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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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海風に消えた老犬を探して ――しおかぜ捜索隊、夕暮れの集落を走る

島カフェ「しおかぜ」の定休日は、いつもより静かだった。


木製の看板は店内にしまわれ、カウンターには洗い終えたカップが伏せられている。黒糖プリンの仕込みも最低限だけ。玲奈は午前中に帳簿を片づけ、午後は少しだけ本を読むつもりだった。


そこへ、店の裏口を叩く音がした。


「玲奈ちゃん……」


立っていたのは、常連のおばあだった。いつもなら黒糖プリンを前にして冗談を言う人なのに、その日は顔が青ざめていた。


「どうしました」


「ポチが……いなくなったさぁ」


ポチは、おばあが長年連れ添っている柴犬だった。もう年を取っていて、耳も遠い。歩くのもゆっくりで、遠くへ行く犬ではなかった。おばあにとっては、家族そのものだった。


玲奈の表情が変わった。


「最後に見た時間は?」


「昼前。庭で寝てた。ちょっと洗濯物を取り込んで、戻ったらいなくて……」


「首輪は?」


「してる。赤いやつ」


「好きな場所は」


「浜の方。若い頃、よく連れて行ったさぁ。あと、干物の匂いが好きでねえ」


玲奈はすぐに店の奥へ声をかけた。


「みうちゃん」


ちょうど進路相談の書類を持って遊びに来ていた宮良美海――みうちゃんが顔を出す。


「はい、玲奈さん」


「捜索します」


「えっ、今からですか?」


「今からです。老犬は体力がありません。日没までに見つけます」


その声に、みうちゃんは背筋を伸ばした。


玲奈は紙に地図を描き、最後に見た場所、犬の年齢、歩く速度、風向き、好きな匂い、過去の散歩コースを素早く整理した。


「浜へ向かった可能性が高い。ただし、耳が遠いなら呼び声だけでは反応しにくい。みうちゃんは集落の子どもたちに声をかけて。赤い首輪の柴犬。走らず、見つけても追わないように伝えて」


「了解です!」


みうちゃんは駆け出した。普段はのんびりした島の娘なのに、玲奈の勢いに押されると不思議と足が速くなる。


玲奈はおばあに向き直る。


「おばあは家にいてください。ポチが戻ってくる可能性もあります」


「でも……」


「戻った時、迎える人が必要です」


その一言に、おばあは唇を噛んで頷いた。


捜索は、夕方の集落を巻き込んだ。


みうちゃんは子どもたちに声をかけ、近所の若者に頼み、浜へ続く道、畑の脇、古い倉庫の裏を確認していく。玲奈は足跡や草の倒れ方、地面の湿り、犬が通れそうな隙間を見て歩いた。


「玲奈さん、こっちはいません!」


「次、舟小屋の方。風が海から来ている。匂いを追ったなら、そちらへ行く可能性があります」


「はい!」


夕暮れが近づく。

空が少しずつ橙色になり、海風が冷たくなる。おばあの顔が、みうちゃんの頭に浮かぶ。


「ポチ、どこ……」


みうちゃんが浜辺近くの古い舟小屋へ向かった時、小さな音がした。


かさり。


壊れた木箱の陰。

そこに、赤い首輪が見えた。


「ポチ!」


みうちゃんは叫びそうになって、玲奈の言葉を思い出し、声を抑えた。


「ポチ、怖くないよ。みうだよ」


柴犬は、丸くなって震えていた。疲れて動けなくなっていたらしい。みうちゃんはゆっくり近づき、膝をついて、そっと抱きかかえた。


温かい。


生きている。


その瞬間、みうちゃんの目から涙がこぼれた。


「よかった……ほんとによかった……」


玲奈が追いつき、ポチの状態を確認する。


「大きな怪我はなさそう。すぐ戻りましょう」


おばあの家へ戻ると、おばあは玄関先で待っていた。みうちゃんの腕の中のポチを見た瞬間、崩れるように座り込んだ。


「ポチ……!」


おばあは老犬を抱きしめ、何度も何度も礼を言った。


「玲奈ちゃん、みうちゃん、本当にありがとう。もう会えんかと思ったさぁ」


みうちゃんは涙を拭きながら笑った。


「見つかってよかったです。ほんとに、ほんとによかったです」


おばあに感謝されるみうちゃんの顔は、誇らしさと安堵でいっぱいだった。


帰り道、夕暮れの中を玲奈とみうちゃんは並んで歩いた。


「みうちゃん」


「はい」


「戦隊ヒロイン、向いているかもね」


みうちゃんは目を丸くした。


「えっ、私がですか?」


玲奈はほんの少し目尻を下げた。


「人のために走れる。泣ける。最後まで諦めない。大事な資質です」


みうちゃんは照れて、けれど嬉しそうに笑った。


「でも私、運動そんなに得意じゃないですよ」


「体力は鍛えればいいわ」


「玲奈さん、急に本気でスカウトしないでください」


二人は少し笑った。


その夜、定休日の「しおかぜ」は誰もいなかった。


玲奈は店内の灯りを少しだけつけ、カウンター端の席を丁寧に拭いた。まだ帰らぬ亮介のために空けている席だった。


外では、夜の海風が看板を揺らしている。


玲奈は誰もいない席に向かって、静かに呟いた。


「今日は良いことをしました」


返事はない。


「おばあのポチが迷子になってね。みうちゃんが見つけたの。泣きながら抱きかかえて……あの子、本当にいい子やわ」


玲奈は少しだけ微笑んだ。


「私一人では、あんなふうに喜べなかったかもしれない。みうちゃんがいてくれて、よかった」


黒糖プリンの甘い香りはない。定休日の店は、いつもより少し素顔に近い。


「あなたが帰ってきたら、この店には小さな相棒がいるって紹介するわ」


玲奈は亮介の席をもう一度だけ撫でるように拭いた。


「しおかぜ」は、今日も誰かの帰り道を守った。

迷い犬も、泣きそうなおばあも、少し大人になったみうちゃんも。


そして玲奈は、まだ帰らぬ男のために、明日もこの店の灯りをともす。

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