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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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黒い契約書を叩き割れ ――冷徹なる美貌のボス、神戸の闇へ踏み込む

霧笛の奥のテーブルに、証拠は揃っていた。


契約書の矛盾。

学生たちの証言。

みうちゃんのメッセージ履歴。

日協商事残党の影。

そして、地方から出てきた若者を狙う、黒いモデル契約の全体像。


玲奈は資料を閉じた。


「行きます」


その一言で、空気が変わった。


三宮の外れにある雑居ビル。

看板には、いかにも綺麗な言葉が並んでいた。


美容学生支援。モデル登録。夢を形に。


だが扉の向こうにあったのは、夢ではなかった。

安い香水の匂い、くたびれたコピー機、嘘くさい成功写真、そして奥に座る半グレ風の男たち。


あかりが小声で言う。


「久しぶりの任務ですね」


彩香が即座に睨む。


「遊びちゃうわ。みうちゃんの人生がかかっとるんや」


「すみません……」


玲奈は前へ出た。


「契約内容と勧誘方法について確認に来ました」


男の一人が笑った。


「なんや、おばはんら。帰れや」


次の瞬間、男が資料を奪おうと手を伸ばした。


あかりが動いた。


迷いがない。

突貫娘の名にふさわしく、低く踏み込み、相手の手首を払って体勢を崩す。男がよろめいたところへ、彩香が一歩で間合いを詰めた。


速かった。


彩香の動きは、鋭く、無駄がない。

腕を取る。肩を落とす。床へ制する。

叫ぶ暇すら与えない。


「動くな」


その声は冷たかった。


別の男が玲奈へ向かった。


玲奈は避けなかった。

半歩だけ身体をずらし、相手の力を流す。手首を掴み、肘を極め、机へ押さえつける。

元警部補の身体は、まだ覚えていた。

戦うための動きではない。制圧するための動きだった。


「暴力で帳簿は消えません」


玲奈は静かに言った。


奥の男たちが逃げ出す。


だが、裏口には美音がいた。


革のジャケットを揺らし、細い路地を塞ぐ。

大型二輪で鍛えた反応と間合い。逃げる男の進路を読んで、一歩先に立つ。


もう一人は駐車場へ走った。

そこへ結月が回り込む。


元女子競輪選手の脚は、街中でも容赦がない。

相手が角を曲がる前に距離を詰め、逃げ場を潰す。


「足で逃げる相手なら、私の仕事です」


結月は息一つ乱していなかった。


澄香は出口を押さえ、麻衣は震える若い女性スタッフを保護した。

美月は関西弁の勢いで、周辺の野次馬と管理人を整理している。


「はいはい、邪魔せんといてや。こっちは真面目な話しとんねん」


現場の空気は、完全にNSTのものだった。


最後は彩香が引き継いだ。

ここから先は、現役警察官の領域である。


県警の調査は綿密だった。

みうちゃんの名前が業者の記録に残っていたのは事実。

だが、契約の核心である登録料や違約金を知らされる前に友人へ話していたこと、業者から「費用の説明はこちらでする」と言われていたこと、本人にも利益が渡っていないことが確認された。


みうちゃんは、加害者ではなかった。

善意を利用された被害者だった。


県警側も、若い学生を不要に傷つけないよう配慮してくれた。

任意聴取は終わり、学校にも説明が入った。


それでも、みうちゃんの顔は晴れなかった。


霧笛のカウンターで、彼女は両手でカップを包んでいた。

島でのんびり育った、純粋で明るい少女には、あまりにも刺激が強すぎた。


「玲奈さん……私、戻っていいんですよね。学校に」


玲奈は静かに頷いた。


「もちろん。あなたは悪くない」


「でも、友達に迷惑かけました」


「それは、これから謝ればいい。時間をかけて戻せばいい」


みうちゃんは小さく頷いたが、いつもの明るさはまだ戻らない。


その時、霧笛のテレビにニュースが流れた。


若手人気キャスターとなった三好さつきが、落ち着いた声で原稿を読む。


「神戸市内の美容モデル契約をめぐる悪質商法事件で、地方出身の美容学生らを狙った組織的な勧誘手口が明らかになりました――」


さつきはコメンテーターへ視線を向ける。


「地方から夢を持って出てきた真面目な若者を食い物にする詐欺は、許せないですよね」


コメンテーターが重く頷く。


「まったくその通りです」


あかりがぽつりと言った。


「さつきさん、めっちゃキャスターですね」


美月が笑う。


「そら本職や」


少しだけ、空気が和らいだ。


玲奈はみうちゃんの前に黒糖プリンを置いた。

石垣から持ってきたものではない。霧笛の女主人が、玲奈のレシピを少し借りて作ったものだった。


「食べなさい」


「玲奈さん……」


「必要な糖分補給です」


みうちゃんは、泣きそうな顔で笑った。


「それ、久しぶりに聞きました」


玲奈は少しだけ目元を緩めた。


「次から契約書は必ず読むこと」


「はい」


「分からなければ相談すること」


「はい」


「相違ありませんか」


みうちゃんは涙を拭いた。


「相違……ありません」


神戸の夜は冷たかった。

だが、霧笛のカウンターだけは温かかった。


冷徹なる美貌のボスは、島の少女を調書の向こう側から連れ戻した。

けれど本当に彼女を救うには、もう少し時間が必要だった。


傷ついた心は、契約書のようにその場で破れない。

ゆっくり、黒糖プリンの甘さみたいに、少しずつ戻していくしかない。

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