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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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黒糖プリンの甘さでは消えない罪 ――リョウちゃん、老いた被害者の怒りを受け止める

「しおかぜ」は、すっかり閑散期を忘れた店になっていた。


黒糖プリンは今日もよく出る。

亮介は、気のいいウェイターとして店内を軽やかに回っていた。


「黒糖プリン、今日はまだありますよ」

「おばあ、いつもの席どうぞ」

「写真撮りましょうか。海も入れますね」


その明るい声に、観光客も常連も自然と笑う。


その午後、初老の夫婦が入ってきた。


亮介はいつものように水を運んだ。


「いらっしゃいませ。黒糖プリン、まだございます」


男の顔が、そこで凍った。


「……水野亮介か」


店内の空気が止まった。


亮介の笑顔が消える。


次の瞬間、男は立ち上がり、亮介の胸倉を掴んだ。


「お前……お前らのせいで、うちは老後資金を数千万円失ったんだぞ!」


椅子が倒れた。

カップが震えた。

観光客が息を呑む。


「妻は夜も眠れんようになった! 病院通いだ! 俺はこの歳でまた働かなあかん! 分かるか? 人の人生を壊したんだぞ!」


亮介は抵抗しなかった。


「申し訳ありません」


声は低く震えていた。


「本当に、申し訳ありません」


「謝って済むか!」


男の手にさらに力が入る。


「テレビで見た顔だ。忘れるわけない。お前らみたいな連中が、どれだけ人を泣かせたと思ってる!」


玲奈が厨房から飛び出した。


「手を離してください」


声は静かだったが、鋭かった。


「お気持ちは分かります。でも、ここで暴力になれば、あなたが傷つきます」


「黙れ! あんたに何が分かる!」


玲奈は一瞬も目を逸らさなかった。


「私も、彼に騙された被害者です」


男の手が少し緩んだ。


店内がさらに静まる。


常連のおばあが震える声で言った。


「お客さん、怒るのは当然さぁ。けど、その子はいま逃げずに働いてるさぁ」


別のおじいも立ち上がる。


「昔の罪は消えん。消えんけど、今この店で水運んで、皿下げて、頭下げてる姿を、うちらは見てる」


「だから何や!」男は叫んだ。「働いたら許されるんか!」


亮介は顔を上げなかった。


おばあが涙ぐみながら言う。


「許せとは言わんさぁ。でも、ここでまた殴ったら、お客さんの心がもっと苦しくなるさぁ」


男の妻が震える手で夫の腕を掴んだ。


「もう……やめて」


長い沈黙のあと、男は亮介から手を離した。


亮介は崩れるように深く頭を下げた。


「私は、あなたのお金を直接扱った人間ではないかもしれません。でも、あの事件に関わった以上、無関係ではありません。あなたの怒りを否定する資格はありません」


声は震えていた。

けれど逃げなかった。


「許してほしいとは言いません。謝って済むとも思いません。それでも、逃げずに働きます。返せるものを、少しずつでも返していきます」


男は荒い息を吐いた。


玲奈は黒糖プリンを二つ置いた。


「召し上がってください。お代はいただきません」


「施しはいらん」


「施しではありません」


玲奈はまっすぐ言った。


「ここまで来た怒りを、少しだけ休ませるためです」


妻が、そっとスプーンを取った。

一口食べ、涙をこぼした。


「……おいしい」


男も黙って一口食べた。


悔しそうに、目を閉じた。


「悔しいな。うまい」


亮介は何も言えず、もう一度頭を下げた。


帰り際、男は亮介を睨んだ。


「許したわけじゃない」


「はい」


「一生背負え」


「はい」


「働け。逃げるな」


亮介は顔を上げた。


「はい。逃げません」


夫婦が帰ったあと、亮介はしばらく動けなかった。


お調子者で、人たらしで、いつも店を明るくする男が、真っ白な顔で立ち尽くしていた。


玲奈が隣に立つ。


「大丈夫ですか」


「……大丈夫じゃないです」


「でしょうね」


亮介は苦しそうに笑った。


「でも、常連さんたちが庇ってくれたのが……嬉しかったです。俺に、そんな資格ないのに」


玲奈は静かに答えた。


「資格があるから庇ったのではありません。今のあなたを見ているからです」


おばあが言った。


「リョウちゃん、明日は今日の三倍、水運ぶさぁ」


おじいも頷く。


「皿も三倍下げなさい」


亮介は、ようやく少しだけ笑った。


「はい。運びます」


その日の閉店後。


亮介はカウンターの端で、深く頭を下げた。


「玲奈さん。俺は、やっぱり罪から逃げられません」


玲奈は皿を拭きながら言った。


「逃げなくていいんです」


亮介が顔を上げる。


「背負って、働いて、返していけばいい。私も、ここにいます」


その言葉に、亮介の目が潤んだ。


黒糖プリンの甘さでは、罪は消えない。

けれど、逃げずに働く背中を見てくれる人たちはいる。


南ぬ島の夜風が、木製看板を静かに揺らしていた。

「しおかぜ」は、明日も開く。

許されるためではなく、逃げないために。

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