黒糖プリン、小さな賞を取る ――一番知らせたい男はまだ遠い
島カフェ「しおかぜ」の黒糖プリンが賞を取った。
といっても、大きな全国賞ではない。
テレビで大々的に取り上げられるような派手なものでもない。
沖縄の小さなグルメ企画。
地元食材を使った隠れた名品を紹介する、観光情報誌と地域サイトの合同企画だった。
それでも、賞は賞だった。
ある朝、玲奈がいつものように黒糖プリンを仕込み、カウンター端の席を丁寧に拭いていると、観光協会の担当者が少し弾んだ声でやってきた。
「玲奈さん、おめでとうございます。しおかぜの黒糖プリン、選ばれましたよ」
玲奈は、しばらく黙った。
「……何にですか」
「沖縄グルメ小企画の、島スイーツ部門です。小さな賞ですけど、審査員の評価、かなり高かったですよ」
玲奈は表情を変えないまま、黒糖プリンの型を見た。
「そうですか」
反応が薄すぎて、担当者は少し困った顔をした。
「もう少し喜んでもいいと思います」
玲奈は少しだけ考えた。
「ありがとうございます」
その声はいつも通り静かだった。
けれど、目元だけがほんの少し柔らかくなっていた。
知らせは、あっという間に常連たちへ広まった。
昼前には、おばあたちが集まってきた。
「玲奈ちゃん、プリンが賞取ったって?」
「やっぱりねえ。あれはうまいさぁ」
「うちら、最初から分かってたよ」
おじいも新聞を畳んで言った。
「しおかぜのプリンは、派手じゃないけど残る味さぁ。賞を出す人も、ちゃんと分かっとるねえ」
玲奈は黒糖プリンを出しながら、いつものように伝票を確認する。
「ご注文を確認します。黒糖プリン四点、ブレンド三点、さんぴん茶一点。以上で相違ありませんか」
おばあが笑う。
「賞取っても調書さぁ」
「確認は重要です」
その返事に、店内がどっと笑った。
玲奈も、ほんの少し笑った。
今度は常連たちが見逃さなかった。
「玲奈ちゃん、笑ったさぁ!」
「今日は祝いの日さぁ」
「黒糖プリン、もう一個頼むさぁ」
玲奈は少し困った顔をした。
「在庫には限りがあります」
「ほら、賞取った店主が在庫管理してるさぁ」
その日、「しおかぜ」は小さな祝賀会のようになった。
誰かが島バナナを持ってくる。
誰かが花を持ってくる。
八重山そば屋のおばあは、差し入れにジューシーのおにぎりを持ってきた。
常連の若者は「記念に写真撮りましょう」と言ったが、玲奈は即座に首を振った。
「店内の撮影は、他のお客様の同意がある場合のみです」
「玲奈ちゃん、そこは変わらんさぁ」
けれど、賞の話は店の外にも広がった。
数日後から、取材の申し込みが増えた。
地元紙。
観光情報誌。
地域サイト。
島グルメ特集の動画担当。
小さなラジオ番組。
彼らは皆、黒糖プリンに興味を持って来た。
そして、実際に店へ来ると、ほとんど全員が玲奈を見て少し驚いた。
「店主さん、顔出ししないんですか?」
「最小限でお願いします」
「でも、こんなにお綺麗なのに」
「プリンの取材です」
「店主さん込みで紹介した方が、絶対に反響ありますよ」
「プリンの取材です」
玲奈は、毎回同じように答えた。
取材者は、誰もが惜しがった。
女優のような美人店主。
元警察官らしい凛とした雰囲気。
静かな島カフェ。
黒糖プリン。
素材としては、あまりにも強い。
中には、玲奈のことを知っている者もいた。
「あの……もしかして、昔、県警のポスターに出ていませんでしたか」
玲奈は一瞬だけ沈黙した。
「人違いではありません」
「やっぱり。戦隊ヒロインにも……」
玲奈は静かに遮った。
「現在はカフェ店主です。今回は黒糖プリンの取材としてお願いします」
その声に、取材者はそれ以上踏み込まなかった。
玲奈は過去を否定しているわけではない。
警察官としての日々も、戦隊ヒロインとしての日々も、NSTのボスとして影から兵庫を守った時間も、すべて自分の一部だった。
けれど、「しおかぜ」はそれを売り物にする場所ではない。
この店は、黒糖プリンとコーヒーを出す店。
島の人が休む店。
旅人が一息つく店。
そして、まだ帰らぬ男がいつか立ち寄れるように守っている店。
だから、玲奈は顔出しを最小限にした。
記事に載ったのは、黒糖プリンの写真と、店内の落ち着いた雰囲気。
木のカウンター。
石垣の光。
アンティーク調の椅子。
そして、端正な手元だけが少し写った、プリンを置く玲奈の写真。
それでよかった。
数日後、賞状と小さな盾が届いた。
常連たちはまた大騒ぎした。
「玲奈ちゃん、飾りなさい!」
「入口の一番見えるところがいいさぁ」
「いや、レジ横さぁ」
玲奈は少し考えた。
「検討します」
「また硬いさぁ」
その夜、閉店後の「しおかぜ」は静かだった。
昼間の賑やかさが嘘のように、店内には黒糖の甘い香りと、磨かれたカップの静けさだけが残っていた。
玲奈は、賞状と盾を手に取った。
小さな賞だった。
けれど、自分がこの島で積み重ねてきた時間を、誰かが見つけてくれた証でもあった。
神戸の純喫茶「霧笛」で習ったプリン。
石垣の黒糖。
何度も失敗した火加減。
客が来なかった日。
赤字の帳簿。
台風で壊れた看板。
常連たちの笑い声。
その全部が、この小さな盾の中に詰まっている気がした。
玲奈は、カウンター端の席へ歩いた。
入口と窓の両方が見える席。
まだ帰らぬ亮介のために、毎日丁寧に拭いている席。
そこに、賞状と盾をそっと置いた。
店内には誰もいない。
けれど玲奈は、そこに座るはずの男へ向かって、静かに報告した。
「黒糖プリンが褒められました」
声は小さかった。
少しだけ誇らしげで、少しだけ寂しかった。
「あなたが帰ってきたら、一番綺麗な皿で出します」
言ってから、玲奈はほんの少し笑った。
「その時は、ちゃんと感想を言って。社交辞令ではなく」
外では、南ぬ島の夜風が木製看板を揺らしていた。
一番知らせたい男は、まだ遠い。
手紙もすぐには届かない。
今この喜びを分かち合うこともできない。
それでも玲奈は、もう泣かなかった。
待つことは、何もせずに立ち止まることではない。
店を開けること。
味を守ること。
誰かに褒められたら、その喜びを胸にしまい、いつか話せる日まで大事に持っておくこと。
玲奈は賞状を丁寧に棚へ移し、盾だけを亮介の席に少しの間置いたままにした。
「しおかぜは、続いているわ」
静かにそう呟く。
「あなたが知らない間に、少しずついい店になっている」
玲奈はカウンターの灯りを落とした。
小さな盾が、夜の店内で淡く光っている。
それは、まだ帰らぬ男への報告書のようであり、玲奈が南ぬ島で生きてきた二年余りの証でもあった。
明日も、黒糖プリンを仕込む。
明日も、調書のように注文を取る。
明日も、亮介の席を拭く。
一番綺麗な皿は、まだ棚の奥にしまってある。
いつかその皿に黒糖プリンを乗せる日まで、玲奈は「しおかぜ」の灯りを消さない。




