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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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黒糖プリンは嘘を許さない ――みうちゃん、しおかぜで初めて叱られる

宮良美海――みうちゃんは、島カフェ「しおかぜ」の小さな戦力になっていた。


繁忙日だけのアルバイト。

けれど、今では玲奈にとって欠かせない存在だった。


「ご注文を確認します。黒糖プリン二点、アイスコーヒー一点。以上で相違ありませんか?」


明るく澄んだ声でそう言うたび、初めて来た観光客は少しだけ固まり、常連のおばあたちは笑う。


「みうちゃん、今日も調書さぁ」


「玲奈ちゃん二号になってきたねえ」


美海は頬を赤くしながらも、誇らしそうに胸を張る。


「確認は重要です!」


玲奈はカウンターの奥で静かに頷いた。


「正しい対応です」


その日も、昼過ぎまでは順調だった。


黒糖プリンが沖縄グルメの小さな賞を取ってから、週末の「しおかぜ」は少し忙しくなった。観光客が増え、注文が重なり、テーブルの片づけも追いつかない時間がある。


美海は懸命に動いていた。


水を出す。

注文を取る。

プリンを運ぶ。

会計を手伝う。


その途中で、小さなミスが起きた。


観光客の注文した黒糖プリンを、別のテーブルへ出してしまったのだ。

しかも、そのテーブルの客は何も気づかず食べ始めてしまった。


本当に些細なミスだった。


玲奈に言えば、すぐに作り直し、説明して済む話だった。

だが、美海は焦った。


忙しい日。

玲奈に迷惑をかけたくない。

怒られたくない。

せっかく少し仕事を任されるようになったのに、失望されたくない。


美海は、空いた皿を慌てて片づけ、伝票の記入をこっそり直そうとした。


だが、玲奈は見逃さなかった。


かつて優秀な警察官だった女の目は、客の表情、皿の位置、伝票の数字、冷蔵ケースの在庫数、その微妙なズレをすぐに拾った。


「みうちゃん」


静かな声だった。


美海の肩が小さく跳ねる。


「はい」


「二番テーブルの黒糖プリン、出しましたか」


「……はい」


「どちらへ」


美海は黙った。


玲奈は怒鳴らない。

声を荒げない。

それがかえって、店内の空気を少し冷たくした。


「正直に答えなさい」


美海は俯いた。


「……四番テーブルに、出してしまいました」


「その後、なぜ報告しなかったの」


「すぐ直そうと思って……その、伝票を……」


玲奈の目が細くなった。


「伝票を直して、なかったことにしようとしたの?」


美海の目に、みるみる涙が浮かんだ。


「ごめんなさい……」


玲奈は少しだけ息を置いた。

本当は、ここで優しくした方がよかったのかもしれない。

けれど、仕事としては見逃せない線だった。


「ミスは仕方ありません。私もします」


美海は顔を上げた。


玲奈の声は、低く、静かだった。


「ですが、隠すことは問題です。そういう人には、仕事を任せられません」


美海は、完全にしゅんとなった。


いつもの明るさが消え、肩が落ちる。

純粋で真面目だからこそ、その言葉は深く刺さった。


「……はい」


玲奈はすぐに客へ説明し、黒糖プリンを一つ追加で用意した。

客は笑って許してくれた。


「大丈夫ですよ。新人さんならありますよ」


美海は深く頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」


それで店は回った。

騒ぎにはならなかった。

けれど、美海の表情は閉店まで戻らなかった。


いつもなら、片づけの時間になると神戸のことを聞いてくる。


「玲奈さん、神戸の電車って本当に複雑ですか?」

「霧笛の女主人って怖いですか?」

「都会の男の人って本当におしゃれなんですか?」


そんなふうに、遠慮なく聞いてくる。


だが、その日は違った。


美海は黙ってテーブルを拭き、黙ってグラスを片づけ、黙ってエプロンを畳んだ。


