折れた夢を、港の灯りでもう一度結ぶ ――みうちゃん、神戸へ戻る日
みうちゃんの無実は証明された。
悪質な美容モデル契約の罠は暴かれ、詐欺会社は追い詰められた。県警の調査も、テレビの報道も、玲奈たちの動きも、すべてがみうちゃんの潔白を示していた。
けれど、心の傷は、書類一枚では消えなかった。
みうちゃんは神戸の美容専門学校を一時休学し、石垣へ戻ってきた。
両親も、おばあも、島の人たちも最初は言った。
「ちょっと休めばいいさぁ」
「海見て、黒糖プリン食べて、また元気になったら戻ればいいさぁ」
玲奈もそう思っていた。
だが、みうちゃんはなかなか笑わなかった。
「しおかぜ」に来ても、以前のような明るい声は出ない。
黒糖プリンを前にしても、スプーンを持つ手が止まる。
神戸の話になると、目が少し伏せられる。
ある夕方、玲奈は閉店後の店にみうちゃんを残した。
窓の外には、南ぬ島の淡い夕暮れ。
カウンターには、黒糖プリンが二つ。
玲奈は静かに言った。
「みうちゃん。少し、私の話をします」
玲奈は、自分の過去を話した。
中学生の時に両親を事故で失ったこと。
丹波篠山市の山深い祖父母の家で青春時代を過ごしたこと。
警察官になったこと。
厳しすぎる交通取り締まりで恨まれたこと。
人前に出るのは嫌いなのに、県警ポスターやカラーガード隊、戦隊ヒロインとして表舞台に立ったこと。
危険な任務で捕らえられたこと。
本気で結婚を考えた男が敵のスパイだったこと。
そして、詐欺に遭い、数百万円を騙し取られたこと。
全部ではない。
でも、みうちゃんには十分すぎるほど重かった。
「玲奈さん……そんなに、いろんなことがあったんですか」
みうちゃんの目に涙が浮かぶ。
玲奈は少しだけ微笑んだ。
「神戸には、たくさん思い出があります。でも、辛いことの方が圧倒的に多い」
「それでも、好きなんですか」
「好きよ。街も、港も、山も、夜景も。私の生まれ故郷やからね」
玲奈は、みうちゃんを見る。
「その街で、みうちゃんが夢を叶えようとしている姿を見るのは、私は嬉しいんよ」
みうちゃんは黙った。
「でも……怖いです。また何かあったらって思うと」
「怖くて当然よ」
玲奈は即答した。
「怖くないふりをしなくていい。傷ついたなら、傷ついたままでいい。でも、夢まであの人たちに渡す必要はないわ」
みうちゃんの涙がこぼれた。
「私、神戸に戻ってもいいんですか」
「もちろん」
「みんな、私のこと変に思ってないですか」
「思っている人もいるかもしれない。でも、分かってくれる人もいる。大事なのは、みうちゃんが自分で自分を悪者にしないこと」
みうちゃんは、震える声で聞いた。
「玲奈さんが待ってる人って……」
玲奈は少し神戸弁を混ぜて笑った。
「数百万円、私から騙し取った人。真人間になったら私の前に現れるって言うてたけど……いつになるんやろね」
「どうして待てるんですか」
玲奈は少し考えた。
「何でやろね。帰ってくる場所を準備しておいたんやけど、帰って来ないかもしれん。それでもええのよ。島でカフェ開いて、地元の人たちと楽しくやってるし」
そして、穏やかに続けた。
「何より、みうちゃんにも会えたし」
みうちゃんは、初めて見る玲奈の柔らかい表情に息を呑んだ。
その時、みうちゃんのスマホが鳴った。
神戸のクラスメイトからだった。
みう、元気?
みんな待ってるよ。
戻ってきたら、また一緒に頑張ろう。
みうちゃんは、画面を見つめたまま泣いた。
その夜、テレビでは三好さつきがキャスターを務める報道番組が流れた。
神戸の美容モデル契約詐欺の特集だった。
さつきは、落ち着いた声の奥に怒りを込めて語った。
「夢を持って地方から出てきた若者を食い物にする詐欺は、絶対に許されません。被害に遭った学生の皆さん、どうか夢を諦めないでください」
みうちゃんは、涙を拭いた。
「玲奈さん……私、戻ります」
玲奈は頷く。
「行ってきなさい。神戸へ」
「また怖くなったら?」
「霧笛へ行きなさい」
「泣いたら?」
「泣いてから寝なさい。翌朝、学校へ行けばいい」
「失敗したら?」
「報告しなさい。隠すのは禁止です」
みうちゃんは、久しぶりに笑った。
「相違ありませんか?」
玲奈も少しだけ笑う。
「相違ありません」
数日後、みうちゃんは再び神戸へ向かった。
石垣空港には、両親、おばあ、常連たち、そして玲奈がいた。
以前の旅立ちより、少しだけ静かだった。
でも、強かった。
みうちゃんは搭乗口の前で振り返った。
「玲奈さん。私、神戸で夢を叶えてきます」
玲奈は静かに答えた。
「ええ。髪を切る手で、人の気持ちも少し軽くしてあげられる人になりなさい」
みうちゃんは涙をこらえ、深く頷いた。
「行ってきます」
飛行機が空へ上がる。
玲奈は、南ぬ島の空を見上げた。
みうちゃんの夢は、折れていなかった。
少し傷ついただけだった。
そしてその傷は、神戸の港の灯りと、石垣の潮風と、「しおかぜ」の黒糖プリンが、もう一度そっと結び直した。




