リョウちゃん、島でモテすぎ注意報 ――美人店主の冷たい視線と、しおかぜのおしどり未満
「しおかぜ」は、すっかり島の名物になっていた。
平久保岬へ向かう道沿いにある、小さな島カフェ。黒糖プリンと深煎りコーヒー、窓から入る海風。そして、女優のように美しいのに注文確認が妙に堅い店主・玲奈と、明るく人懐っこいウェイター・亮介。
観光客の口コミには、こう書かれている。
美人店主はクール。ウェイターさんは陽気。二人の掛け合いが面白い。黒糖プリンは絶品。
玲奈はその口コミを見るたびに、少し眉を寄せる。
「掛け合いではありません。業務連絡です」
亮介は笑う。
「お客さんには掛け合いに見えるんですよ」
「不本意です」
「でも好評です」
「なら、業務上は可とします」
そんな二人を、常連のおじい、おばあは毎日のように茶化した。
「もうおしどり夫婦みたいさぁ」
玲奈は即答する。
「まだ違います」
亮介がすぐ反応する。
「“まだ”なんですね」
玲奈の耳が、ほんの少し赤くなる。
「言葉の綾です」
「綾にしては希望がありますね」
「減点します」
「何の?」
「総合評価です」
店内に笑いが広がる。
玲奈は神戸生まれ神戸育ちで、目鼻立ちの整った都会的な美人だった。冷たい印象のあるアーモンドアイ、長い黒髪をすっきりまとめた姿は、今でも県警ポスターや戦隊ヒロイン時代を知る者なら振り返るほどだ。
だが実は、青年期を丹波篠山市で過ごしたため、自然のある暮らしも嫌いではない。南ぬ島の生活は、彼女の性に合っていた。
最近では「しおかぜ」で出す島野菜サンドのために、小さな家庭菜園まで始めていた。
朝、玲奈が畑で島オクラやミニトマトを見ていると、おばあが通りかかる。
「玲奈ちゃん、都会の顔して畑似合うさぁ」
玲奈は真顔で答える。
「食材管理です」
「楽しそうに見えるよ」
「管理の精度が上がっているだけです」
そう言いながら、オクラの育ち具合を見ている目は少し柔らかい。
亮介もまた、島暮らしを楽しんでいた。
実は四国の山奥育ちで、自然は好きだった。子どもの頃は川釣りをしていたが、海釣りはほとんど知らなかった。そこで地元のおじいに教わるようになり、定休日の朝には防波堤へ出る。
「リョウちゃん、竿の持ち方がまだ甘いさぁ」
「師匠、厳しいですね」
「玲奈ちゃんよりは優しいさぁ」
「それは間違いないです」
「聞こえています」
なぜか背後に玲奈がいる。
亮介は振り向き、笑う。
「見に来てくれたんですか?」
「釣果確認です」
「心配してくれたんじゃなくて?」
「釣果確認です」
「二回言った」
玲奈は視線を逸らす。
「早く釣ってください。店の仕込みがあります」
そんな二人を見て、おじいはにやにやする。
「おしどり未満さぁ」
「未満でもありません」
玲奈は即答したが、やはり少し赤くなっていた。
亮介の人当たりの良さは、島でも大いに発揮された。
常連のおばあには可愛がられ、地元のマダムからも「リョウちゃん」と呼ばれる。買い出しに行けば、商店のおばさんに野菜を一つおまけされ、港へ行けば漁師のおじいに魚を持たされる。
「リョウちゃん、これ持っていきなさい」
「いいんですか?」
「玲奈ちゃんに食べさせなさい」
「それは責任重大ですね」
「変な味つけしたら怒られるさぁ」
「それは本当に怒られます」
誰にでも自然に笑いかける。
相手の懐に入るのが早い。
話を聞くのも、褒めるのも上手い。
元敏腕詐欺師だった頃の性質は、今は人を笑顔にするために使われていた。
ただし、問題がひとつあった。
亮介は元ラガーマンで、体格がよく、顔立ちも整っている。さらに明るく、接客上手で、サービス精神が旺盛。観光客の若い女性グループが来ると、どうしても話が弾んでしまう。
「黒糖プリン、写真映えしますよ。海が入る席、ちょうど空きました」
「店員さん、優しい!」
「リョウちゃんって呼ばれてるんですか?」
「はい。島ではそう呼ばれてます」
「かわいい名前!」
「名前はかわいいですけど、中身はけっこう苦労人です」
女性客たちが笑う。
亮介も笑う。
厨房の玲奈の手が、ぴたりと止まる。
黒糖プリンを皿に置く音が、いつもより少し硬い。
常連のおばあが小声で言った。
「リョウちゃん、玲奈ちゃん怒ってるさぁ」
亮介が振り向く。
玲奈は涼しい顔でコーヒーを淹れている。
だが、目が冷たい。
「亮介さん」
「はい」
「五番テーブル、会話時間が長すぎます」
「接客です」
「過剰接客です」
「お客様が石垣初めてとのことで」
「観光案内は三十秒以内にしてください」
「短いなあ」
「十分です」
若い女性客がくすくす笑う。
「店主さん、もしかして嫉妬ですか?」
玲奈は表情を変えない。
「業務効率の問題です」
常連客が大笑いする。
「玲奈ちゃん、完全に焼きもちさぁ」
「違います」
即答したが、声が少し低い。
