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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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黒い契約書は、島の少女を泣かせた ――泣き顔のみうちゃん、調書の向こう側へ

神戸の夜は、南ぬ島の夜より冷たい。


宮良美海――みうちゃんは、その冷たさをまだうまく受け止めきれていなかった。


美容専門学校に通い始めて数か月。三宮の人波にも少し慣れ、霧笛にも顔を出し、クラスメイトもできた。島の子らしい素朴さは残っていたが、それがむしろ彼女の魅力になっていた。


そんなある日、学校帰りの三宮で声をかけられた。


「美容学生さんですよね? ヘアメイク作品のモデル、興味ありませんか?」


清潔感のある若い女性スタッフ。名刺。事務所。整った契約書。

「無料撮影」「ポートフォリオ作成」「就職にも有利」「交通費程度の謝礼あり」。


美容師を目指すみうちゃんには、夢に近づく話に聞こえた。


最初の撮影は普通だった。

スタッフは優しく、写真も綺麗だった。

みうちゃんは嬉しくなり、同級生にも「いい経験になるかも」と話してしまう。


そこから、罠が開いた。


登録料。

事務手数料。

キャンセル違約金。

紹介実績。

学生支援制度という名の、高額請求。


被害届が出た時、業者側の記録には、みうちゃんの名前が残っていた。


紹介者。学生側連絡係。協力者。


本人に悪意はない。

だが、状況は悪かった。


取調室の蛍光灯は白すぎた。


「本当に知らなかったんですか」


「なぜ友人を紹介したんですか」


「報酬を受け取る予定は?」


みうちゃんは泣きながら首を振った。


「違います……私、そんなつもりじゃ……」


けれど、焦れば焦るほど言葉は崩れた。

かつて「しおかぜ」で明るく「相違ありませんか」と笑っていた少女が、今は本物の調書の向こう側に座っていた。


その夜、神戸港近くの純喫茶「霧笛」で、女主人は異変を知った。


約束の時間になっても、みうちゃんが来ない。

学校へ確認し、関係者に聞き、ようやく事情を掴んだ。


女主人は迷わず石垣へ電話した。


閉店後の「しおかぜ」。

玲奈は、亮介のために空けているカウンター端の席を拭いていた。


電話が鳴る。


「玲奈ちゃん、落ち着いて聞き」


神戸訛りの関西弁。

いつもの女主人の声ではなかった。


「みうちゃんがな、警察で事情聞かれとる」


玲奈の手が止まった。


「……どういうことですか」


「美容モデルの詐欺や。あの子、巻き込まれたみたいやねん。本人は悪ないと思う。でも、紹介した形になっとるらしい」


玲奈の目が変わった。


島カフェの店主の目ではなかった。

元兵庫県警警部補。

かつて冷徹なる美貌のボスと呼ばれた女の目だった。


「分かりました。神戸へ行きます」


その前に、玲奈はみうちゃんの実家へ向かった。


両親とおばあは、顔色を失っていた。

島の明るい家に、重い沈黙が落ちていた。


玲奈は深く頭を下げる。


「何かの間違いだと思います。ですが、とにかく神戸に行って、みうちゃん本人から話を聞いてきます」


みうちゃんの母は震える声で言った。


「玲奈さん……うちの美海を、お願いさぁ」


父も頭を下げた。


「あの子は悪いことする子じゃないです。どうか、どうかお願いします」


おばあは玲奈の手を握った。


「玲奈ちゃん、みうを助けてやって。あの子、都会のこと、まだ何も分からんさぁ」


玲奈は、その手を静かに握り返した。


「必ず、事実を確認します」


それは慰めではなかった。

約束だった。


翌朝、「しおかぜ」の入口には短い貼り紙が出た。


臨時休業

所用により神戸へ向かいます。


常連のおばあたちは、何も聞かなかった。


「玲奈ちゃん、行ってきなさい」


「みうちゃんを連れて帰るさぁ」


玲奈は小さく頷き、石垣空港へ向かった。


鞄には最低限の着替え。

スマートフォンには、県警時代の連絡先。

そして、みうちゃんから昔届いたメッセージ。


玲奈さん、神戸で頑張ります。以上で相違ありません。


玲奈は搭乗口でそれを見つめ、低く呟いた。


「相違があります。あなたは、まだ助けを求めていない」


飛行機が南ぬ島を離れる。


青い海が遠ざかる。

その先にあるのは、神戸。

玲奈が生まれ、傷つき、戦ってきた街。


彼女は目を閉じなかった。


みうちゃんを救う。

黒いモデル契約の裏側を暴く。

そして、善意を食い物にする者たちに、きっちり代償を払わせる。


玲奈の横顔は静かだった。


だが、その静けさの奥で、冷たい火が灯っていた。

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