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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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黒糖プリン、小さな賞を取る ――一番知らせたい男はまだ遠い

島カフェ「しおかぜ」の黒糖プリンが賞を取った。


といっても、大きな全国賞ではない。

テレビで大々的に取り上げられるような派手なものでもない。


沖縄の小さなグルメ企画。

地元食材を使った隠れた名品を紹介する、観光情報誌と地域サイトの合同企画だった。


それでも、賞は賞だった。


ある朝、玲奈がいつものように黒糖プリンを仕込み、カウンター端の席を丁寧に拭いていると、観光協会の担当者が少し弾んだ声でやってきた。


「玲奈さん、おめでとうございます。しおかぜの黒糖プリン、選ばれましたよ」


玲奈は、しばらく黙った。


「……何にですか」


「沖縄グルメ小企画の、島スイーツ部門です。小さな賞ですけど、審査員の評価、かなり高かったですよ」


玲奈は表情を変えないまま、黒糖プリンの型を見た。


「そうですか」


反応が薄すぎて、担当者は少し困った顔をした。


「もう少し喜んでもいいと思います」


玲奈は少しだけ考えた。


「ありがとうございます」


その声はいつも通り静かだった。

けれど、目元だけがほんの少し柔らかくなっていた。


知らせは、あっという間に常連たちへ広まった。


昼前には、おばあたちが集まってきた。


「玲奈ちゃん、プリンが賞取ったって?」


「やっぱりねえ。あれはうまいさぁ」


「うちら、最初から分かってたよ」


おじいも新聞を畳んで言った。


「しおかぜのプリンは、派手じゃないけど残る味さぁ。賞を出す人も、ちゃんと分かっとるねえ」


玲奈は黒糖プリンを出しながら、いつものように伝票を確認する。


「ご注文を確認します。黒糖プリン四点、ブレンド三点、さんぴん茶一点。以上で相違ありませんか」


おばあが笑う。


「賞取っても調書さぁ」


「確認は重要です」


その返事に、店内がどっと笑った。


玲奈も、ほんの少し笑った。

今度は常連たちが見逃さなかった。


「玲奈ちゃん、笑ったさぁ!」


「今日は祝いの日さぁ」


「黒糖プリン、もう一個頼むさぁ」


玲奈は少し困った顔をした。


「在庫には限りがあります」


「ほら、賞取った店主が在庫管理してるさぁ」


その日、「しおかぜ」は小さな祝賀会のようになった。


誰かが島バナナを持ってくる。

誰かが花を持ってくる。

八重山そば屋のおばあは、差し入れにジューシーのおにぎりを持ってきた。

常連の若者は「記念に写真撮りましょう」と言ったが、玲奈は即座に首を振った。


「店内の撮影は、他のお客様の同意がある場合のみです」


「玲奈ちゃん、そこは変わらんさぁ」


けれど、賞の話は店の外にも広がった。


数日後から、取材の申し込みが増えた。


地元紙。

観光情報誌。

地域サイト。

島グルメ特集の動画担当。

小さなラジオ番組。


彼らは皆、黒糖プリンに興味を持って来た。

そして、実際に店へ来ると、ほとんど全員が玲奈を見て少し驚いた。


「店主さん、顔出ししないんですか?」


「最小限でお願いします」


「でも、こんなにお綺麗なのに」


「プリンの取材です」


「店主さん込みで紹介した方が、絶対に反響ありますよ」


「プリンの取材です」


玲奈は、毎回同じように答えた。


取材者は、誰もが惜しがった。

女優のような美人店主。

元警察官らしい凛とした雰囲気。

静かな島カフェ。

黒糖プリン。


素材としては、あまりにも強い。


中には、玲奈のことを知っている者もいた。


「あの……もしかして、昔、県警のポスターに出ていませんでしたか」


玲奈は一瞬だけ沈黙した。


「人違いではありません」


「やっぱり。戦隊ヒロインにも……」


玲奈は静かに遮った。


「現在はカフェ店主です。今回は黒糖プリンの取材としてお願いします」


その声に、取材者はそれ以上踏み込まなかった。


玲奈は過去を否定しているわけではない。

警察官としての日々も、戦隊ヒロインとしての日々も、NSTのボスとして影から兵庫を守った時間も、すべて自分の一部だった。


けれど、「しおかぜ」はそれを売り物にする場所ではない。


この店は、黒糖プリンとコーヒーを出す店。

島の人が休む店。

旅人が一息つく店。

そして、まだ帰らぬ男がいつか立ち寄れるように守っている店。


だから、玲奈は顔出しを最小限にした。


記事に載ったのは、黒糖プリンの写真と、店内の落ち着いた雰囲気。

木のカウンター。

石垣の光。

アンティーク調の椅子。

そして、端正な手元だけが少し写った、プリンを置く玲奈の写真。


それでよかった。


数日後、賞状と小さな盾が届いた。


常連たちはまた大騒ぎした。


「玲奈ちゃん、飾りなさい!」


「入口の一番見えるところがいいさぁ」


「いや、レジ横さぁ」


玲奈は少し考えた。


「検討します」


「また硬いさぁ」


その夜、閉店後の「しおかぜ」は静かだった。


昼間の賑やかさが嘘のように、店内には黒糖の甘い香りと、磨かれたカップの静けさだけが残っていた。


玲奈は、賞状と盾を手に取った。


小さな賞だった。

けれど、自分がこの島で積み重ねてきた時間を、誰かが見つけてくれた証でもあった。


神戸の純喫茶「霧笛」で習ったプリン。

石垣の黒糖。

何度も失敗した火加減。

客が来なかった日。

赤字の帳簿。

台風で壊れた看板。

常連たちの笑い声。


その全部が、この小さな盾の中に詰まっている気がした。


玲奈は、カウンター端の席へ歩いた。


入口と窓の両方が見える席。

まだ帰らぬ亮介のために、毎日丁寧に拭いている席。


そこに、賞状と盾をそっと置いた。


店内には誰もいない。

けれど玲奈は、そこに座るはずの男へ向かって、静かに報告した。


「黒糖プリンが褒められました」


声は小さかった。

少しだけ誇らしげで、少しだけ寂しかった。


「あなたが帰ってきたら、一番綺麗な皿で出します」


言ってから、玲奈はほんの少し笑った。


「その時は、ちゃんと感想を言って。社交辞令ではなく」


外では、南ぬ島の夜風が木製看板を揺らしていた。


一番知らせたい男は、まだ遠い。

手紙もすぐには届かない。

今この喜びを分かち合うこともできない。


それでも玲奈は、もう泣かなかった。


待つことは、何もせずに立ち止まることではない。

店を開けること。

味を守ること。

誰かに褒められたら、その喜びを胸にしまい、いつか話せる日まで大事に持っておくこと。


玲奈は賞状を丁寧に棚へ移し、盾だけを亮介の席に少しの間置いたままにした。


「しおかぜは、続いているわ」


静かにそう呟く。


「あなたが知らない間に、少しずついい店になっている」


玲奈はカウンターの灯りを落とした。


小さな盾が、夜の店内で淡く光っている。

それは、まだ帰らぬ男への報告書のようであり、玲奈が南ぬ島で生きてきた二年余りの証でもあった。


明日も、黒糖プリンを仕込む。

明日も、調書のように注文を取る。

明日も、亮介の席を拭く。


一番綺麗な皿は、まだ棚の奥にしまってある。

いつかその皿に黒糖プリンを乗せる日まで、玲奈は「しおかぜ」の灯りを消さない。

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