59 Ⅳ 終劇
夢幻編はこれで終了です。
ゴルシェ伯爵と助手の二人は暗い抜け道を足早に移動していた。
地下研究室からの抜け道は地下牢からの抜け道とは別の出口に通じているため帝国軍に先回りされてはいないはずであった。
抜け道に入る隠し扉も一旦閉じてしまえば追跡者にそうそう暴かれる事はない造りになっている。
しかしゴルシェ伯爵は手のカンテラに淡く照らし出される暗く足場の悪い通路を懸命に進んでいた。
研究資料を回収して抜け道に入った辺りから奇妙な違和感に襲われていた。
間に合わない。
帝国の勇者に追い付かれ捕まる。
そんな考えばかりが浮かんで気が焦り足早になってしまうのであった。
見付からずに隠し扉を潜った時点で当面の危機は脱したはずなのに焦燥感は収まらずむしろ大きくなる一方であった。
確かに帝国に追われる身になりはしたがこれまでの研究成果と持ち出した財産があれば研究続行は可能だし新たに実験体を創造して数を揃えれば辺境の小国の一つや二つなど手に入れるのは造作もなく新たに権力を手に入れる事も難しくはない。
だから確かに状況は最悪だがここまで絶望感に囚われる必要はなかった。
なのに強迫観念のように追跡者の事が頭から離れないのだ。
従来合理性を尊重し不必要な事は切り捨て気にもしないゴルシェ伯爵にしては奇妙な事であった。
「伯爵、この辺りじゃないか?」
助手が声を掛けてくる。
「ウッ、ウムッ・・・、そうだその角を曲がって数m行った所に苔で偽装された緊急持ち出しのための宝物庫の隠し扉がある。そこに勇者召喚の魔導書の写本が隠してある。それさえあれば更に写本を増やして資金源にしてもよし、大国と軍事的緊張が高まっている小国にでも持ち込んで唆し召喚させた勇者を横取りにしてもよしだ」
「伯爵も懲りないねぇ。ここまで追い込まれた大元の元凶なのにまだ利用しようっていうのかい」
「抜かせ!強い毒は強い薬ともなる。勇者召喚の魔導書によってここまで状況が悪化したのならそれによってひっくり返す事も出来るはずだ」
「ギャンブルの負けをギャンブルで取り戻そうとする奴が言いそうな台詞だね」
「うるさい。余計な事は言いわんでよい。おッ、ここだ」
ゴルシェ伯爵は一見なんの変哲もなさそうな壁の前で立ち止まった。
ただ妙に四角い形の苔が壁を覆っておりそれが目的の隠し扉らしい事を示していた。
伯爵は苔の左上角の更に斜め上の辺りを押した。
ガクンと苔の区切りに沿って壁が四角に倒れ中に小さな小部屋が現れた。
しかし伯爵はそのまま中に入らず抜け道の通路の丁度反対側の壁に手を当て押した。
今度こそなんの変哲もない壁がカコンと開きそこに真の宝物庫が現れた。
「・・・偏執的だねぇ。苔で偽装ってそういう意味かい。そっちのダミーの部屋はやはり罠満載かい?」
「当然だ。吊り天井に仕掛け矢に槍襖に剣山付き落とし穴、儂の宝に手を出す愚か者には死あるのみだ」
「なるほど手間暇掛けた甲斐があったというものだね」
「?何を言っている。・・・よし、行くぞ」
伯爵は真の宝物庫から手早く勇者召喚の魔導書の写本と宝石類を引っ張り出し城の宝物庫から持ち出した宝石類と回収した研究資料でパンパンになっている鞄に更に無理矢理押し込むと助手に先に進むよう促した。
「ああ、悪いね、伯爵。同行するのはここまでだ」
「な、なんだと!まさか貴様、儂を裏切る気か!」
助手の予想外の拒否に驚き伯爵は食って掛かった。
「裏切るも何も・・・」
「最初から味方でもなんでもなかったからな」
助手の言葉を引き取るように別の方向から男の声がした。
抜け道後方の暗闇から黒髪の目付きの鋭い若い男の姿が現れた。
「貴様は・・・、何故ここにいる!?勇者はどうした!」
「帝国の勇者は倒した。そら、証拠の土産だ」
若い男はその手にぶら下げていたサッカーボール大の黒い塊を伯爵の足元に放り投げた。
手元のカンテラの光に照らされて転がってきたそれが何かを理解した伯爵はギョッとした。
それは先程見た帝国の勇者の血の滴る生首であった。
「バカな!儂の最高傑作達が敵わなかった勇者を普通の人間が倒すなど!!」
「だから俺も普通の人間じゃないって事さ。人知を超えた敵を倒す力を持つ勇者とはいえ同じような力を持つ者なら倒せない事もない。もっとも俺の得意は騙し討ちだが今回は正面からぶつかってやった。リスクがなかったからな」
「まさか、貴様も勇者だというつもりか?そんなバカな!?召喚した覚えも引き込んだ覚えもないぞ」
