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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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みうちゃん、都会風メイクに挑む ――しおかぜ店主、意外と女子力を見せる

宮良美海――みうちゃんには、最近ひとつの目標ができていた。


アルバイト代を貯めて、神戸へ一人旅に行くこと。


島カフェ「しおかぜ」の繁忙日だけ手伝いに来る、明るく素直な島の女子高生。黒糖プリンを運ぶ足取りは軽く、注文を取る声はよく通る。玲奈仕込みの、


「ご注文を確認します。以上で相違ありませんか?」


という妙に本格的な確認は、今や店の名物になっていた。


常連のおばあたちは、すっかり孫を見る目で美海を見守っている。


「みうちゃん、今日も調書さぁ」


「確認は重要です!」


美海がそう胸を張ると、玲奈はカウンターの奥で静かに頷く。


「正しい対応です」


そんな美海が、ある日、いつもとまったく違う顔で出勤してきた。


「おはようございます、玲奈さん!」


声はいつもの美海だった。

だが、顔が違った。


濃いアイライン。

大人びた赤みの強いリップ。

頬にはきらきらしたハイライト。

まつ毛はいつもよりずっと強く上がっていて、髪も妙に気合いを入れて巻いている。


それはそれで、可愛らしい。

美海は若く、元が明るく整っているので、多少派手にしても似合わないわけではない。


だが、島カフェ「しおかぜ」の朝の光と、いつもの美海の無垢な雰囲気には、少しだけ強すぎた。


玲奈は一瞬、無言になった。


「……みうちゃん」


「はい!」


「今日は、何か特別な予定があるの?」


「ないです! でも、神戸に行くなら都会っぽくならないといけないかなって思って、動画見て練習しました!」


常連のおばあがカウンターから顔を上げた。


「みうちゃん……夜の美崎町みたいさぁ」


隣のおじいも新聞の向こうから言う。


「黒糖プリンより、カクテル出てきそうさぁ」


美海は慌てて頬を押さえた。


「えっ、そんなに変ですか?」


玲奈は少しだけ考える。


「変ではありません」


美海の顔が明るくなる。


「ほんとですか?」


「ただ、しおかぜの昼勤務には情報量が多いです」


「情報量?」


おばあが笑い転げる。


「玲奈ちゃん、遠回しに濃いって言ってるさぁ」


美海はしゅんとした。


「都会の人って、こういう感じじゃないんですか?」


玲奈はカウンターを出て、美海の顔を静かに見た。


かつて玲奈は、兵庫県警のカラーガード隊で人前に立った。県警ポスターにも出た。戦隊ヒロインとしてステージに上がり、カメラを向けられ、観客の視線を受けてきた。


見られることは得意ではなかった。

けれど、見せ方は知っていた。


どの角度で清潔に見えるか。

どの程度の化粧なら品を保てるか。

派手さと凛々しさの境界線。

人前に立つ時、どこを整えるべきか。


玲奈は静かに言った。


「みうちゃんは、元が良いから、そのままでもええと思うんやけど」


美海が目を丸くする。


「玲奈さん、今、褒めました?」


「事実確認です」


「絶対褒めましたよね?」


「過度な解釈は避けてください」


常連たちがまた笑う。


玲奈は美海を店の奥へ連れて行った。鏡の前に座らせ、濡らしたコットンで少しずつメイクを落としていく。


「都会風にすることと、自分を消すことは違うわ」


「自分を消す?」


「今のメイクは、みうちゃんの明るさより、メイクの方が前に出ています」


「なるほど……」


「まず肌を整える。眉は少しだけ。目元は強くしすぎない。リップも、血色がよく見える程度でいい。髪はきちんとまとめれば清潔感が出る」


玲奈の手つきは迷いがなかった。


濃い色を落とし、薄く整える。

美海の大きな目を活かし、頬の若々しさを隠さず、唇は自然な色に戻す。

髪はゆるく整え、顔まわりをすっきりさせた。


数分後、鏡の中の美海は、まるで別人のようだった。


派手さは消えた。

けれど、幼さだけでもない。

清潔で、明るく、少しだけ大人びている。

島の娘らしい素直さはそのままに、どこか神戸の街を歩いても似合いそうな雰囲気になっていた。


美海は鏡を見つめたまま、息を飲んだ。


「……私ですか、これ」


「あなたです」


「すごい……玲奈さん、すごいです」


玲奈は道具を片づける。


「業務上、必要だった知識です」


「業務って、メイクもですか?」


「人前に立たされる機会が多かったので」


美海は目を輝かせた。


「やっぱり玲奈さんは凄い」


玲奈は少しだけ困った顔をする。


「大げさです」


二人が店へ戻ると、常連たちが一斉に美海を見た。


おばあが手を叩く。


「あら、こっちのみうちゃんが一番いいさぁ」


おじいも頷く。


「昼のしおかぜに戻ったさぁ」


別のおばあが笑う。


「都会に行っても、これなら大丈夫さぁ。夜の美崎町はまだ早い」


美海は頬を赤くしながらも、嬉しそうに笑った。


「玲奈さんに教えてもらいました!」


その日の接客は、いつもより少しだけ美海の背筋が伸びていた。


「ご注文を確認します。黒糖プリン二点、ブレンド一点。以上で相違ありませんか?」


観光客はいつものように一瞬ぽかんとし、常連はいつものように笑った。

だが、美海の声には少し自信が混じっていた。


玲奈はカウンターの奥から、それを静かに見ていた。


都会に染まる必要はない。

島で育った明るさを持ったまま、外へ出ればいい。

そのことを、美海が少しでも分かってくれたならいいと思った。


閉店後、店内は静かになった。


玲奈はカップを洗い、テーブルを拭き、最後にカウンター端の席を丁寧に拭いた。

まだ帰らぬ亮介のために空けている席だった。


外では、南ぬ島の夜風が木製看板を揺らしている。


玲奈はその席へ向かって、小さく呟いた。


「今日は、みうちゃんがちょっと大人になりました」


返事はない。


「都会に行く準備をしているの。少し背伸びして、少し失敗して、それでも前に進もうとしている」


玲奈は、ほんの少しだけ笑った。


「若い子は眩しいわね。見ているだけで、こちらまで少し背筋が伸びる」


カウンターには、まだ黒糖プリンの甘い香りが残っている。


「あなたが帰ってきたら、驚くと思うわ。しおかぜには、調書を取れる女子高生がいて、しかも少しずつ綺麗になっているの」


少し間を置いて、玲奈は柔らかく続けた。


「私も、誰かを送り出す側になってきたのかもしれない」


玲奈は灯りを落とす前に、亮介の席をもう一度だけ見た。


島カフェ「しおかぜ」は、帰らぬ男を待つ場所であり、島の少女が都会を夢見る場所でもある。

その両方を守りながら、玲奈は明日も店を開ける。

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