか?」


 氷室さんが微かに口元を緩め、思わぬ申し出をしてきた。

 二人のトップランカーの間にあった氷のような緊張は、すでに影も形もない。ジョージは上機嫌に頷きながら、チラリと俺の方に視線を向けてきた。


「私は構わないが……湊、いいかな?」


 ――いやいや、ここで「ダメです」なんて言える人間が日本にいるわけないだろ。

 内心で全力のツッコミを入れつつ、俺は引き攣りそうになる頬の筋肉を必死に抑え込み、努めて平静な声で答えた。


「ええ、もちろん。こちらこそ、ご一緒させてください」


 その言葉を聞いて、部屋の隅で縮こまっていた舟木さんが、ホッと胸を撫で下ろすようにパッと顔を輝かせる。


「あっ、あの……! それでしたら、すでに並べていたお料理は冷めてしまっているので……今から厨房にお願いして、温め直してもらいますね! ビールも、新しく冷えたものをお持ちします。皆さまは、お飲み物は何になさいますか?」


 弾んだ声でジョージたちにも注文を尋ねていく舟木さん。

 次々にオーダーを受け取った彼女の足音が、パタパタと厨房の方へ遠ざかっていった。


 まったくの無名から、たった数日で一気に世界のトップ層に正体がバレてしまった。

 完全に「平穏な日常」は終わってしまったと、こめかみの奥が鈍く脈打つ。

 だが、隣で俺を全力で庇おうと仁王立ちしていたジョージや、力で縛り付けようとしない氷室さんの不器用な誠実さを見て、ふと自分の言葉を思い返した。


『俺は自分の、手の届く範囲にいる奴を見捨てずに生きられれば十分だ』


(まぁ、手の届く範囲が少しだけ広くなったと思えば、悪くないか)


 ……いや、待てよ。

 よく考えたら、氷室さんも天宮さんも、なんならジョージも、全員が俺のことをランキング一位の『剛神』だと勘違いしたままだ。

 俺はただの秘銀級(ミスリル)探索者でしかないんだけど、これ、どう着地させればいいんだ? 急に胃の辺りがソワソワと落ち着かなくなってきた。


(ナビ子、これどうすんだよ!? 今さら『人違いです』なんて言える空気じゃないぞ!)

『まぁまぁ、マスター。そこらへんは何とでもなりますよ』


 脳内の相棒は、相変わらず暢気な声でそう返してきた。

 ――え、ここから入れる保険があるんですか!?

 喉元まで出かかったツッコミをどうにか呑み込み、俺は小さく息を吐く。頼りになる相棒がそう言うのなら、きっと何とかなるのだろうと諦め半分に思考を切り替えた。


 まぁ、いいか。

 美味しいビールを飲んで忘れよう。


 ここは元々、俺とジョージのために用意された部屋だ。その気遣いからか、氷室さんたちは当然のように下座へと回ろうとした。

 そこでジョージが素直に上座に座ってくれれば丸く収まるものを、あろうことか「今日の主役はミナトだ」などと朗らかに笑い、俺を一番奥の座椅子へ押し込もうとしてきたのだからたまらない。


 ――この面子に囲まれて、上座に座れる一般人がいるなら連れてきてほしい。


 恐ろしい事態を必死の抵抗で阻止し、俺はなんとか末席を死守する。

 そうして真新しい畳の匂いが香る本木の和室で、ようやく四人揃って中央の座卓を囲むことができた。


 温め直された料理を待つ間、舟木さんが先にと運んできたよく冷えたビールのグラス。ずっしりとした硝子の重みと、表面に浮かぶ結露の冷たさが、指先から心地よく伝わってくる。


「それじゃあ……皆の無事に、乾杯!」


 上機嫌なジョージの豪快な声を合図に、静かな部屋に澄んだグラスの音が響き渡った。

 ようやく喉に流し込んだ黄金色の麦酒は、キンと冷えた炭酸の心地よい刺激を残し、少しだけ胃の奥を熱くする。

 それは、これからの平穏ならざる日常への予感を、広縁の奥にあるヒノキ風呂から漂う木の香りと、心地よい夜風の余韻の中へと溶かしていった。


というわけでもう完全に日本のトップにも存在がバレました。

まぁ、正体(剛神じゃない)はバレてないんですが。

一体これからどうなるんでしょうか。


ともあれ、これで四章は完結です(幕間が数話ありますが)。

ブックマークや☆評価で背中を押してくださるあなたへ。

本当にありがとうございます。


この作品が続けられているのはあなたのおかげです。


評価をしていない人は、お好きなタイミングで構いません。

少しでも面白ければ評価を頂けると嬉しいです。

★は五個まで増やせます。

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― 新着の感想 ―
100話おめでとうございます。 私にとって最近の楽しみになっています。 仕事で頭抱える中、この作品を読む時間が有り難い。 感謝感謝です。
更新お疲れ様です。累計100話到達おめでとうございます! まぁいずれ実力者には湊さんの強さはバレてたでしょうし…平和的な顔合わせしてコネが出来たと前向きに考えるしかないですね(笑) それでは今日は…
この世界のトップクラス達は転移出来ないのに異世界組は転移出来る 異世界の探索者は他にも転移出来るのいるのかな? この世界は高速移動が使える人すら少ない感じか? 湊の求める平穏を維持出来るかは別物とし…
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