「それ以前に俺がお前の傍にいつからいたのか思い出してみろ」
「なんだと?確か・・・物見の搭で獣人の人間狩りを観戦していた時に話したのは覚えている。その前は・・・?・・・バカな!思い出せん!」
「そう、あの時初めて俺達はお前の傍に現れた。それ以前にはいなかった。というよりここもあの時にお前の記憶から形作られた。いきなり人間狩りを見せさせられた上前皇帝に勇者召喚を唆し蠱毒の法まで考案したのがお前である事も知って思わずぶった斬りたくなるのを堪えるのは大変だったが。あそこで暴発してお前を斬っていたら全てが台無しだったからな」
「それではここは・・・」
「伯爵の夢の中のようなものだね。伯爵の記憶を元に私が禁呪を使って過去を忠実に再現した仮想現実で現実との相違はほとんどない。研究室から逃げ出すところまでは現実の過去と一致していた。本当は抜け道に入る前に帝国の勇者に追い付かれ捕縛されたのだ。私が認識を操作して入れ替わったこの助手はその時帝国の勇者に斬られて死んでいる」
伯爵が助手だと思っていた女が答えた。
抱えさせられていた研究資料の詰まった鞄類を離し若い男の横に立った。
「やっぱムサいオッサンの傍についているより若い男についている方がいいね♪」
「コラッ、くっ付けくな。鬱陶しい」
女は男の腕に抱きつき結構ボリュームのある胸を押し付けたが邪険に振り払われる。
「あら、つれないなぁ。術の安定維持のため伯爵の傍に四六時中張り付いているのは結構大変だったのだ。少しは労って優しくしてくれても罰は当たらないだろ」
「写本の回収破棄はそっちからのオーダーだ。これ以上勇者召喚魔法の犠牲者を増やさないために協力はするが俺が労ってやらなければならない理由はない。そっちには製造者責任があるがこっちは巻き込まれただけの被害者なんだからな」
「き、貴様ら!儂の魔導書目当てでこんな事を仕掛けたのか?だが何故こんな手間を掛けた?こんな魔法を掛けられるぐらいなら儂の身柄は押さえているんだろう。知りたい事があるのなら拷問でも何でもして聞き出せばいいだけではないか」
「それが出来れば苦労はなかったのさ。私の手持ちの禁呪を使えば人からいくらでも情報を引き出す事が出来る。その人間の頭がまともな状態ならね」
「どういう事だ?」
「だからさ。私がさっき言った通り伯爵は研究室から逃げる前に捕縛されたのだけどその時帝国の勇者が面白半分に伯爵の手足を斬り飛ばしてしまってね。そのショックで発狂してしまい拷問で口を割らせたり魔法で自白させたり読心したりする事が出来なくなっていた訳」
「儂が発狂しているだと?そんなバカな!儂は正常だ!」
「だから今の伯爵は私がここを形作った時点での記憶と精神状態まで巻き戻して再スタートしているのさ。唯一関係者で生き残っていた昏睡状態の娘さんにも記憶の補正と安定化のため強制的に参加してもらってね。でも本来の記憶とは無意識下で繋がっているからそこから逸脱した現在では違和感が大きかっただろ」
「確かに違和感はあったがそんな話し信じられるか。儂は今正常だ!」
現在の自分の感覚で考えているのだろう。
伯爵は自分が発狂している事は否定した。
「信じる信じないの話しじゃないんだけど。だったら研究室で本当に何があったのか思い出してみたら?意識出来ている今なら本来の記憶にアクセス出来るはず」
「そんな事・・・あるはずが・・・」
伯爵の目がだんだん虚ろになっていき瞳孔が開いていく。
「・・・ま、待て!・・・や、止めて・・・くれ。よ、止せ!止めろ!頼む止めてくれ!頼む!止めろ!止めろ!止めろ!止めろ!!止めろ!!!」
手荷物を全て放り出し伯爵は叫び声を上げながら転がり回り始めた。
恐怖に怯え歪み涙と鼻水を糞尿を垂れ流し撒き散らしながらのたうち回る。
「あーそうそう、娘さんと違って伯爵の場合は洗脳状態でも何でもなかったんだからしっかり心構えをしてから思い出さないと又発狂しちゃうかもね」
やがて一際大きな声を上げると動きが止まりビクンビクンと身体を震わすだけになった。
「ケ、ケヘ・・・」
その口から奇妙な笑い声が漏れ始める。
「ケヘ・・・ケヘケヘ・・・クハ・・・クハクハ・・・ケヘケヘクハクハ・・・ケヘケヘケヘケヘ」
「あれ?手遅れだったか」
しかし伯爵はその言葉には反応せず奇妙な笑い声を発し続ける。
そして伯爵の姿も徐々に擦れていきそれに合わせて周囲の抜け道も空間そのものから薄れていった。
