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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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黒糖プリンは値上げできない ――元警部補と元詐欺師、しおかぜ経営会議を開く

春の石垣の風は、少しだけ柔らかくなっていた。


「しおかぜ」は今日も賑わっていた。


平久保岬へ向かう観光客。

島の帰り道に立ち寄る地元のおじいおばあ。

黒糖プリンを目当てに来る若いカップル。


そして、カウンターの奥には、いつものように玲奈。


「ご注文を確認します。黒糖プリン二点、ブレンド一点。以上で相違ありませんか」


その声は相変わらず少し堅い。


すると横から、亮介が自然に入る。


「うちの店主、確認だけは元警察なんですよ」


「余計な説明は禁止です」


「でも、初見の人ちょっと緊張してますよ」


観光客の女性が笑った。


「元警察官なんですか?」


玲奈は小さく頷いた。


「少しだけ、です」


亮介が小声で言う。


「警部補だったのに、少しだけって」


「過去は過去です」


「でも今も怖いですよ」


「聞こえています」


そのやり取りに、常連のおばあが笑う。


「玲奈ちゃん、ちょっと丸くなったさぁ」


「なってません」


「前ならその男、島着いた日に海に沈んどったさぁ」


「物騒なこと言わないでください」


亮介は少し肩をすくめた。


「否定してくれないんですね」


「勤務態度次第です」


もう、それが二人の会話だった。


気づけば、亮介はすっかり「しおかぜ」の一部になっていた。


皿を下げる。

席を案内する。

常連のおばあの歩く速度に合わせる。

観光客に海の話をする。


大学時代、大手居酒屋チェーンで鍛えられた接客は、島でも驚くほど通用した。


「リョウちゃん、水ちょうだい」


「はい、すぐです」


「リョウちゃん、今日のプリンまだある?」


「最後の二つですよ。奇跡です」


「リョウちゃん、口がうまいさぁ」


「昔からです」


「そこは直しなさい!」


厨房から玲奈が即座に飛ばす。


店内が笑う。


島人たちは、もう亮介を受け入れていた。


もちろん、何も知らないわけではない。


亮介が、かつて巨額詐欺事件の片棒を担いでいたこと。

玲奈が被害者だったこと。

何年も待ち続けていたこと。


狭い島だ。噂は早い。


けれど、誰もその話を持ち出さない。


それが島人の心意気だった。


今の姿を見る。


皿を運ぶ。

頭を下げる。

誰かに優しくする。


その積み重ねを見て、島の人たちは判断していた。


ある午後。


いつもの席のおじいがぽつりと言った。


「リョウちゃん」


「はい?」


「昔のことは、聞かんさぁ」


亮介の動きが止まる。


おじいはコーヒーをすすった。


「でも、玲奈ちゃん泣かせたら、島中敵に回るよ」


亮介は深く頭を下げた。


「……分かっています」


厨房で聞こえていた玲奈は、何も言わなかった。


でも、黒糖プリンを一つ余計に皿へ乗せた。


「サービスですか?」


亮介が聞く。


「糖分補給です」


「本当は?」


玲奈は目を逸らした。


「……聞かないでください」


その日の閉店後。


最後の客を送り出し、シャッター代わりの木戸を閉める。


店内には、波の音だけが残った。


玲奈は帳簿を広げる。


亮介はコーヒーを淹れた。


最近の「しおかぜ」の定番だった。


閉店後の、しおかぜ経営会議。


玲奈が静かに言う。


「厳しいですね」


亮介は帳簿を覗き込む。


「……かなり厳しいですね」


店は賑わっている。


黒糖プリンも売れる。


口コミも良い。


でも、現実は甘くなかった。


亮介には支払いがある。


元妻への慰謝料。

重度障害のある息子への養育費。

さらに、過去の事件による賠償金。


門司港時代より生活は安定した。

でも、“人生の借金”はまだ終わらない。


玲奈は、それを分かっていた。


そして、一緒に背負う覚悟でいた。


ただ――


「今の売上では、二人食べるだけで精一杯です」


玲奈は真顔だった。


亮介は苦笑する。


「値上げ、します?」


「しません」


即答。


「常連のおじいおばあが来づらくなります。しおかぜの意味がなくなる」


「ですよねぇ……」


亮介は頭をかく。


「なら、売上を増やすしかない」


「押し売りは禁止です」


「昔の俺じゃないですよ」


「少し怪しいです」


「信用ないなぁ」


玲奈は小さく笑った。


それだけで、亮介は少し救われた。


二人で案を出す。


持ち帰り用焼き菓子。

観光客向けの限定セット。

玲奈のハンドメイド雑貨。

夕方限定のサンセットコーヒー。


亮介が真面目に言う。


「観光客向けに、少し贅沢なプリンセットはどうです? 普通の値段は変えないで」


玲奈は少し考えた。


「……悪くありません」


「勤務評価は?」


「七十五点」


「上がった?」


「ただし、元詐欺師っぽい営業感が少し残ってるので減点」


「厳しい」


「元警部補ですから」


亮介は笑った。


玲奈も、少しだけ笑った。


恋人なのか。

まだ恋人ではないのか。

夫婦なのか。

そうではないのか。


名前はまだ決まらない。


でも、同じ帳簿を見て、同じ未来を考えている。


それだけで、十分だった。


玲奈はコーヒーをひと口飲み、小さく言った。


「亮介さん」


「はい」


「経営会議、明日もあります」


「毎日ですか?」


「当然です」


「ブラック企業だなぁ」


玲奈は少しだけ得意げに言う。


「でも、福利厚生は良いですよ。黒糖プリン付きです」


亮介は吹き出した。


窓の外では、南ぬ島の夜風が看板を揺らしていた。


「しおかぜ」は明日も開く。


値上げしない黒糖プリンと、少し足りない現実と。


そして――


閉店後の、小さな経営会議とともに。

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