島のアルバイト娘、調書を取る ――黒糖プリン受賞後、しおかぜに小さな後輩ができた日
黒糖プリンが沖縄グルメの小さな企画で賞を取ってから、島カフェ「しおかぜ」の客足は、目に見えて増えていた。
大きな行列ができるほどではない。けれど、平久保岬へ向かうレンタカー客が、昼前にふらりと立ち寄る。観光情報誌を片手にした夫婦が、「ここですよね」と扉を開ける。地元のおじい、おばあも、どこか誇らしげに黒糖プリンを頼む。
玲奈は相変わらず、一人で店を切り盛りしていた。
コーヒーを淹れ、黒糖プリンを出し、軽食を作り、会計をし、空いた席を拭く。手際はいい。無駄もない。だが、土日や連休になると、さすがに一人では厳しい日が出てきた。
そんなある午後、常連のおばあが黒糖プリンを食べながら言った。
「玲奈ちゃん、うちの孫娘、週末だけアルバイトにどうね?」
玲奈は水差しを持ったまま止まった。
「アルバイトですか」
「高校生さぁ。名前は美海。宮良美海。島の子らしくのんびりしてるけど、ええ子よ。人見知りせんし、ちゃんと挨拶できるさぁ」
「飲食店経験は?」
「ないさぁ」
玲奈は少し考えた。
繁忙日だけでも手があれば助かる。
ただし、接客を任せるなら教える責任がある。
「繁忙日の補助としてなら、お願いできます」
おばあは嬉しそうに笑った。
「よかったさぁ。美海も、玲奈ちゃんの店ならやってみたいって言ってたよ」
数日後、宮良美海が「しおかぜ」にやってきた。
長い髪を後ろでゆるくまとめた、明るい目をした高校生だった。島の娘らしい日焼けした頬に、どこかのんびりした空気がある。制服姿で、少し緊張しながらも、きちんと頭を下げた。
「宮良美海です。よろしくお願いします」
玲奈は静かに頷いた。
「岡本玲奈です。よろしくお願いします」
美海は目をぱちぱちさせた。
「玲奈さん、知ってます。おばあがいつも、怖いけど優しいって言ってます」
「怖い、は不要な情報です」
カウンター席のおばあが吹き出した。
「ほんとのことさぁ」
研修は、まず基本から始まった。
水の出し方。
グラスの持ち方。
注文の聞き方。
伝票の書き方。
黒糖プリンの扱い。
客席の拭き方。
他の客を映す写真撮影を避ける注意。
入口近くの段差に気をつけること。
玲奈の教え方は、丁寧だった。
だが、少し硬かった。
「注文を取る時は、曖昧にしないこと。数量、温冷、提供順、追加注文の有無を確認します」
「はい」
「復唱は必ず行います」
「はい」
「確認は重要です」
「はいっ」
美海は真面目にメモを取った。
そして、初めて観光客の席へ注文を取りに行った。
若い夫婦が、黒糖プリンとアイスコーヒーを頼む。
美海は緊張しながら、玲奈に教えられた通りに背筋を伸ばした。
「ご注文を確認します。黒糖プリン二点、アイスコーヒー二点。食後の追加注文は現時点では不要。以上で相違ありませんか」
観光客夫婦は、ぽかんとした。
「あ、はい……相違ないです」
カウンターの常連たちは、肩を震わせていた。
おばあが小声で言う。
「増えたさぁ」
おじいも新聞を下ろす。
「調書が二人体制になったさぁ」
玲奈はカウンターの中で、真顔のまま頷いた。
「適切な復唱です」
「そこ褒めるんかいな」
常連たちは大笑いした。
美海は戻ってきて、不安そうに尋ねた。
「玲奈さん、私、変でしたか?」
玲奈は淡々と答える。
「正確でした」
「でも、お客さん固まってました」
「初回接触ではよくあります」
「よくあるんですか?」
「あります」
常連のおばあが笑いすぎて、黒糖プリンのスプーンを落としそうになった。
それ以来、美海の注文取りは「しおかぜ」の新たな名物になった。
