県警の扉を叩く女 ――霧笛を本部に、眠っていたNSTが動き出す
神戸の夜は、まだ冷たかった。
純喫茶「霧笛」のカウンターで、玲奈は黒いコーヒーを前に資料を並べていた。みうちゃんから聞き取ったメモ、業者の名刺、契約書の写し、SNSの画面保存。薄い紙の束は、どれも軽い。けれど、その裏側にある悪意は重かった。
女主人は黙ってカップを置いた。
「玲奈ちゃん、顔が戻っとるな」
「戻っていますか」
「昔の顔や。笑わへん時の、怖い顔」
玲奈は否定しなかった。
「みうちゃんは悪くありません。ただ、状況は悪い。だから、こちらも正式に動きます」
まず玲奈が叩いたのは、県警時代の扉だった。
かつての同僚、上司、そして今は自分を追うように警察官となった後輩。
西川彩香。
播州の烈火。
戦隊ヒロイン時代、玲奈の背中を追い続け、ついには兵庫県警の警察官になった女である。現在は地域安全系の部署に配属され、若者向けの防犯啓発や悪質商法対策にも関わっていた。
彩香は事件の概要をすでに知っていた。
県警本部近くの喫茶スペースで、玲奈と向かい合った彩香は、いつもの冷静な顔をしていた。だが目の奥には火があった。
「玲奈さん。みうちゃんの件、私も気になっていました」
「協力してもらえる?」
「当然です。玲奈さんのためにも、みうちゃんの無実を晴らすためにも」
玲奈は静かに頷いた。
「違法なことはしなくていい。正式に確認できる範囲で、同様の被害相談、業者名、関連アカウント、学生への接触状況を確認して」
「分かりました」
彩香は一拍置いて、少しだけ表情を緩めた。
「玲奈さんが戻ってきたみたいで、少し怖いです」
「怖い?」
「はい。でも、頼もしいです」
玲奈は短く答えた。
「今は怖いくらいでちょうどいいわ」
次に向かったのは、大阪府内のヒロ室西日本分室だった。
かつての空気は変わっていた。けれど、熱は残っていた。
第一線には、まだ四日市の突貫娘・山本あかりがいた。大学は相変わらず留年を繰り返し、学年だけがなかなか進まない。それでも現場では頼りになる。
「玲奈さん! みうちゃんのためなら何でもやります!」
「まず、余計なことをしないで」
「いきなり釘刺された!」
「必要です」
隣で、白浜麻衣が苦笑した。
紀州の舞姫。今は幼稚園教諭として働きながら、必要に応じてヒロイン活動にも協力している。かつて頼りなかった少女は、今や聞き取りも人当たりも抜群の大人になっていた。
「玲奈さん、学生さんたちからの聞き取りは私がやります。怖がらせずに話してもらえるようにします」
「お願い」
大阪に残っている迫田澄香にも連絡が入った。
双子ならではの観察力と、潜入・撹乱に強い元NSTメンバーである。
「業者側の説明会に参加した学生の証言、私が拾います」
奈良県庁職員となった春日美咲は、地味だが正確な資料整理を買われた。
「契約書や行政相談の類似事例、確認します」
浜松の河合美音は、SNS上の募集経路と移動ログの分析を担当した。
「アカウントの動き、かなり不自然です。広告文面の使い回しがあります」
代打の切り札、大西結月は機動力を活かして、神戸市内の雑居ビル周辺や撮影場所候補を確認する。
「動線、押さえます。自転車でも徒歩でも回れます」
さらに、地元の大手ガス会社でOLとして働きながら、時折戦隊ヒロインとして活動する赤嶺美月も動いた。
「玲奈さん、ウチも行くで。悪徳業者とか、ほんま腹立つわ」
「勤務先に迷惑をかけない範囲で」
「そこ真面目に言わんでええねん」
「言います」
美月は笑ったが、目は本気だった。関西弁の押しの強さと人懐っこさで、雑居ビルの管理会社や周辺店舗から、短時間でかなりの情報を引き出してきた。
そうして、純喫茶「霧笛」は数年ぶりに作戦本部となった。
カウンターの奥には女主人。
テーブルには資料。
深夜のコーヒー。
神戸の地図。
スマートフォンに届く各地からの報告。
玲奈はその中央に座った。
冷徹なる美貌のボス。
その呼び名は、誰も口に出さなかった。
だが、全員が思い出していた。
「麻衣、被害学生の証言を時系列に」
「はい」
「彩香、県警側の被害相談と業者名の一致を確認」
「了解しました」
「美月、雑居ビルの管理会社。契約名義と実際の使用者にズレがないか」
「任せとき」
「あかり」
「はい!」
「突っ込まない」
「まだ何もしてません!」
「しそうな顔をしています」
霧笛の女主人が、思わず笑った。
だが、集まる情報は笑えないものだった。
美容学生ばかりを狙っている。
地方出身者が多い。
最初は無料。
あとから登録料。
さらに違約金。
友人紹介を促し、被害者を“勧誘側”に見せる。
そして、みうちゃんの名前は、その仕組みに都合よく使われていた。
玲奈は資料を一枚ずつ並べた。
「目的は二つ」
全員の視線が集まる。
「みうちゃんが善意を利用された被害者であることを証明する。そして、この業者の詐欺性を明確にする」
彩香が静かに頷く。
「やりましょう」
麻衣も言った。
「みうちゃんを守ります」
あかりは拳を握った。
「私、今度こそ余計なことしません!」
美月が笑う。
「それが一番心配や」
玲奈は冷たいほど落ち着いた声で言った。
「時間はありません。短期で詰めます」
霧笛の窓の外では、神戸の夜が深くなっていた。
港町の灯りは美しい。
だが、その光の裏側には、若者の善意を食い物にする黒い契約が潜んでいる。
玲奈はコーヒーを一口飲んだ。
苦味が、ちょうどよかった。
「みうちゃんを、調書の向こう側から連れ戻します」
その言葉を合図に、数年ぶりのNSTが動き出した。




