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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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しおかぜ、宣伝解禁します ――美人店主は出たくない、気のいいウェイターは前に出る

閉店後の「しおかぜ」は、今日も小さな会議室になっていた。


カウンターの上には、売上ノート、仕入れ表、電卓、そして黒糖プリンの試作品。玲奈は無表情で数字を見つめ、亮介は少し苦い顔で電卓を叩いていた。


「売上は悪くないんです」


亮介が言う。


「悪くありません」


玲奈も頷く。


「ただ……」


「ただ、返済計画にはまったく足りません」


亮介は苦笑した。


慰謝料。養育費。賠償金。

亮介の背負ったものは、黒糖プリンの甘さではごまかせないほど重かった。


「このペースだと、二十一世紀が終わっても返し終わらない可能性があります」


「長期計画にも限度があります」


玲奈は真顔で返した。


「値上げは?」


亮介が一応聞く。


「しません」


即答だった。


「常連のおじい、おばあが来づらくなります。しおかぜは、誰でも気軽にコーヒーを飲める店です」


「ですよね」


亮介はすぐ引いた。

昔の彼なら、限定セットだ、希少性だ、今だけだと言葉を重ねて値段を吊り上げていたかもしれない。だが、今は違う。


「押し売りも、煽り文句も、やりません」


「それは最低条件です」


「厳しいなあ」


「元詐欺師の経営会議です。厳格で当然です」


亮介は少し笑った。


二人は案を出した。


島の中心地への移転。

二号店。

高級セット。

団体予約専門日。


だが、どれも違った。


「中心地へ移れば客は増えます。でも、ここでなければしおかぜではありません」


玲奈は窓の外を見た。

平久保岬へ向かう道。少し不便で、風が強くて、でも海が近いこの場所。


「ここにあるから、しおかぜです」


二号店案も却下だった。


「オペレーションが雑になります」


「玲奈さん、オペレーションって言い方が警察っぽいです」


「店でも重要です」


話は行き詰まった。


その時、亮介が言った。


「閑散期を伸ばしましょう」


玲奈が顔を上げる。


「閑散期?」


「はい。繁忙期は十分来てくれています。でも、冬や平日、天気が微妙な日にはまだ余裕がある。今は二人体制です。受けられる客数は増えています。なら、もっと知ってもらうべきです」


「宣伝ですか」


玲奈の表情が曇った。


玲奈は、目立つことが苦手だった。

かつて県警のポスターに起用され、カラーガード隊として舞台に立ち、戦隊ヒロインとして注目を浴びた。必要だからやった。だが好きだったわけではない。


「私は顔出ししません」


「分かっています」


「インタビューも嫌です」


「それも分かっています」


「写真は後ろ姿まで」


「厳しいですね」


「当然です」


亮介は、少し真面目な顔になった。


「俺が前に出ます」


玲奈は黙った。


「観光情報誌、地元ラジオ、動画配信、取材対応。店主は厨房で黒糖プリンを作る。俺が話します」


「あなたが?」


「はい」


亮介は少しだけ目を伏せた。


「昔は、人を騙すために言葉を使っていました。今度は、ちゃんと店のために使いたいんです。嘘じゃなくて、本当にいいものを、本当にいいと言うために」


玲奈は、しばらく黙っていた。


その言葉には、昔の軽さがなかった。


「……分かりました」


亮介の顔が明るくなる。


「では、しおかぜ広報計画、始動ですね」


「ただし」


「はい」


「過剰表現は禁止。日本一、幻、奇跡、絶対、今だけ、選ばれた人だけ、などは使用不可」


「詐欺広告の禁止リストみたいですね」


「実際そうです」


「監査が厳しい」


「監査役は私です」


「でしょうね」


翌日から、亮介は動き出した。


まずは店の紹介文を作る。


平久保岬へ向かう道沿いの小さな島カフェ。黒糖プリンと深煎りコーヒー。観光客も地元客も、気軽に立ち寄れる場所です。


玲奈は赤ペンを入れた。


「“絶品”が消されています」


「本当に絶品ですよ」


「自称は品がありません」


「じゃあ“評判の”は?」


「可」


次に写真。


玲奈は正面から写らない。

手元、コーヒー、黒糖プリン、窓辺、ハンドメイド雑貨。

亮介はにこやかに写る。


常連のおばあがそれを見て笑う。


「リョウちゃん、看板息子さぁ」


「息子って年齢でもないですよ」


「玲奈ちゃんは看板美人なのに隠れるさぁ」


「隠れていません。厨房にいます」


亮介は地元ラジオの短い取材にも出た。

緊張しながらも、昔の接客経験が生きた。


「黒糖プリンは、店主が毎朝丁寧に仕込んでいます。甘いだけじゃなく、少し苦味があるんです。島の風の中で食べると、ちょうどいい味になります」


ラジオを店で聞いていた玲奈は、小さく呟いた。


「……悪くありません」


常連のおじいが笑う。


「玲奈ちゃん、褒めたさぁ」


「業務評価です」


「好きな男が頑張っとるの見て嬉しいんさぁ」


玲奈はコーヒーを置く手を一瞬止めた。


「注文を確認します」


「逃げたさぁ」


少しずつ、変化は出た。


ラジオを聞いた客。

観光情報サイトを見た客。

「気のいいウェイターさんが紹介していた店ですよね」と言う客。


閑散期の平日にも、ぽつぽつと客が増えた。


それでも、地元客の値段は変えなかった。

黒糖プリンも、いつもの価格のまま。


亮介は言った。


「このやり方なら、しおかぜを壊さずに広げられるかもしれません」


玲奈は頷く。


「今のところ、八十点です」


「高い」


「ただし、ラジオで“島の風がちょうどいい味にする”は少し詩的すぎます」


「そこ減点ですか」


「恥ずかしいです」


「店主が恥ずかしがるところまで含めて宣伝になります」


「却下」


閉店後、二人はまた帳簿を広げた。


売上は少しだけ上がっていた。

借金返済にはまだ遠い。

でも、前よりは確かに前進していた。


玲奈は静かに言った。


「亮介さん」


「はい」


「宣伝解禁は、継続します」


亮介は笑った。


「了解しました」


「ただし、次回の取材原稿も事前確認します」


「もちろんです」


「過剰表現は禁止」


「分かっています」


「顔出しはあなた」


「はい」


玲奈はコーヒーをひと口飲み、少しだけ目を細めた。


「私は黒糖プリンを作ります」


亮介は頷いた。


「俺は、それをちゃんと伝えます」


南ぬ島の夜風が、木製看板を揺らした。


「しおかぜ」は変わり始めていた。

値上げせず、場所も変えず、二号店も出さず。

ただ、この小さな店の良さを、少しだけ遠くへ届ける。


美人店主は前に出たくない。

気のいいウェイターは前に出る。

そして二人の経営会議は、まだまだ続く。

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