第三話 薬草畑
ゴブリン討伐から三日が過ぎた。
工場街の日常は驚くほど変わらなかった。
蒸気機関は唸り続ける。
煙突は煙を吐き続ける。
食堂には労働者が集まり続ける。
誰もが自分の生活に忙しい。
ゴブリン五体の討伐など、この街にとっては小さな出来事だった。
「おい悠人」
朝。
食堂の裏口で野菜を運んでいた悠人に女将が声を掛けた。
「今日は東の農園に行っておいで」
「農園ですか?」
「薬師の婆さんから依頼」
「依頼?」
「雑草取りだよ」
悠人は少し拍子抜けした。
冒険者の仕事ではない。
完全に農作業だった。
農園は街外れにあった。
小さな石造りの家。
畑、乾燥棚、薬草の匂い。
そこに白髪の老婆がいた⋯背は低い、しかし目は鋭い。
「お前が悠人か」
「はい」
「話は聞いてる」
何の話だろう、少し不安になった。
作業は単純だった。
薬草畑の除草。
腰が痛い。
地味だ、非常に地味だった。
しかし途中で気付く。
植えられている植物が面白い。
見たことのない種ばかりだ。
「これ……」
葉を一枚持ち上げる。
シソに似ているだが微妙に違う。
「何だい」
老婆が近付いてくる。
「いや、葉脈が面白いなと」
「ほう」
老婆の目が細くなる。
昼。
休憩時間。
悠人は薬草を眺めていた。
異世界に来てから初めて少し楽しいと思った。
大学の授業より面白い。
「それは眠り草」
老婆が言う。
「こっちは?」
「熱冷まし草」
「へえ」
ノートが欲しかった。
記録したい。
写真も撮りたい。
スマホが恋しい。
その時だった。
畑の向こうから怒鳴り声が聞こえた。
誰かが走ってくる、見覚えのある顔だった。
ヨルンだった。
「先生!」
老婆が顔をしかめる。
「何だい騒がしい」
「森で怪我人が出た!」
空気が変わる。
「誰だ」
「木こりです」
「噛まれたのか」
「はい」
老婆は立ち上がった。
動きに迷いがない。
「薬箱」
悠人は慌てて運ぶ。
森の入口、木こりが横たわっていた。
顔色が悪い⋯足が血で濡れている。
周囲には家族らしい人々、皆不安そうだった。
老婆は黙って傷を見る。
「牙だね」
「魔物ですか」
「小型だろう」
傷を洗う。
薬を塗る。
包帯を巻く。
その様子を悠人は見ていた。
手際が凄かった。
現代医療には遠く及ばない。
それでも経験がある。
何十年も積み重ねた技術があった。
帰り道。
ヨルンが言った。
「最近多いんだ」
「魔物が?」
「ああ」
少し考えてから続ける。
「例年より多い」
悠人は空を見上げた。
灰色の雲。
煙突の煙。
遠くに森。
その向こうには戦争がある。
魔族がいる。
魔王がいる。
まだ実感はない。
だが何かが少しずつ近づいている気がした。
夕方、食堂へ戻る。
ミラが待っていた。
「どうだった?」
「雑草抜いてた」
「地味」
「うるさい」
ミラは笑った。
しかしすぐ真面目な顔になる。
「ねえ」
「ん?」
「冒険者になろうと思わない?」
悠人は驚く。
「俺が?」
「そう」
「無理だろ」
即答だった。
ゴブリン一匹で足が震えた男である。
冒険者など務まる気がしない。
だがミラは首を振った。
「案外向いてるかもよ」
「何で」
「馬鹿じゃないし」
「褒めてる?」
「半分くらい」
夜。
食堂は賑わっていた。
酒・笑い声・皿の音。
工場街の一日が終わる。
ガルドは相変わらず無口だった。
しかし帰り際一言だけ言った。
「明日休みだ」
「はい」
「武器屋へ行くぞ」
悠人は固まる。
「武器屋?」
「冒険者になるなら必要だ」
「俺まだなるって言ってませんけど」
ガルドは肩をすくめた。
「そうか」
そう言いながら少しだけ笑った。
初めて見る表情だった。
その夜。
悠人はベッドの上で天井を見つめていた。
異世界に来て一週間、ようやく生活が見えてきた。
食堂、工場街、薬草畑、衛兵⋯冒険者、そして森の魔物。
まだ何者でもない。
英雄でもない。
勇者でもない。
だがこの世界で生きていくなら。
何かを選ばなければならない。
そんな予感がしていた。




