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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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星砂の小瓶と、返事のない席 ――しおかぜ店主は今日も一人分だけ空けておく

南ぬ島の午後は、光までゆっくりしている。


島カフェ「しおかぜ」の窓辺には、柔らかな日差しが差し込んでいた。平久保岬へ向かう幹線道路沿いの小さな白い店。木製の看板は潮風に少し色を褪せ、入口の貝殻飾りは、風が吹くたびに小さく鳴る。


玲奈がこの店を開いて、もう二年以上が過ぎていた。


黒糖プリンはすっかり名物になり、地元のおじい、おばあ、観光客、ツーリング客、移住者たちが、ぽつぽつと足を止める店になった。

それでも、カウンターの端の席だけは、いつも少し違う空気をまとっていた。


入口と窓の両方が見える席。

玲奈が毎朝、誰よりも丁寧に拭く席。

まだ帰らぬ亮介のために、勝手に空けている席だった。


その日、近所に住む小学生の少女が「しおかぜ」にやってきた。


島の子らしく日焼けした頬に、大きな目。

手には小さなガラス瓶を持っていた。中には、白く細かな星砂が入っている。


「玲奈さん、これあげる」


玲奈はカウンター越しに瓶を受け取った。


「これは?」


「星砂。願いごとすると叶うって、おばあが言ってた」


少女は得意げに笑った。


「玲奈さん、いつも頑張ってるから。お願いしていいよ」


玲奈は小さな瓶を光にかざした。

星の形をした砂が、ガラスの中で淡くきらめく。


「ありがとう」


「何お願いするの?」


玲奈は少しだけ黙った。


願いなら、一つしかなかった。


大金が欲しいわけではない。

有名店になりたいわけでもない。

昔の肩書きを取り戻したいわけでもない。


ただ、亮介が罪と向き合い、嘘を脱ぎ捨て、もう一度まっすぐな目で自分の前に立つこと。


玲奈の願いは、それだけだった。


言葉にするなら、きっとこうだ。


あの人が、過去から逃げずに歩き切って、いつかこの店の扉を自分の手で開けてくれること。


けれど、玲奈はそれを少女には言わなかった。


少女は首をかしげる。


「ねえ、何をお願いしたの?」


玲奈は星砂の小瓶を手の中で包み、少しだけ目元を柔らかくした。


「教えたら、願いごとって叶わないんだよ」


少女は驚いた顔をして、それから真剣に頷いた。


「そっか。じゃあ聞かない」


「ありがとう」


「でも叶うといいね」


「ええ」


玲奈の声は、とても静かだった。


少女は黒糖プリンを食べ、宿題の話を少しして、夕方の光の中を帰っていった。

その小さな背中を見送りながら、玲奈は星砂の瓶をカウンターの端に置いた。


亮介の席の前だった。


常連のおばあが、それに気づく。


「玲奈ちゃん、かわいいの置いたねえ」


「いただきものです」


「お願いごとかね?」


玲奈は短く答える。


「営業上の秘密です」


おばあは笑った。


「また硬いこと言うさぁ」


その日は、いつも通りに過ぎていった。


おじいがブレンドを飲み、観光客が黒糖プリンを写真に撮り、玲奈は調書のように注文を確認し、夕方には店先の草花に水をやった。

すべてが穏やかだった。


けれど、閉店後の「しおかぜ」は、昼間とは違う顔を見せる。


店内の灯りを少し落とすと、カウンターの木目が深く沈み、窓の外には南ぬ島の夜が広がる。潮風が木製看板を揺らし、遠くで波の音がする。


玲奈は最後に、亮介の席を拭いた。


そして、その席の前に星砂の小瓶を置く。


小さな星が、ガラスの中で眠っていた。


「願いごとは一つだけで十分ね」


玲奈は誰もいない席へ向かって呟く。


返事はない。


それでも玲奈は続けた。


「あなたが帰ってくるまで、私はここで願いごとを増やしすぎないようにするわ」


声は静かだった。

少しだけ、切なかった。


願いが増えれば、欲張りになる。

早く帰ってきてほしい。

忘れないでほしい。

自分だけを見てほしい。

もう二度と傷つけないでほしい。

できることなら、何もなかったように笑ってほしい。


本当は、いくらでも願いは浮かぶ。


けれど玲奈は、それをひとつに絞る。


亮介が真人間になって、自分の前に現れること。

その日、彼が胸を張れなくてもいい。

完璧でなくてもいい。

ただ、逃げずにこの店の扉を開けてくれること。


それだけでいい。


玲奈は星砂の小瓶を指先でそっと撫でた。


「あなたが帰ってきたら、この瓶のことを話すわ」


少し間を置く。


「その時、願いが叶ったかどうか、二人で確認しましょう」


誰もいない店内に、黒糖プリンの甘い香りがわずかに残っている。


玲奈は、星砂の小瓶を亮介の席の端に置いたまま、カウンターの灯りを落とした。


南ぬ島の夜は静かだった。


星砂の小瓶は、小さな灯台のように、返事のない席で淡く光っている。


玲奈は明日も店を開ける。

黒糖プリンを仕込み、コーヒーを淹れ、客を迎え、調書のように注文を取り、そして夜にはまたこの小瓶を見つめる。


願いごとは、ひとつだけ。


帰ってくるかどうか分からない男を待ちながら、玲奈は今日も、一人分だけ席を空けておく。

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