大御所、島ぞうりで現る ――波田巌蔵、しおかぜに嵐のようにやってくる
平日の午後、「しおかぜ」はゆるやかに時間が流れていた。
常連のおじいは新聞を広げ、おばあたちは黒糖プリンを前に井戸端会議。亮介は水を配り、玲奈は厨房で豆を挽いていた。
そこへ、店の前にタクシーが停まる。
降りてきたのは、派手なアロハシャツにハーフパンツ、足元は島ぞうりの老人。年齢を重ねた歩みではあるが、背筋には妙な迫力がある。南国の観光客の格好なのに、どう見てもただ者ではない。
おじいが新聞の上から覗く。
「……どこの親分さんね?」
おばあが真顔で言う。
「島ぞうり履いた親分さぁ」
扉が開く。
「おい、玲奈。コーヒー飲みに来たぞぉ~!」
玲奈が厨房から顔を出し、珍しく目を見開いた。
「……波田顧問」
波田巌蔵。
戦隊ヒロインプロジェクトの大御所。玲奈にとっては、かつての上司であり、豪快で、面倒で、でも大きな存在だった。
波田は席にどっかと座る。
「今はな、ほぼ隠居よ。毎日毎日、暇で暇でしょうがねぇんだよ!」
豪快に笑う声で、店の空気が一気に変わる。
常連のおばあがすぐ食いつく。
「暇なら島に住めばいいさぁ」
「おう、悪くねぇな。朝からコーヒー飲んで、昼寝して、夕方から説教してやる」
「説教はいらんさぁ」
おじいが笑う。
「親分さん、釣りはするね?」
「昔は仕事ばっかで釣りなんざしてねぇ。だが暇なら覚えてやってもいいぞ」
「偉そうな初心者さぁ」
波田は大笑いした。
亮介が水を出すと、波田の目がぎらりと光る。
「オイ、水野。おめぇ、もう悪さは企ててねぇだろうなぁ」
亮介は背筋を伸ばす。
「はい。現在は皿を下げ、水を運び、人生も片づけております」
「よし。口だけは相変わらず回るな。次に悪さしたら、玲奈が海に沈める前に俺が説教してやる」
常連が感心する。
「リョウちゃんを一発で黙らせたさぁ」
やがて波田は、常連たちと完全に打ち解けた。
おばあが黒糖プリンを勧める。
「親分さん、これ食べなさい。玲奈ちゃんの名物さぁ」
「親分じゃねぇ。波田だ。……うまいな、これ」
「ほら、親分さんも黙ったさぁ」
「だから親分じゃねぇってんだ!」
店内は大笑い。
そこから波田は、玲奈の昔話を始めた。
「こいつな、昔はクールぶってたけど、けっこうやらかしてんだぞ」
玲奈の手が止まる。
「波田顧問。その話は不要です」
「不要な話ほど面白ぇんだよ」
波田はにやりと笑う。
「カラーガードの時なんざ、旗を格好よく振ったつもりが、後ろの隊員の帽子を吹っ飛ばしてな。本人は女優みてぇな顔で演技続行だ」
「あの玲奈ちゃんが?」
「想像できんさぁ!」
「しかもイベント衣装の撮影で、風が強ぇ日に髪が乱れてな。妙に色っぽい写真になっちまって、広報担当が“これは使える”って騒いだら、玲奈が本気で睨んで全員黙らせた」
おばあたちが大爆笑。
「玲奈ちゃん、色っぽい写真!」
「見たいさぁ!」
玲奈の耳が赤くなる。
「公開禁止資料です」
亮介が小声で言う。
「俺も見たいです」
「減点します」
「まだ何もしてません」
「顔が見たいと言っています」
波田はさらに、島の常連たちへ身を乗り出す。
「こいつはな、舞台でも取調べ口調だったんだ。後輩にマイク入ったまま説教して、観客席まで丸聞こえよ」
おじいが腹を抱える。
「玲奈ちゃん、昔から調書だったさぁ!」
「調書ではありません」
「今も注文が調書さぁ」
「厨房に戻ります」
玲奈は真っ赤になって引っ込んでしまった。
波田は、島の人たちとさらに話し込む。
「島の暮らしはどうだい」
おばあが答える。
「台風は怖いけど、人は近いさぁ」
「いいじゃねぇか。都会は隣の顔も知らねぇことがあるからな」
おじいが言う。
「ここは誰かが困ったら勝手に集まるさぁ」
波田は少し真面目な顔になった。
「玲奈がここに店を出した理由が分かる気がするぜ」
そして、厨房の奥に向かって大声を出す。
「玲奈! いい場所見つけたじゃねぇか!」
厨房から返事はない。
ただ、コーヒーを淹れる音が少しだけ優しくなった。
帰り際、波田はタクシーの前で振り返る。
「玲奈。また美味いコーヒー飲ませてくれ~。くたばる前にもう一度来るからよ!」
玲奈は少しだけ目元を緩めた。
「いつでもどうぞ。黒糖プリンも用意しておきます」
「おう。水野、ちゃんと働けよ!」
「はい!」
波田巌蔵は、嵐のように来て、嵐のように去っていった。
店内には、まだ笑いの余韻が残っていた。
おばあがしみじみ言う。
「玲奈ちゃん、すごい人に育てられたんだねぇ」
玲奈はカップを片づけながら、静かに答える。
「ええ。面倒で、乱暴で、声が大きくて……でも、大きな人でした」
その声は、少しだけ誇らしげだった。




