第二話 初めての依頼
工場街に来て五日が経った。
佐伯悠人は食堂の裏庭で木箱を運んでいた。
「重っ……」
額から汗が流れる。
大学ではこんな肉体労働をしたことがない。
運動不足の身体には堪えた。
「遅い」
後ろから声が飛ぶ。
振り返る。
食堂の看板娘のミラだった。
17歳で栗色の髪を後ろで束ねている。
「お前、本当に男か?」
「失礼だな」
「私より体力ないじゃん」
否定できなかった⋯悔しい。
工場街での生活は忙しかった。
朝は仕込み、昼は配膳、夜は皿洗い。
空いた時間には荷運び。
その代わり寝床と食事は確保できる、ありがたい話だった。
「しかし本当に異世界なんだな……」
悠人は時々そう思う。
空に月は二つある。
魔法も存在する。
先日、街角で若い魔法使いが火球を飛ばしているのを見た。
本物だった、感動した。
五分ほど見学していたら怒られた
昼過ぎ、食堂に衛兵がやって来た。
見覚えのある顔だった。
先日の魔獣の襲撃の時知り合った若い衛兵のヨルンだ。
「ガルドさんいるか?」
「いる」
ガルドが顔を出す、ヨルンは難しい顔をしていた。
「東の農地でゴブリンが出た」
店内の空気が変わる。
「数は?」
「五体」
少なくない、ガルドは腕を組む。
「衛兵だけで足りるだろ」
足りるとヨルンは答える。
「だが人手が欲しい」
夕方、悠人は武器庫の前に立っていた。
理由は簡単だった、ついて行くことになった。
もちろん戦力ではない荷物持ちだ。
予備の槍や水袋を運ぶ係。
それでも内心は少し興奮していた。
ゴブリン討伐⋯⋯異世界らしいイベントである。
オタク心が刺激される。
「うおお……」
「浮かれるな」
ガルドに頭を叩かれた。
「痛い」
「死ぬぞ」
一言で現実に戻された。
出発したのは六人。
衛兵三人に冒険者二人。
そして荷物持ちの悠人。
街から一時間ほど歩く、畑が広がっていた。
麦畑の一部が荒らされている、足跡もある。
「これか」
ヨルンがしゃがみ込む、足跡は小さい⋯しかし数が多い。
悠人も覗き込んだ、植物学の知識はあっても追跡術はない。
何も分からない。
だが荒らされた作物を見ると少し気付くことがあった。
「これ、食べられてますね」
「当たり前だろ」
冒険者が言う。
「いや、踏み荒らしただけじゃなくて選んで食べてる」
皆が見る。
悠人は葉を持ち上げた。
「柔らかい部分だけなくなってる」
ヨルンが感心したように頷く。
「なるほど」
初めて役に立った気がしたて少し嬉しい。
森の入り口で見つけた⋯⋯ゴブリンだ。
本当にいた。
緑色、大きな耳、汚れた革鎧、ゲームで見たままの姿。
だが実物は不快だった。
臭い。そして目が獣だった。
「三体」
ヨルンが囁く。
「静かに囲むぞ」
皆が動き出す、悠人は後ろに下がる。
その時だった。
枝が折れた、自分の足元だった。
最悪だった。
ゴブリンが振り向く⋯⋯目が合った。
「ギィッ!」と叫び声。
次の瞬間には走ってきていた。
速い、思ったよりずっと速い。
「うわっ!」
悠人は後退する。
ゴブリンの棍棒が振り下ろされる。
間一髪で避ける。
地面に叩きつけられた棍棒が土を抉った。
もし頭に当たっていたら死んでいた。
本当に。
簡単に。
死んでいた。
恐怖で息が止まる。
「下がれ!」
ヨルンの槍がゴブリンを貫く。
血が飛んだ。
赤黒い血だった。
ゴブリンは苦しそうに暴れた後、動かなくなる。
悠人は固まった。
ゲームではない。
モンスターだ。
だが生き物だった。
死ぬ時は死ぬ。
それを初めて理解した。
討伐自体は十分で終わった。
衛兵たちが慣れていたからだ。
五体全てを仕留めた。
しかし帰り道の空気は重かった。
一人が怪我をした、腕を深く噛まれていた。
命に別状はない。
だが痛々しかった。
夜、食堂で簡単な打ち上げが行われた。
衛兵たちは酒を飲む。
ミラは興味津々で話を聞いている。
「どうだった?」
悠人はしばらく考えた。
そして答えた。
「怖かった」
正直な感想だった、皆が笑う。
しかしガルドだけは笑わなかった。
「それでいい」
彼は酒を飲みながら言った。
「怖くなくなった奴から死ぬ」
店内が少し静かになる、誰も反論しない。
その言葉には重みがあった。
その夜、悠人は眠れなかった。
ゴブリンの顔が浮かぶ、血の臭いが残っている。
⋯異世界は面白い。
⋯だが危険だ。
⋯本当に死ぬ。
それを理解した一日だった。
窓の外では工場の煙突が夜空へ煙を吐いている。
遠くで汽笛が鳴った。
そして誰も知らない場所で。
人類と魔王軍の戦争は今も続いていた。




