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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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相違ありませんか、南ぬ島の小さな後輩 ――宮良美海、しおかぜで大都会を夢見る

島カフェ「しおかぜ」に、もう一人の声が加わった。


「ご注文を確認します。黒糖プリン二点、アイスコーヒー二点、島野菜サンド一点。以上で相違ありませんか?」


明るく、少し弾むような声だった。


声の主は、宮良美海。

読み方は、みやら・みう。

地元の高校に通う、島育ちの女子高生である。


常連たちは親しみを込めて、彼女を「みうちゃん」と呼ぶ。玲奈も、いつの間にかそう呼ぶようになっていた。


「みうちゃん、三番テーブルに水をお願いします」


「はい、玲奈さん!」


美海は、常連のおばあの孫娘だった。黒糖プリンが小さな賞を取ってから客足が伸びた「しおかぜ」を、繁忙日だけ手伝うことになったのだ。


最初は、玲奈も少し心配していた。

島の娘らしくのんびりしていて、愛嬌があり、誰にでもにこにこ挨拶できる。けれど、アルバイトは初めて。皿を運ぶ時は足元ばかり見て、会計の時は小銭を何度も数え直し、注文を取る時は緊張で声が小さくなる。


だが、美海は素直だった。


「確認は重要です」


玲奈がそう教えると、美海は真剣な顔でメモを取った。


「はい。確認は重要、ですね」


「注文は必ず復唱します。数量、温冷、追加注文の有無。曖昧にしないこと」


「はいっ」


「焦るとミスが出ます。焦っている時ほど、一度止まること」


「はいっ」


そして数日後、美海は玲奈仕込みの注文確認を身につけた。


「ご注文を確認します。ブレンド一点、黒糖プリン一点。食後の追加注文は現時点では不要。以上で相違ありませんか?」


初めて聞いた観光客は、ほぼ必ず固まる。


「えっ……あ、はい。相違ありません」


カウンター席の常連のおじいが新聞の向こうで笑う。


「しおかぜ、調書二人体制になったさぁ」


おばあは黒糖プリンのスプーンを持ったまま肩を震わせる。


「みうちゃんまで、玲奈ちゃんみたいになってるさぁ」


美海は顔を赤くしながらも、にこにこしている。


「玲奈さんに教わりました。確認は重要です!」


玲奈はカウンターの中で静かに頷く。


「正しい対応です」


「そこ、褒めるところかねえ」


店内は笑いに包まれる。


可愛らしい女子高生が、明るく純粋な声で「相違ありませんか」と確認する。

それは、いつの間にか黒糖プリンに次ぐ「しおかぜ」の名物になっていた。


観光客の中には、会計の時に笑って言う者までいた。


「いやあ、注文確認が本格的でした」


美海は照れながら答える。


「玲奈さん仕込みです」


玲奈は真顔で補足する。


「接客品質の維持です」


「玲奈さん、それ説明が固いです」


「事実です」


そんな二人体制の日は、「しおかぜ」が少しだけ若返ったようだった。


玲奈の静かな動き。

美海の明るい声。

常連たちの笑い。

カウンターに漂う深煎りコーヒーの香り。

冷蔵ケースに並ぶ黒糖プリン。


美海は、よく働いた。

忙しい時には皿を下げ、水を出し、会計を手伝う。まだ失敗もあるが、客に愛される力があった。常連のおばあたちは、もう完全に孫を見る目で彼女を見ている。


けれど、店が少し落ち着いた夕方や、閉店後の片づけの時間になると、美海は別の顔を見せた。


「玲奈さん、神戸ってどんなところですか?」


カップを拭いていた玲奈は、少しだけ顔を上げた。


「神戸?」


「はい。本土って、私ほとんど行ったことないんです。沖縄本島には行ったことあるけど、東京も大阪も神戸も、テレビとか動画で見るだけで」


美海はカウンターに身を乗り出すようにして、興味津々で尋ねる。


「神戸って、海も山もあるんですよね?」


「ええ。港があって、坂が多くて、山へ上がると夜景が綺麗」


「車いっぱい走ってます?」


「石垣と比べれば、かなり」


「人、多いですか?」


「多いわ。歩く速度も速い」


「えー、怖い。私、駅で迷いそう」


「迷ったら駅員に聞けばいい。勘で動くと悪化します」


美海は吹き出した。


