黒い契約書は、まだ日協の匂いがした ――美容モデル契約の罠、冷徹なる美貌のボスが牙を剥く
霧笛の奥のテーブルは、数年ぶりに作戦本部の顔をしていた。
神戸港近くの純喫茶。
昼間は静かにコーヒーを出し、夜は港の灯りを窓に映す店。
その一角に、契約書、名刺、SNSの投稿、被害学生の証言メモ、雑居ビルの登記情報、業者の説明資料が並べられている。
玲奈は、黒いコーヒーを一口だけ飲んだ。
「見えてきたわね」
声は低かった。
麻衣が被害学生から聞き取った証言を整理する。
「最初は全員、“無料撮影”と説明されています。登録料の話が出るのは、撮影後です」
彩香が資料をめくる。
「県警側に上がっている相談も同じです。地方出身の美容学生、進学直後、神戸にまだ不慣れな子が多い」
美月が、雑居ビルの管理会社から拾った話を報告する。
「借り主の会社名と、実際に出入りしてる連中の名刺の会社名が違う。胡散臭すぎるわ」
あかりは拳を握る。
「乗り込みましょう!」
玲奈は即答した。
「まだ早い」
「ですよね!」
あかりは自分で言って、自分で引っ込んだ。
霧笛の女主人が、黙ってコーヒーを足していく。
資料を重ねるほど、業者の手口は明らかになっていった。
ターゲットは、地方から来た若い美容学生。
都会に慣れていない。
夢がある。
友人を作りたい。
就職に役立つ実績が欲しい。
そこへ、「ヘアメイク作品モデル」「ポートフォリオ撮影」「学生支援」という甘い言葉を差し出す。
最初は無料。
次に登録料。
さらに事務手数料。
契約解除には違約金。
そして、友人を紹介すれば負担が減るという仕組み。
被害者を、次の被害者を呼ぶ道具にする。
それが一番悪質だった。
みうちゃんは、その罠にかかった。
善意で友人に声をかけた。
結果として、警察からは“紹介者”に見える位置に置かれた。
玲奈の指先が、契約書の一文で止まった。
「ここ」
全員が覗き込む。
契約書には、登録料と違約金の条項がある。
しかし、みうちゃんが署名した控えには、重要事項説明の欄に空白が残っていた。
別の被害者の契約書には、その欄が後日書き足されたような形跡がある。
彩香の目が鋭くなる。
「説明前に署名させた可能性がありますね」
「ええ。それに、みうちゃんが友人へ紹介した時点では、この違約金の説明を受けていない」
玲奈は、みうちゃんのスマートフォンから保存したメッセージを表示した。
無料です。学生支援なので安心してください。
詳しい費用の説明はこちらでします。友達にはまず撮影の話だけで大丈夫です。
麻衣が息をのむ。
「つまり、みうちゃんは金銭請求の実態を知らずに紹介している」
「そう」
玲奈は静かに頷いた。
「みうちゃんを勧誘側に見せるため、業者が意図的に重要な情報を伏せている」
その時、美音から追加資料が届いた。
浜松からオンラインでSNSの広告経路を追っていた彼女が、募集アカウントの過去投稿と関連会社の痕跡を掴んだのだ。
玲奈は資料を開いた。
そこに出てきた名前を見た瞬間、空気が変わった。
日協商事。
正確には、日協商事本体ではない。
かつてNSTと県警が追い詰めた悪質商法組織の残党。
名義を変え、業種を変え、金地金のペーパー商法から若者向け撮影契約商法へ鞍替えしていた。
玲奈の美しいアーモンドアイが、凍るように冷たくなった。
彩香も、資料を握る手に力を込めた。
「まだ残っていたんですか……」
「詐欺師は、商材を変えても匂いが変わらない」
玲奈の声は、怒りを抑え込んでいるほど静かだった。
「高齢者から金を奪っていた連中が、今度は若い子の夢を食い物にしている」
美月が低く言う。
「最低やな」
あかりも珍しく黙った。
玲奈は怒っていた。
だが、怒りで動くほど若くはない。
「まず、みうちゃんを救う。次に、この会社の構造を崩す」
彩香が頷く。
「契約書の矛盾を突きましょう」
「その前に、法的な裏取りが必要です」
玲奈はヒロ室本部へ連絡した。
対応したのは、内田あかねだった。
かつて法学を武器に戦隊ヒロインとして活動していた彼女は、今ではヒロ室の顧問弁護士となっていた。
画面越しのあかねは、契約書データを見てすぐに眉を寄せた。
「これはかなり雑ですね。説明義務、消費者契約、未成年・学生相手の勧誘方法、いくつも突けます」
玲奈が尋ねる。
「みうちゃんの関与は」
「現時点の資料を見る限り、故意の勧誘者というより、重要事項を伏せられた被害者側と見る余地がかなり強いです。ただし、証拠を整理する必要があります」
「お願いします」
「任せてください。こういう契約書、嫌いなんです」
あかねの声にも、静かな怒りがあった。
霧笛のテーブルに、資料がさらに積まれる。
証言。
メッセージ。
契約書の差異。
業者名義の変遷。
日協商事残党との関係。
若者向け広告の出稿履歴。
それぞれの持ち味が噛み合い始めた。
麻衣は学生から安心して話を引き出す。
あかりは足で動く。
澄香は説明会参加者の言葉のズレを拾う。
美咲は行政相談と契約書類を静かに整理する。
美音はネットの痕跡を追う。
結月は撮影場所の動線を確認する。
美月は周辺の生の証言を拾う。
彩香は県警側の正式な手続きに繋げる。
あかねは法的な矛盾を切り出す。
そして玲奈は、そのすべてを一本の線にしていく。
霧笛の女主人が、ぽつりと言った。
「ほんまに戻ってきたんやね。NSTが」
玲奈は資料から目を上げない。
「一時的です」
「そういう顔やないで」
玲奈は返事をしなかった。
深夜、最後の資料を確認した玲奈は、全員へ静かに告げた。
「明日、会社へ行きます」
あかりが身を乗り出す。
「乗り込みですね!」
「面談です」
「言い方が上品!」
「録音、記録、同席者、退路。すべて確認します。感情的な発言は禁止。相手に逃げ道を作らない」
彩香が立ち上がる。
「同行します」
麻衣も頷く。
「私も被害学生の証言整理を持って行きます」
美月が笑う。
「ほんならウチは周辺固めとくわ」
玲奈は全員を見渡した。
「目的は、みうちゃんを調書の向こう側から連れ戻すこと。そして、二度と同じ手口で若い子を泣かせないこと」
霧笛の窓の外で、神戸港の灯りが揺れていた。
黒いモデル契約。
甘い夢の皮をかぶった、古い詐欺の残党。
その扉を、数年ぶりに復活したNSTが叩こうとしていた。
玲奈はコートを手に取る。
その横顔は、島カフェの店主ではなかった。
冷徹なる美貌のボスだった。




