表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
98/146

月明かりの遠足、夜光虫は恋を急がせない ――しおかぜ、閉店後の浜辺へ

その夜の「しおかぜ」は、よく働いた。


黒糖プリンは昼過ぎに一度追加を出し、それでも夕方には完売した。観光客は「また来ます」と笑い、常連のおばあは「リョウちゃん、今日もよう動いたさぁ」と亮介を褒め、玲奈は厨房の奥で、いつも通り涼しい顔をしていた。


最後の客が帰る頃、空には大きな満月が出ていた。


帰り際、常連のおじいが店先でぽつりと言った。


「今夜は月がええ。浜に行けば、夜光虫が見えるかもしれんさぁ」


亮介の目が光った。


「夜光虫?」


「波打ち際が青く光ることがあるさぁ。毎晩じゃないけどね。見えたら、なかなか綺麗よ」


おじいが帰った後、亮介はすぐ玲奈を見た。


「行きましょう」


玲奈はカップを拭きながら即答した。


「明日の仕込みがあります」


「五分だけ」


「五分で行って帰れる距離ではありません」


「じゃあ十五分」


「距離の問題です」


亮介は諦めなかった。

閉店作業をいつもより早く終わらせ、コーヒーを小さなボトルに詰め、売り物には出せない形崩れの黒糖プリンを箱に入れる。


「遠足セットです」


玲奈は呆れたように見た。


「閉店後に遠足という概念を持ち込まないでください」


「でも、楽しそうでしょう?」


「……自然観察です」


「じゃあ自然観察セットで」


玲奈は返事をしなかった。

けれど、エプロンを外し、髪を整えた。


それは、行くという意味だった。


夜の島道を二人で歩く。


昼間の南ぬ島とは違う、静かな世界だった。草の匂い、潮の匂い、遠くの波音。満月は明るく、白い道を海へ向かって伸ばしていた。


浜へ着くと、月明かりが水面に銀色の帯を作っていた。

波は静かに寄せて返し、白砂は淡く光っている。


亮介は子どものように波打ち際へ近づいた。


「見えるかな」


玲奈は少し離れて言う。


「条件次第です」


「夢がないなあ」


「自然現象ですから」


その時、波が足元まで寄せた。


砂の上に、小さな青白い光がふっと浮かんだ。


亮介が息を呑む。


「光った」


また波が来る。

今度は、星屑を散らしたように、青い点がちらちらと揺れた。


派手ではない。

でも、静かな浜辺に浮かぶその光は、息をひそめたくなるほど綺麗だった。


玲奈も、少しだけ目を見開いた。


「ふーん……綺麗ですね」


亮介が笑う。


「それ、感動してる時の言い方?」


「しています」


「表情が控えめすぎる」


「仕様です」


二人は浜辺に座った。


亮介が箱を開け、黒糖プリンを差し出す。

満月の下で食べる黒糖プリンは、店で食べる時とは少し違う味がした。黒糖の甘さに、夜風の冷たさと、波音の静けさが混ざっている。


亮介が言う。


「夜営業、できるんじゃないですか。満月限定とか」


玲奈は即答する。


「却下です」


「早い」


「労働時間が増えます」


「月一回だけ」


「仕込みと片づけが増えます」


「夢がないなあ」


玲奈は少し黙った。


そして、月明かりの海を見たまま言った。


「営業ではなく、閉店後の小さな遠足なら……月に一度くらいは、検討します」


亮介の顔が明るくなる。


「かなり前向きですね」


「福利厚生です」


「誰の?」


玲奈は少しだけ間を置いた。


「主に、あなたの」


亮介は黙った。

その言葉が、やけに温かかったからだ。


「ありがとう」


玲奈は返事をしない。

ただ、風が少し強く吹いた時、ほんの少しだけ亮介の方へ肩を寄せた。


「寒いんですか?」


「風向きの問題です」


「そういうことにしておきます」


「そうしてください」


波打ち際で、また青白い光が揺れた。


亮介は過去を背負っている。

玲奈も、待つことでしか癒せなかった時間を抱えている。

けれど今夜だけは、返済も、帳簿も、店の仕込みも、少し遠くにあった。


ただ、満月。

夜光虫。

形の崩れた黒糖プリン。

そして、隣にいる人。


帰り道、亮介がぽつりと言った。


「今日、来てよかった」


玲奈はすぐ答える。


「明日の仕込みが遅れます」


「台無し」


少し歩いてから、玲奈が小さく付け足した。


「でも……来てよかったです」


亮介は笑った。


「相違ありません」


玲奈は横目で見た。


「勝手に使わないでください」


「嬉しかったので」


「なら、今回は許可します」


満月の光が、二人の影を島道に長く伸ばしていた。


「しおかぜ」は閉まっている。

けれど、その夜の二人の中では、小さな青い灯りがまだ消えずに残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