「ま、これで伯爵の意識が拡散すれば意識を同調させアンカー代りしていた私達も無事帰れるってもんさ」
伯爵の姿が消え周囲も何もなくなり無が広がっていく。
若い男と女の姿も既になく空虚になった空間が完全に闇に閉ざされて消えていった。
「しかし、これで本当によろしかったのですか?」
「んッ、何が?」
勇気はレティシア皇女の問いに聞き返した。
クーイアン帝国の帝都城の貴賓室で双子メイドの給事を受け久し振りにゆっくりと寛いでいた。
といってもゴルシェ元伯爵の元で過ごした主観時間で一ケ月も外では一昼夜しか経っておらず双子メイド達にとっては普段通りの通常業務であった。
シオンは現実では一夜であっても主観時間で一ケ月間ずっと不眠不休で禁呪を維持し続けた精神的疲れで爆睡中である。
紗耶香達はゴルシェ元伯爵の夢の中に潜っている間完全に無防備になっていた勇気達の警護を寝ずの番していたので同じく就寝中であった。
「先の地竜退治や今回のアルナス軍との戦いの戦功による褒賞の件です。先にお引渡しした帝国の所有する勇者召喚の魔導書と帝国軍が押収したゴルシェ伯爵の研究資料、後幾つかの施設と設備と資材と人員の提供とこれらは金額的にはかなりの額に上りますが個人が褒賞として望むようなものではありません。普通はもっと私的な望みをされるものなのですが」
「地位と権力、金に女ってとこか。こっちの世界に執着心を持つようになるものは要らない。それに先の戦役では戦場に出ていた帝国軍も壊滅的な打撃を受けている。これからの戦いに必要なものは用意してもらわなければならないが俺に私的な褒賞を出している場合じゃないだろ」
「そう仰るのならご希望の通りに手配致します。それとゴルシェ元伯爵についてですが結局正気に戻らないまま本日予定通り処刑されました」
「処刑前に先に引渡された帝国所有の勇者召喚の魔導書が最近写本されていた事に気付いてよかった。危うくゴルシェが隠匿していた魔導書の行方が分からなくなるところだった」
「それとゴルシェ元伯爵の娘シンシアについてですが無事先程目を覚ましました。洗脳も解け意識もはっきりしているそうです。ただシオン様の魔法を掛けられた間の事はあまり覚えていないようです」
「父親の事は?」
「知らせました。涙は見せていましたが覚悟はしていたようですので立ち直りは早いでしょう」
「そうか・・・」
「ゴルシェ元伯爵により身体強化され洗脳の一環として脳に刻み込まれた剣術の腕もかなりのものと捕縛時の報告が上がっていますので私の側仕え兼護衛として召し抱えようと思います。そうすればユウキ様ももっと私を気を掛けてもらえるような気もしますし」
「・・・どうしてそう思う?」
「女の勘です」
「・・・」
「それに傍若無人な父親に迷惑を受けていた娘の苦労というのは程度は違いますがよく分かりますもの」
レティシア皇女もあのチンピラ勇者と婚約させられたりと思うところがあるのだろう。
「しかし皇族が反逆者の娘を召し抱えてもいいのか?」
「あらッ、皇族にすら敬意を払わないユウキ様がそんな事を気にされるのですか。随分気を回してくださいますこと。まあさすがにそのまま召し抱える訳にはいきませんので前歴なしという事で小貴族の養女に入ってもらってからとなりますが」
「ま、そんなとこだろうな」
「それと一つ疑問に思っていたのですがシオン様の魔法に掛かっている間中無防備になるためサヤカ様に護衛を依頼されていましたが何故そんな危険を冒されたのです?帝国の守り、というより帝国自体を信用していないのでしょう?シオン様の要望ではあるのでしょうが何故今ユウキ様がそのような危険を冒すのかよく分かりません」
実際勇気はシュナ沖海戦で帝国軍十万を皆殺しにし今回も手は下していないが同じく帝国軍十万が壊滅状態となっていた。
帝国上層部は魔獣災害や今回現れた未知の三本足の巨大怪獣などの脅威を理解しているため協力的ではあるが末端までは分からなかった。
これまでの戦闘で犠牲になった帝国軍の兵士の親兄弟親友知人が復讐を望み後先考えず襲い掛かってくる可能性だってあったのだ。
「今後新たな勇者が呼ばれる悲劇を避けたいというのはあるんだけどな」
「それだけでは危険を冒す動悸として弱いと思います」
「・・・レティシアには今後とも協力してもらわないといけないからいいか。実はな・・・」
勇気はこれから来るであろう”世界の危機”について語り始めた。
次章は怪獣大決戦の予定です。




