河内の太陽が、しおかぜに吹いた日 ――赤嶺一家、南ぬ島で玲奈の鉄仮面をほどく
南ぬ島・石垣に、岡本玲奈が島カフェ「しおかぜ」を開いて、もう二年近くが過ぎようとしていた。
平久保岬へ向かう幹線道路沿いの小さな白い店は、すっかり島の日常に馴染んでいた。地元のおじい、おばあが昼下がりにコーヒーを飲み、観光客が黒糖プリンを目当てに立ち寄る。玲奈は相変わらず、調書のような注文確認で初見の客を少し緊張させながらも、静かに店を切り盛りしていた。
戦隊ヒロインとして忙しくも楽しく活動していた日々は、もう遠い過去のようだった。
兵庫県警からの出向で戦隊ヒロインに加わり、華やかなイベントステージに立ち、戦闘任務にも赴いた。さらにNSTのボスとして、生まれ育った兵庫県を影から守る隠密活動にも携わった。緊張も責任もあったが、やり甲斐はあった。
けれど今の玲奈は、南ぬ島で黒糖プリンを仕込み、深煎りのコーヒーを淹れ、手の空いた午後には貝殻のチャームを作るカフェ店主だった。
玲奈は、このゆっくりとした時間を気に入っていた。
そんな「しおかぜ」の穏やかな午後を、突然、元気な声が破った。
「玲奈さーん! 来たでー!!」
扉が勢いよく開き、赤嶺美月が飛び込んできた。
「うわっ、ええ店やん! めっちゃ雰囲気あるやん!」
その後ろから、祖父の清一、祖母の花、父の真人、母の春菜が続く。赤嶺一家五人。南ぬ島の静かなカフェに、河内の太陽を丸ごと持ち込んだような賑やかさだった。
玲奈は一瞬だけ目を瞬かせた。
「……いらっしゃいませ」
真人は玲奈を見るなり、にこにこ笑った。
「玲奈さん、お久しぶりですね。いや~相変わらずべっぴんさんですね。逮捕されてもええですわ」
すぐに春菜が睨む。
「おっさん、エエ加減にしなさい。南の島まで来て何言うてんの」
真人は胸を張った。
「いや、これは最大級の賛辞や」
「警察に捕まりたい賛辞って何やの」
美月が腹を抱えて笑う。
「お父ちゃん、初手から終わってるわ!」
そのやり取りに、玲奈の鉄仮面が久しぶりにほころんだ。
ほんのわずかに、口元が緩む。
美月は見逃さなかった。
「あっ、玲奈さん笑った! 今、笑ったで!」
「見間違いです」
「いや、絶対笑った!」
常連のおばあが横から言う。
「玲奈ちゃん、今日はえらい楽しそうさぁ」
玲奈は無表情に戻して答えた。
「通常営業です」
その返しに、店内にまた笑いが広がった。
清一は店内をゆっくり見て回り、レジ横のハンドメイド雑貨に目を留めた。貝殻のチャーム、布コースター、小さな木製の飾り。どれも玲奈が手作りしたものだった。
「これ、手作りでっしゃろ?」
「はい」
清一は手に取って、職人の目で眺めた。
「エエ仕事してるわ。細かいとこまで丁寧や。町工場の職人から見ても、これはええ。こういうんは性格出まっせ」
玲奈は少しだけ照れたように目を伏せた。
「ありがとうございます」
祖母の花は、窓際の席に腰かけて、店内を見渡した。
「ええ雰囲気やね。落ち着くわ。派手やないけど、ちゃんと心がこもってる。玲奈さんらしいお店やね」
その言葉は、玲奈の胸に静かに染みた。
春菜は黒糖プリンを一口食べ、目を丸くした。
「これ、めっちゃ美味しい。黒糖の甘さが深いのに、しつこくないわ。カラメルもええ苦さやね」
「石垣の黒糖を使っています」
「レシピ、ちょっと聞いてええ?」