玲奈は、その沈黙を見ていた。


店内から客がいなくなり、外の潮風だけが聞こえる時間になった。

玲奈はカウンターに黒糖プリンを一つ置いた。


「みうちゃん。座って」


美海はびくりとした。


「はい……」


「食べなさい」


「でも、私……」


「必要な糖分補給です」


その言葉に、美海の目が少しだけ揺れた。


いつもの玲奈の言い方だった。

けれど、今日は少しだけ優しかった。


美海はスプーンを持ったが、なかなか口へ運べない。


玲奈は向かいに立ち、静かに言った。


「少し強く言い過ぎました」


美海が顔を上げる。


玲奈はまっすぐ美海を見ていた。


「私も悪いです。ごめんなさい」


美海の目から、ぽろりと涙が落ちた。


「玲奈さんは悪くないです。私が隠そうとしたから……」


「それは事実です」


「はい……」


「でも、叱り方は私の責任です。あなたが仕事を怖がるようになったら、指導としては失敗です」


美海は、涙を拭きながら首を振った。


「怖かったです。でも……見捨てられたんじゃないって、今分かりました」


玲奈は少し黙った。


「育てると決めた人を、一度の失敗では見捨てません」


美海は、今度こそ泣き笑いになった。


「玲奈さん、それ、ずるいです」


「何が」


「怖いのに、優しいところです」


玲奈は少しだけ目を伏せた。


「怖い、は余計です」


「でも本当です」


「……否定はしません」


美海は黒糖プリンを一口食べた。


「美味しいです」


「それはよかった」


「玲奈さん。次から、ミスしたらすぐ言います」


「そうしなさい」


「伝票も誤魔化しません」


「当然です」


「でも、また叱る時は……少しだけマイルドでお願いします」


玲奈は真面目に考えた。


「努力します」


「そこは即答してください」


二人は少しだけ笑った。


その夜、美海が帰ったあと、「しおかぜ」は静かになった。


玲奈はカップを洗い、テーブルを拭き、最後にカウンター端の席を丁寧に拭いた。


入口と窓の両方が見える席。

まだ帰らぬ亮介のために、毎日空けている席。


嘘で塗り固めていた男。

人を騙し、自分自身の弱さからも逃げていた男。

それでも今、どこかで罪を償い、真人間になろうとしている男。


玲奈はその席に向かって、小さく呟いた。


「今日は、みうちゃんを叱りました」


返事はない。


「ミスはいい。でも、隠すのはだめ。そう言ったの」


玲奈は手を止めた。


「あなたに言っているみたいだったわ」


夜の店内に、黒糖の甘い香りがかすかに残っている。

外では、南ぬ島の風が木製看板を揺らしていた。


玲奈は、誰もいない席へ、少しだけ弱い声で問いかける。


「私って、やっぱり厳しいのかな」


昼間の玲奈なら、絶対に見せない顔だった。


警察官だった頃の自分。

戦隊ヒロインのボスだった頃の自分。

嘘を許さず、逃げ道を塞ぎ、正しさを突きつけてきた自分。


それは必要だった。

そうしなければ守れないものがあった。


けれど、今はカフェ店主だ。

島の少女を育てている。

帰ってくるかもしれない男を待っている。


厳しさだけでは、人は戻ってこられない。

優しさだけでも、仕事にはならない。


玲奈は亮介の席をもう一度だけ拭いた。


「あなたが帰ってきたら、私はどう言うんでしょうね。叱るのか、黙ってコーヒーを出すのか」


少し間を置いて、静かに続ける。


「たぶん、両方ね」


玲奈は小さく笑った。


「しおかぜ」には、今日も失敗がひとつあった。

でも、その失敗は隠されず、ちゃんと明日の経験になった。


玲奈は灯りを落とす前に、亮介の席を見つめた。


「みうちゃんは、きっと大丈夫。あの子は嘘を隠し続ける子じゃない」


そして、ほんの少しだけ声を落とした。


「あなたも、そうであってほしい」


南ぬ島の夜は静かだった。

黒糖プリンは甘く、カラメルは少し苦い。


その味のように、玲奈の優しさもまた、少しだけ苦かった。

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