可愛らしい島の女子高生が、にこにこと水を出したあと、突然きっちりした調書のような注文確認をする。観光客は一瞬固まり、常連は待ってましたとばかりに笑う。
「ご注文を確認します。ブレンド一点、黒糖プリン一点、島野菜サンド一点。以上で相違ありませんか」
「え、あ、はい」
「相違ないって言いなさいさぁ」
おばあが横から茶々を入れる。
美海は照れながらも、少しずつ自信をつけていった。
最初は皿を置く手が震えていた。
会計で釣り銭を間違えそうになった。
黒糖プリンの皿を持つ時、緊張しすぎて歩幅が小さくなった。
玲奈は叱る時もあった。
「焦ると確認が抜けます」
「はい」
「失敗したら、まず原因を確認します。落ち込むのはその後で十分です」
「はい」
「ただし、同じ失敗を三回繰り返すのは改善不足です」
「厳しいです」
「必要な指導です」
それでも玲奈は、失敗の後には必ずフォローした。
客に謝る時は隣に立ち、会計を修正する時は一緒に確認し、閉店後には美海の良かった点も必ず一つ伝えた。
「今日は水を出すタイミングが良かった」
「本当ですか?」
「本当です」
「玲奈さんに褒められると、なんか通知表みたいで嬉しいです」
玲奈は少しだけ目を伏せた。
その姿を見ていると、遠い昔を思い出した。
戦隊ヒロイン時代。
そして、そこから派生した隠密活動の現場で、玲奈は若いヒロインたちを指導していた。
突っ走るあかり。
頼りなかった麻衣。
静かすぎた美咲。
能力はあるのに危なっかしい若い子たち。
叱った。
止めた。
時には突き放した。
けれど、本当は一人ひとりを見ていた。
美海に皿の置き方を教えながら、玲奈はふと麻衣が初めて現場で前に出た日のことを思い出した。
伝票の書き方を直しながら、あかりに何度も同じ指示を出した日のことを思い出した。
ずいぶん遠くまで来たものだと思った。
神戸から石垣へ。
警察官からカフェ店主へ。
ボスから、島の高校生のアルバイト指導係へ。
けれど、人を育てる時の緊張と、少しの楽しさは、変わっていなかった。
ある夕方、美海が帰る前に言った。
「玲奈さん、私、将来どうするかまだ決めてないんです。でも、ここで働いてると、ちゃんと働くってかっこいいなって思います」
玲奈はカップを拭く手を止めた。
「そう思えたなら、良い経験です」
「玲奈さんみたいには、なれないと思うけど」
「私みたいになる必要はありません」
美海が顔を上げる。
「あなたは、あなたの仕事の仕方を見つければいい」
美海は少し照れて笑った。
「はい」
閉店後、玲奈はいつものようにカウンター端の席を拭いた。
まだ帰らぬ亮介のために空けている席。
外では、南ぬ島の夜風が木製看板を揺らしていた。
玲奈はその席に向かって、小さく呟いた。
「今日は、美海が初めて一人で会計までできたわ」
返事はない。
「注文取りは、私に似すぎたかもしれないけど」
玲奈は少しだけ笑った。
「私、人を育てるのは向いていないと思っていたけど、案外嫌いじゃないみたい」
その声は、どこか懐かしそうだった。
あかりや麻衣たちを育てた日々。
そして今、島の高校生に水の出し方を教える日々。
形は違っても、誰かの未来に少し関わることは、悪くなかった。
「あなたが帰ってきたら、きっと驚くわよ。しおかぜには、調書を取れる女子高生がいるの」
玲奈は亮介の席をもう一度だけ丁寧に拭いた。
島カフェ「しおかぜ」は、また少し賑やかになった。
黒糖プリンと深煎りコーヒーの店。
帰らぬ男の席がある店。
そして、島の若い娘が少しずつ大人になっていく店。
明日も、美海はきっと元気に言うだろう。
「ご注文を確認します」
そのたびに、観光客はぽかんとし、常連は笑い、玲奈は少しだけ誇らしくなる。