玲奈は真面目に説明を始めた。卵の混ぜ方、火加減、カラメルの濃度、冷やす時間。春菜は途中まで真剣に聞いていたが、やがて笑って手を振った。
「無理やな。ウチで作ったら、ただの甘い茶碗蒸しになるわ」
真人が横から余計なことを言う。
「春菜の茶碗蒸し、たまにプリンみたいやしな」
「黙りなさい」
美月がまた笑う。
「お母ちゃん、今日キレ味ええな!」
赤嶺一家の明るさは、すぐに地元の常連たちにも伝染した。美月はおばあたちと河内弁丸出しで話し込み、清一はおじいたちと工具や軽トラの話で盛り上がる。花は島野菜の話を聞き、春菜は黒糖プリンをもう一つ頼むか真剣に迷っていた。
真人は常連のおじいに向かって、
「いや~この店、ええですなあ。店主さんは美人やし、プリンはうまいし、逮捕されても本望ですわ」
と言い、春菜にまた叱られていた。
「まだ言うか、このおっさんは」
「夫婦仲がよろしいですね」
玲奈が静かに言うと、春菜が即答した。
「よろしいんですけど、たまに黙らせたいんです」
その場にいた全員が笑った。
「しおかぜ」は、いつもよりずっと賑やかだった。けれど、不思議と騒がしすぎなかった。明るく、温かく、誰も置いていかない賑やかさだった。
玲奈はカウンターの中から、その光景を見ていた。
美月の笑い声。
春菜の軽快なツッコミ。
真人のどうしようもない冗談。
清一の職人らしい褒め言葉。
花の穏やかな微笑み。
地元のおじい、おばあたちの楽しそうな顔。
この店を開いてよかった。
玲奈は、心の底からそう思った。
神戸を離れたこと。
警察官を辞めたこと。
戦隊ヒロインを降りたこと。
亮介を待つために南の島へ来たこと。
そのすべてが、間違いではなかったと思えた。
夕方になり、赤嶺一家は名残惜しそうに席を立った。
「玲奈さん、また来るで!」
美月が大きく手を振る。
「お待ちしています」
真人がまた余計なことを言う。
「次来た時も、逮捕される覚悟で来ますわ」
春菜がすかさず叱る。
「もうええ言うてるやろ」
清一は笑いながら言った。
「玲奈さん、この店、大事にしなはれ。エエ店ですわ」
花も穏やかに頷いた。
「また黒糖プリン、食べに来たいわ」
玲奈は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
賑やかな一行が去ると、「しおかぜ」にはいつもの潮風が戻った。
閉店後、玲奈は後片付けをした。カップを洗い、テーブルを拭き、黒糖プリンの残りを確認する。最後に、カウンター端の席を丁寧に拭いた。
まだ帰らぬ亮介のために空けている席。
玲奈はそこへ向かって、小さく呟いた。
「今日は楽しかったよ」
返事はない。
外では石垣の夜風が、木製看板を静かに揺らしている。
「一人も嫌いじゃない。静かな時間も好き。でも……みんなでいるのは、楽しいのね」
玲奈は少しだけ目を伏せた。
「あなたと、ああいう日を過ごせるのは……あと少しかな」
その声は、誰にも聞かせない女の声だった。冷徹なる美貌のボスでも、元警察官でも、カフェ店主でもない。ただ、帰らぬ男を待つ玲奈の声だった。
店にはまだ、笑い声の余韻と、黒糖プリンの甘い香りが残っている。
玲奈は灯りを落とす前に、亮介の席をもう一度だけ見た。
「あなたが帰ってきたら、きっと驚くわよ。ここ、思ったより楽しい店になったから」
南ぬ島の夜が、静かに更けていく。
明日も玲奈は看板を出す。
誰かを迎え、誰かを見送り、そしてまだ帰らぬ男の席を守るために。




