みうちゃん、都会風メイクに挑む ――しおかぜ店主、意外と女子力を見せる
宮良美海――みうちゃんには、最近ひとつの目標ができていた。
アルバイト代を貯めて、神戸へ一人旅に行くこと。
島カフェ「しおかぜ」の繁忙日だけ手伝いに来る、明るく素直な島の女子高生。黒糖プリンを運ぶ足取りは軽く、注文を取る声はよく通る。玲奈仕込みの、
「ご注文を確認します。以上で相違ありませんか?」
という妙に本格的な確認は、今や店の名物になっていた。
常連のおばあたちは、すっかり孫を見る目で美海を見守っている。
「みうちゃん、今日も調書さぁ」
「確認は重要です!」
美海がそう胸を張ると、玲奈はカウンターの奥で静かに頷く。
「正しい対応です」
そんな美海が、ある日、いつもとまったく違う顔で出勤してきた。
「おはようございます、玲奈さん!」
声はいつもの美海だった。
だが、顔が違った。
濃いアイライン。
大人びた赤みの強いリップ。
頬にはきらきらしたハイライト。
まつ毛はいつもよりずっと強く上がっていて、髪も妙に気合いを入れて巻いている。
それはそれで、可愛らしい。
美海は若く、元が明るく整っているので、多少派手にしても似合わないわけではない。
だが、島カフェ「しおかぜ」の朝の光と、いつもの美海の無垢な雰囲気には、少しだけ強すぎた。
玲奈は一瞬、無言になった。
「……みうちゃん」
「はい!」
「今日は、何か特別な予定があるの?」
「ないです! でも、神戸に行くなら都会っぽくならないといけないかなって思って、動画見て練習しました!」
常連のおばあがカウンターから顔を上げた。
「みうちゃん……夜の美崎町みたいさぁ」
隣のおじいも新聞の向こうから言う。
「黒糖プリンより、カクテル出てきそうさぁ」
美海は慌てて頬を押さえた。
「えっ、そんなに変ですか?」
玲奈は少しだけ考える。
「変ではありません」
美海の顔が明るくなる。
「ほんとですか?」
「ただ、しおかぜの昼勤務には情報量が多いです」
「情報量?」
おばあが笑い転げる。
「玲奈ちゃん、遠回しに濃いって言ってるさぁ」
美海はしゅんとした。
「都会の人って、こういう感じじゃないんですか?」
玲奈はカウンターを出て、美海の顔を静かに見た。
かつて玲奈は、兵庫県警のカラーガード隊で人前に立った。県警ポスターにも出た。戦隊ヒロインとしてステージに上がり、カメラを向けられ、観客の視線を受けてきた。
見られることは得意ではなかった。
けれど、見せ方は知っていた。
どの角度で清潔に見えるか。
どの程度の化粧なら品を保てるか。
派手さと凛々しさの境界線。
人前に立つ時、どこを整えるべきか。
玲奈は静かに言った。
「みうちゃんは、元が良いから、そのままでもええと思うんやけど」
美海が目を丸くする。
「玲奈さん、今、褒めました?」
「事実確認です」
「絶対褒めましたよね?」
「過度な解釈は避けてください」
常連たちがまた笑う。
玲奈は美海を店の奥へ連れて行った。鏡の前に座らせ、濡らしたコットンで少しずつメイクを落としていく。
「都会風にすることと、自分を消すことは違うわ」
「自分を消す?」
「今のメイクは、みうちゃんの明るさより、メイクの方が前に出ています」
「なるほど……」
「まず肌を整える。眉は少しだけ。目元は強くしすぎない。リップも、血色がよく見える程度でいい。髪はきちんとまとめれば清潔感が出る」
玲奈の手つきは迷いがなかった。
濃い色を落とし、薄く整える。
美海の大きな目を活かし、頬の若々しさを隠さず、唇は自然な色に戻す。
髪はゆるく整え、顔まわりをすっきりさせた。
数分後、鏡の中の美海は、まるで別人のようだった。
派手さは消えた。
けれど、幼さだけでもない。
清潔で、明るく、少しだけ大人びている。
島の娘らしい素直さはそのままに、どこか神戸の街を歩いても似合いそうな雰囲気になっていた。
美海は鏡を見つめたまま、息を飲んだ。
「……私ですか、これ」
「あなたです」
「すごい……玲奈さん、すごいです」
玲奈は道具を片づける。
「業務上、必要だった知識です」
「業務って、メイクもですか?」
「人前に立たされる機会が多かったので」
美海は目を輝かせた。
「やっぱり玲奈さんは凄い」
玲奈は少しだけ困った顔をする。
「大げさです」
二人が店へ戻ると、常連たちが一斉に美海を見た。
おばあが手を叩く。
「あら、こっちのみうちゃんが一番いいさぁ」
おじいも頷く。
「昼のしおかぜに戻ったさぁ」
別のおばあが笑う。
「都会に行っても、これなら大丈夫さぁ。夜の美崎町はまだ早い」
美海は頬を赤くしながらも、嬉しそうに笑った。
「玲奈さんに教えてもらいました!」
その日の接客は、いつもより少しだけ美海の背筋が伸びていた。
「ご注文を確認します。黒糖プリン二点、ブレンド一点。以上で相違ありませんか?」
観光客はいつものように一瞬ぽかんとし、常連はいつものように笑った。
だが、美海の声には少し自信が混じっていた。
玲奈はカウンターの奥から、それを静かに見ていた。
都会に染まる必要はない。
島で育った明るさを持ったまま、外へ出ればいい。
そのことを、美海が少しでも分かってくれたならいいと思った。
閉店後、店内は静かになった。
玲奈はカップを洗い、テーブルを拭き、最後にカウンター端の席を丁寧に拭いた。
まだ帰らぬ亮介のために空けている席だった。
外では、南ぬ島の夜風が木製看板を揺らしている。
玲奈はその席へ向かって、小さく呟いた。
「今日は、みうちゃんがちょっと大人になりました」
返事はない。
「都会に行く準備をしているの。少し背伸びして、少し失敗して、それでも前に進もうとしている」
玲奈は、ほんの少しだけ笑った。
「若い子は眩しいわね。見ているだけで、こちらまで少し背筋が伸びる」
カウンターには、まだ黒糖プリンの甘い香りが残っている。
「あなたが帰ってきたら、驚くと思うわ。しおかぜには、調書を取れる女子高生がいて、しかも少しずつ綺麗になっているの」
少し間を置いて、玲奈は柔らかく続けた。
「私も、誰かを送り出す側になってきたのかもしれない」
玲奈は灯りを落とす前に、亮介の席をもう一度だけ見た。
島カフェ「しおかぜ」は、帰らぬ男を待つ場所であり、島の少女が都会を夢見る場所でもある。
その両方を守りながら、玲奈は明日も店を開ける。




