表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
44/146

清楚な春風、女王様の卒業旅行 ――女子アナ前夜のさつきは、黒糖プリンの島で二つの顔を見せる

玲奈が南ぬ島・石垣に島カフェ「しおかぜ」を開いて、二年以上が過ぎていた。


平久保岬へ向かう幹線道路沿いの小さな白い店は、もう島の風景の一部になっている。地元のおじい、おばあが昼下がりに黒糖プリンを食べに来る。観光客が深煎りのコーヒーを飲みに来る。玲奈は今日も、調書のような注文取りで初めての客を少し緊張させながら、静かに店を切り盛りしていた。


戦隊ヒロインとして走り回っていた日々は、もう遠い昔のようだった。


兵庫県警からの出向。

華やかなイベントステージ。

戦闘任務。

そして、誰にも知られず兵庫県を影から守っていた隠密活動。


その最後の活動の存在を知っていたのは、ほんの限られた者だけだった。三好さつきも知らない。さつきにとって玲奈は、戦隊ヒロイン時代に時々現場で一緒になった、冷静で頼れる先輩であり、言葉の選び方や立ち居振る舞いを教えてくれた人だった。


二月下旬から三月上旬。

石垣の風には、冬の名残と春の気配が混じっていた。


その午後、「しおかぜ」の扉が静かに開いた。


「玲奈さん、お久しぶりです」


入ってきたのは、三好さつきだった。


徳島県出身。長い黒髪と長身が印象的な、清楚な雰囲気の人気戦隊ヒロイン。関西の名門私大に通いながら、兵庫県の県域放送局で情報番組のキャスターも務めていた。落ち着いた声、品のある笑顔、視聴者に寄り添う話し方で人気を集め、雑誌の「好きな女性キャスターランキング」でも上位に入るほどになっていた。


玲奈は少しだけ目を細める。


「卒業旅行?」


「はい。大学の卒業旅行です」


さつきは柔らかく微笑んだ。


「四月からは、夢だった在京キー局のアナウンサーになります。予定通り、戦隊ヒロインも卒業することになりました」


その横には、若い男性が立っていた。


玲奈は一瞬、心の中で首を傾げる。


以前、神戸の純喫茶「霧笛」でさつきと一緒に来ていた医学部生とは、まったく違う男性だった。


もちろん、玲奈は表情に出さない。

だが、元警察官の観察眼はまだ衰えていない。


さつきは、相変わらず礼儀正しかった。


「玲奈さんには、戦隊ヒロイン時代に本当にお世話になりました。私は現場経験も少なくて、最初はどう振る舞えばいいのか分からないことばかりでした。でも玲奈さんが、言葉の選び方や、場の空気の読み方を教えてくださって」