「玲奈さん、都会の説明まで警察みたいです」


玲奈は平然としている。


「合理的な移動方法です」


美海にとって、玲奈の語る神戸は、まだ見ぬ大都会だった。


三宮の人の流れ。

旧居留地の石造りの街並み。

港の夜景。

坂道の先にある小さな喫茶店。

神戸港近くの純喫茶「霧笛」。

冬の空気。

都会の灯り。


美海は目を輝かせて聞く。


「いいなあ……私、高校卒業したら島を出てみたいんです」


玲奈はカップを棚に戻した。


「どこへ?」


「まだ決めてません。でも、本土に行ってみたい。都会で働いてみたいし、学校にも行ってみたいし。島が嫌いなわけじゃないんです。でも、外を見てみたいんです」


その言葉に、玲奈は少しだけ静かになった。


島を出たい若い子。

まだ見ぬ街へ憧れる瞳。

それは、かつて戦隊ヒロインの若い後輩たちが、未来へ向かっていた時の目に少し似ていた。


「見たいなら、見た方がいいわ」


玲奈は言った。


「都会は怖い場所ではない。でも、何も知らずに行くと疲れる。準備は必要よ」


「はい」


「でも、自分に合うかどうかは、自分の目で見ないと分からない」


美海は嬉しそうに頷いた。


「玲奈さん、私、いつか神戸に行ってみたいです。霧笛にも行ってみたい」


「その時は、紹介状を書いてあげる」


「本当ですか?」


「ただし、注文確認はほどほどに」


「えっ、そこは玲奈さん仕込みでいきます!」


「神戸でそれをすると、少し目立つわ」


「しおかぜでは名物なのに?」


「ここだから許されています」


美海は声を立てて笑った。


そして、ふいに年頃の少女らしい顔になる。


「玲奈さん、神戸の男の人って……どんな感じですか?」


玲奈の手が止まった。


「神戸の男性?」


「はい。おしゃれそうだし、優しそうだし。玲奈さん、美人だからモテたんでしょう?」


あまりにも純粋な目で聞かれて、玲奈は答えに詰まった。


「……」


美海はさらに畳みかける。


「好きだった人とか、いました? 神戸の人ですか? 警察官の時とか、絶対モテましたよね?」


「みうちゃん」


「はい」


「質問が多いです」


「すみません。でも気になります」


玲奈は視線を逸らした。


カウンター端の席が目に入る。

入口と窓の両方が見える席。

まだ帰らぬ亮介のために、毎日丁寧に拭いている席。


亮介は、神戸の男ではない。

けれど、玲奈の心に残っている男だった。

罪を犯し、玲奈を傷つけ、それでも「真人間になってもう一度あなたの前に現れてもいいですか」と言った男。


美海は、その事情を知らない。


だからこそ、無邪気に聞ける。


玲奈はしばらく考えて、ようやく答えた。


「神戸の男にも、いろいろいるわ」


美海は首をかしげる。


「それ、答えになってます?」


「なっています」


「なってないです」


「詳細な回答は差し控えます」


美海はぱっと笑った。


「玲奈さん、絶対なんかありましたね」


「閉店作業を続けます」


「あ、逃げた」


「業務優先です」


お笑いのようなやり取りだった。

けれど、玲奈の胸の奥には、少しだけ切なさが残った。


美海はこれから、島を出て、街を知り、人を好きになり、時には傷つくのだろう。

その全部を止めることはできない。

ただ、戻ってこられる場所や、話を聞いてくれる誰かがあることは、きっと支えになる。


閉店後、美海が帰ったあと、玲奈はいつものようにカウンター端の席を拭いた。


亮介の席。


外では、南ぬ島の夜風が木製看板を揺らしている。


玲奈は小さく呟いた。


「今日は、美海に神戸の男の人について聞かれたわ」


返事はない。


「答えに詰まった。情けないわね」


少しだけ、困ったように笑う。


「若い子は、これからいろんな街を見て、いろんな人に出会うのね。羨ましいような、心配なような」


玲奈は亮介の席をもう一度だけ丁寧に拭いた。


「あなたが帰ってきたら、美海の“相違ありませんか”を聞かせてあげる。きっと驚くわ」


少し間を置き、声をやわらげる。


「この店、少しずつ人が育つ場所にもなってきたみたい」


島カフェ「しおかぜ」は、黒糖プリンの店であり、帰らぬ男を待つ店であり、今では島の高校生が大都会を夢見る店にもなっていた。

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