しおかぜ、元上司たちの恋愛監査を受ける ――遥室長と隼人補佐官、南ぬ島に現る
波田巌蔵が嵐のように「しおかぜ」を去ってから、数週間後。
今度は、もう少し静かな嵐がやって来た。
平日の午後。
黒糖プリンはまだ残り、常連のおばあたちは窓際でゆんたくをしている。亮介はホールを軽やかに回り、玲奈は厨房でコーヒーを淹れていた。
扉のベルが鳴る。
入ってきたのは、柔らかい笑顔の女性と、きっちりした立ち姿の男性だった。
芹沢遥室長。
藤堂隼人補佐官。
「玲奈さん、すっかりカフェ経営者だら」
遥は昔と変わらない調子で笑った。
玲奈は一瞬、時が戻ったような顔をした。
「……お久しぶりです、遥室長。藤堂補佐官」
「堅いなぁ、玲奈さん。今日は客だよ」
二人は今も戦隊ヒロインプロジェクトのフロントとして動いていた。メンバーの入れ替わりはあるが、イベントも広報も好調。近々、OGを集めた企画も考えているという。
「玲奈さんも、どうかなって」
遥は黒糖プリンをひと口食べながら言った。
玲奈は少しだけ視線を落とす。
「うーん……」
即答はできなかった。
懐かしい。
でも、遠い。
今の自分は、島で黒糖プリンを作る女でもある。
その一方で、店内の別のテーブルでは、亮介と隼人が妙な空気で打ち解けていた。
亮介が小声で聞く。
「藤堂さんも……かなり尻に敷かれてます?」
隼人は真顔で答えた。
「敷かれているのではない。合理的に従っているだけだ」
「それ、敷かれてますね」
「君も同類だな」
二人はなぜか固い握手を交わした。
遥と玲奈はカウンターで、いつの間にかガールズトークになっていた。
遥がため息をつく。
「隼人くん、仕事はできるんだけどねぇ。家でも会議資料みたいに話すだら」
玲奈は頷く。
「亮介さんも、会話が長いです。特に女性客相手だと」
「それは困るねぇ」
「接客だと言い張ります」
「隼人くんも“合理的判断です”って言い張るよ」
二人は、少しだけ笑った。
一方、男同士の会話も深刻そうで、実際はしょうもなかった。
亮介「毎日、勤務評価があります。昨日は八十三点でした」
隼人「高い方では?」
亮介「減点理由は“観光客への笑顔が過剰”です」
隼人「遥は私の冷蔵庫の詰め方に評価をつける」
亮介「冷蔵庫も評価対象ですか」
隼人「卵の位置に合理性がないと言われた」
亮介「それ、完全に家庭内監査ですね」
隼人「君の方も、業務監査という名の愛情管理では?」
亮介「愛情管理……いい言葉ですね」
玲奈の声が厨房から飛ぶ。
「亮介さん、減点です」
遥も笑顔で言う。
「隼人くん、聞こえてるよ」
男二人は同時に背筋を伸ばした。
常連のおばあたちは大爆笑。
「都会の偉い人も、しおかぜに来たら夫婦漫才さぁ」
遥はにこにこして言う。
「うちはまだ籍入れてないけどね」
玲奈がぽつり。
「私たちも、夫婦ではありません」
遥がすかさず返す。
「まだ、でしょ?」
玲奈の耳が赤くなる。
亮介は嬉しそうにする。
隼人はそれを見て、静かに言った。
「不用意に喜ぶと、後で減点されるぞ」
「経験者の助言、重いですね」
「合理的助言だ」
昼下がりの「しおかぜ」は、妙に賑やかだった。
遥は玲奈に言う。
「でも、いい顔してるね。昔の玲奈さんは、いつもどこか力が入ってた。今は……ちゃんと暮らしてる感じがする」
玲奈は、少しだけ黙った。
「そう見えますか」
「見えるよ」
「……なら、よかったです」
遥は黒糖プリンをもうひと口食べた。
「この味、玲奈さんらしいね。甘いけど、少し苦い」
玲奈は小さく笑った。
「よく言われます」
「亮介さんにも?」
「言わせません」
「言わせてあげなよ」
玲奈は答えず、カップを磨いた。
やがて夕方になり、遥と隼人は店を出ることになった。
「OG会、返事は急がないよ」
遥が言った。
「今の玲奈さんを見せるだけでも、みんな喜ぶと思う」
隼人も静かに頷く。
「無理に舞台へ戻る必要はない。ただ、君が元気でいることを知りたい者は多い」
玲奈は少しだけ目を伏せた。
「考えておきます」
二人が帰ったあと、「しおかぜ」は静かになった。
閉店処理をしながら、玲奈は洗ったカップを棚に戻す。
窓の外では、南ぬ島の夕暮れが海を淡く染めていた。
「戦隊ヒロインOG会かぁ……」
小さく呟く。
あの頃の自分。
県警の制服。カラーガード隊の凛とした華やかな衣装。ステージの光。危険な任務。仲間たちの声。
全部、遠い昔のようで、まだ胸の奥に残っている。
亮介が隣で静かに言った。
「行きたいなら、行けばいいと思います」
玲奈は少し驚いたように見た。
「行きたいかどうか、まだ分かりません」
「じゃあ、分かるまで考えればいい」
玲奈は窓の外を見た。
今の自分は、島カフェの店主だ。
でも、かつて戦った自分も、消えたわけではない。
懐かしさと、少しの迷い。
そのどちらも、夕暮れの潮風に溶けていく。
玲奈は静かに笑った。
「考えてみます」
それは、過去へ戻る返事ではなく、今の自分のまま、過去にもう一度手を伸ばしてみるための返事だった。