亮介は困ったように笑ったが、ほんの少し嬉しそうでもあった。
そのあと、玲奈の態度は分かりやすく変わった。
亮介が水を取りに厨房へ戻ると、玲奈は淡々と言う。
「観光客への会話は簡潔に」
「はい」
「女性グループだからといって、声を明るくしないでください」
「そんなつもりは」
「ありました」
「ありますかね」
「あります」
亮介が笑いをこらえる。
「玲奈さん、もしかして怒ってます?」
「怒っていません」
「目がすごく冷たいです」
「通常運転です」
「通常より三度くらい冷たいです」
玲奈は黒糖プリンの皿を差し出す。
「これを四番テーブルへ」
「五番じゃなくて?」
「四番です」
「五番の女性客のところには、俺を行かせない作戦ですね」
玲奈は一瞬だけ手を止めた。
「……効率的な配置です」
「なるほど」
「納得しないでください」
亮介がにこにこしていると、玲奈はさらに冷たい声で言う。
「笑っている場合ではありません。勤務中です」
「はい」
「返事が軽いです」
「はい、承知しました」
「“喜んで”は?」
「言ってません」
「言いそうでした」
店内では、常連たちがすべて聞いていて笑っていた。
「玲奈ちゃん、かわいいさぁ」
「かわいくありません」
「リョウちゃん、罪な男さぁ」
「昔の罪だけで手一杯です」
その返しに、おじいが吹き出す。
「うまいこと言うねぇ」
玲奈は少しだけ目元を緩めそうになり、慌てて真顔に戻った。
夕方、若い女性客たちが帰る時、亮介が外まで見送ろうとした。
「ありがとうございました。またぜひ」
玲奈がすぐ言う。
「店内からで十分です」
「はい」
女性客が笑う。
「リョウちゃん、店主さん大事にしてあげてくださいね」
亮介は少し真面目に言った。
「はい。大事にします」
玲奈の手が止まった。
常連のおばあたちが一斉に「あらまあ」という顔をする。
玲奈はすぐ視線を逸らし、コーヒーカップを拭き始めた。
「……閉店準備をします」
まだ閉店まで一時間あった。
常連のおじいが小声で言う。
「動揺しとるさぁ」
「していません」
「耳が赤いさぁ」
「照明の影響です」
「昼やさぁ」
店内にまた笑いが広がった。
その日の閉店後。
玲奈はカウンターを拭いていた。亮介は少し離れて、恐る恐る声をかける。
「玲奈さん」
「はい」
「今日、怒ってました?」
「怒っていません」
「じゃあ、嫉妬してました?」
玲奈の手が止まる。
長い沈黙。
「……仕事中に、私語が長かっただけです」
「そういうことにしておきます」
「そういうことです」
「でも、ちょっと嬉しかったです」
玲奈は振り向いた。
「何がですか」
「玲奈さんが、少し焼きもち焼いてくれたみたいで」
「焼いていません」
「はい」
「本当に焼いていません」
「はい」
「信じていませんね」
「信じたいです」
玲奈は、布巾をぎゅっと握った。
「減点します」
「何点ですか」
「三十点です」
「低い」
「女性客と話しすぎたので」
「やっぱりそこなんですね」
玲奈はしまった、という顔をした。
それを見て、亮介は笑いそうになる。
だが笑えばさらに減点されるので、必死でこらえた。
玲奈は少し俯き、小さな声で言った。
「……別に、話してはいけないとは言っていません」
「はい」
「でも、あまり楽しそうにしなくてもいいでしょう」
亮介の表情が柔らかくなる。
「分かりました」
「本当に分かっていますか」
「分かっています」
「私は別に、嫉妬しているわけではありません」
「はい」
「ただ、少しだけ……面白くなかっただけです」
それは、玲奈にしては精一杯の本音だった。
亮介は静かに頷いた。
「すみません」
「謝るほどのことではありません」
「でも、気をつけます」
玲奈は少しだけ顔を上げた。
「接客はしてください」
「はい」
「お客様には親切に」
「はい」
「でも、必要以上に楽しそうにしないでください」
「難しいなあ」
「努力してください」
亮介は微笑んだ。
「はい。努力します」
少し沈黙が流れた。
亮介がそっと言う。
「俺が一番楽しいのは、玲奈さんと店をやってる時です」
玲奈は、完全に黙った。
そして、布巾を畳み直しながら言った。
「……その発言は、減点対象ではありません」
亮介は嬉しそうに笑った。
「加点ですか?」
玲奈は視線を逸らす。
「保留です」
「厳しい」
「でも」
玲奈は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「悪くはありません」
南ぬ島の夜風が、窓をやさしく揺らした。
「しおかぜ」は、今日も賑やかだった。
美人すぎる店主は、相変わらずクール。
陽気なウェイターは、相変わらず少しモテすぎる。
そして、おしどり夫婦未満の二人は、常連たちに茶化されながら、少しずつ本物の恋人同士らしくなっていく。