玲奈は静かに返す。


「あなたは元々、話す力があったわ。私は少し助言しただけ」


「その“少し”が大きかったんです」


さつきは丁寧に頭を下げる。


玲奈は珍しく、少し嬉しそうだった。


「ご注文は」


「ブレンドと黒糖プリンを二つお願いします」


玲奈は伝票を取る。


「ご注文を確認します。ブレンド二点、黒糖プリン二点。食後の追加注文は現時点では不要。以上で相違ありませんか」


さつきはくすっと笑った。


「玲奈さん、そこは変わらないんですね」


「確認は重要です」


常連のおばあが横から言う。


「玲奈ちゃん、今日も調書さぁ」


さつきは上品に笑う。


「それも玲奈さんらしさですね」


ここまでは、誰が見ても清楚で礼儀正しい人気キャスターだった。


だが、恋人に対する態度は少し違った。


「そこ、荷物置かないで。通路の邪魔になるから」


「うん」


「写真撮るなら、角度考えて。逆光で髪が重く見えるでしょ」


「ごめん」


「あと、次は川平湾って言ったよね。時間、ちゃんと見てる?」


「見てるよ」


「見てるだけじゃなくて、管理して」


玲奈はカウンターの中で、コーヒーを淹れながら無言で聞いていた。


清楚な笑顔。

丁寧な言葉遣い。

だが恋人には、かなり高圧的。完全に主導権を握っている。女王様と言ってもいい。


さつきは玲奈や他の客には、あくまで礼儀正しく振る舞う。おばあには席を譲り、観光客にはにこやかに会釈し、黒糖プリンには「上品な甘さですね」と丁寧な感想を述べる。


その直後、恋人には小声で言う。


「食べるの遅い。次の予定、詰まってるんやから」


玲奈は少しだけ眉を動かす。


さつきの男性関係が、見た目の清楚さほど落ち着いていないことは、なんとなく知っていた。真面目で礼儀正しく、努力家で、仕事への意識も高い。だが恋愛になると、どこか気まぐれで、相手を振り回すところがある。


完璧に見える人間にも、癖はある。


玲奈はそう思った。


黒糖プリンを食べ終えたさつきは、満足そうに微笑んだ。


「本当に美味しいです。玲奈さんのお店、すごく素敵ですね。神戸の霧笛とはまた違う、静かな強さがあります」


「ありがとう」


「いつか、しおかぜの取材に来てもいいですか?」


玲奈は一瞬だけ黙った。


「うちは取材はすべて断っているけど」


さつきの表情が少しだけ曇る。


玲奈は続けた。


「さつきの取材なら、いいかな」


さつきの顔がぱっと明るくなる。


「本当ですか?」


「ただし、店の空気を壊さないこと。常連客を無断で映さないこと。私の過去を売り物にしないこと」


「もちろんです。玲奈さんが大事にしているものは、ちゃんと守ります」


その言葉は、嘘ではなかった。


さつきは、仕事では本当に真面目だ。

そこは玲奈も信頼していた。


だが次の瞬間、さつきは恋人へ振り向く。


「ほら、行くよ。荷物持って。あと会計、あなたが払って」


恋人は慌てて財布を出す。


常連のおばあが小声で言った。


「きれいなお姉さん、強いさぁ」


玲奈は聞こえないふりをした。


会計を終え、帰り際、さつきは改めて玲奈へ頭を下げた。


「玲奈さん、また来ます。次は取材で」


「お待ちしています。四月から、頑張って」


「はい。必ず」


その時のさつきは、まぎれもなく清楚で礼儀正しい、夢へ向かう若い女性だった。


だが店を出る直前、恋人にはまた小声で言う。


「レンタカーの鍵、ちゃんと持った? もう忘れ物しないでね」


玲奈は少しだけ目元を緩めた。


華やかな未来へ向かう女。

仕事では礼儀正しく、努力家で、賢い。

恋愛では少し奔放で、相手を支配しがち。


その二面性も含めて、三好さつきなのだろう。


閉店後、「しおかぜ」は静かになった。


玲奈はカップを洗い、テーブルを拭き、最後にカウンター端の席を丁寧に拭いた。

まだ帰らぬ亮介のために、毎日空けている席だった。


そこへ向かって、小さく呟く。


「今日は、さつきが来たわ」


返事はない。

石垣の夜風が、木製看板を揺らしている。


「真面目で、礼儀正しくて、いい子なの。四月から夢だった女子アナになるんですって。きっと人気者になるわ」


玲奈は少し間を置く。


「でも……ちょっと男性にはだらしないんやな」


そう言ってから、ほんの少し笑った。


「完璧な人間なんて居らんわな」


その言葉は、亮介へ向けたものでもあり、自分自身へ向けたものでもあった。


罪を犯した男を待つ女。

華やかな過去を隠して島で暮らす女。

冷静な顔をしながら、時々ひどく寂しくなる女。


誰も完璧ではない。


だからこそ、人は誰かを待ったり、許そうとしたり、また傷ついたりする。


玲奈は亮介の席をもう一度だけ拭いた。


「あなたも、完璧じゃない。私も、たぶん完璧じゃない」


夜のしおかぜに、黒糖プリンの甘い香りが少しだけ残っている。


「それでも、帰ってきたらコーヒーくらいは出すわ。調書みたいに注文は取るけど」


玲奈は灯りを落とす前に、窓の外の星を見た。


春は近い。

旅立つ者がいて、待ち続ける者がいる。

南ぬ島の小さなカフェは、今日も誰かの節目を静かに見送っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