四日市の突貫娘、南ぬ島へ親孝行に来る ――黒糖プリンと、両親のやさしい心配
南ぬ島・石垣に、岡本玲奈が島カフェ「しおかぜ」を開いて一年余りが過ぎていた。
平久保岬へ向かう幹線道路沿いの小さな白い店は、もうすっかり島の日常に馴染んでいた。地元のおじい、おばあが黒糖プリンを食べに来る。レンタカーの観光客が深煎りのコーヒーを飲みに来る。玲奈は相変わらず調書のような注文取りで客を少し緊張させながら、静かに店を切り盛りしていた。
戦隊ヒロインを卒業してからは、かなりの年月が経っていた。
兵庫県警からの出向で戦隊ヒロインに加わり、イベントステージに立ち、戦闘任務にも赴いた。さらに県警との合同隠密活動であるNSTでは、冷徹なる美貌のボスとして、影から生まれ育った兵庫県を守っていた。
今となっては、遠い昔の記憶のようだった。
そんな午後、「しおかぜ」の扉が勢いよく開いた。
「玲奈さーん! 来ました!」
声だけで分かる。
四日市の突貫娘、山本あかりだった。
相変わらず明るい。
相変わらず声が大きい。
相変わらず、店の静けさを一瞬で吹き飛ばす。
その後ろには、高齢の夫婦が立っていた。
父は、日に焼けた顔に穏やかな笑みを浮かべた、実直そうな男性だった。四日市の石油コンビナートで長く技師として働いてきた人らしく、背筋には現場で培った芯の強さがある。派手さはないが、言葉の端々に誠実さが滲む。
母は、柔らかな雰囲気の女性だった。専業主婦として家庭を守ってきた人で、あかりを見る目に深い愛情がある。娘が何を言い出しても、まず受け止めてから笑うような、包み込む優しさを持っていた。
「あの、私一人では玲奈さんの店に来られなさそうだったので、両親も連れてきました!」
玲奈は一瞬だけ黙った。
「……道案内のために、ご両親を石垣まで同行させたの?」
「はい!」
あまりにあかりらしい答えに、玲奈は少しだけ目を細めた。
あかりの両親とは、数年前に会っている。任務中、あかりが負傷した時、玲奈は四日市の実家まで謝罪に行った。その時も、この夫婦は玲奈を責めなかった。
娘を心配していないわけではない。
むしろ、誰よりも心配していた。
高齢になってから授かった一人娘。明るく、危なっかしく、まっすぐで、放っておけない娘。その娘が戦隊ヒロインとして危険な現場に立っている。親として不安でないはずがない。
それでも二人は、あかりの選んだ道を否定しなかった。
父は深く頭を下げた。
「岡本さん、その節は本当にお世話になりました。娘のことで、どれだけご心配をおかけしたか」
母も、両手を揃えて微笑んだ。
「この子、家では玲奈さんの話ばかりしていたんですよ。玲奈さんはすごい、玲奈さんはかっこいい、玲奈さんみたいになりたいって」
玲奈は珍しく、少しだけ照れたように笑った。
「……それは、かなり誇張されています」
あかりは胸を張った。
「誇張じゃありません! 玲奈さんは私の中で伝説のボスです!」
父は嬉しそうに、けれど少し困ったように笑った。
「この子は昔から、憧れた人のことをまっすぐ見すぎるところがありましてね。危なっかしいんですが、その分、人を信じる力だけは強いんです」
母が続ける。
「不器用ですけど、悪い子ではないんです。玲奈さんや皆さんに叱っていただけるのは、本当にありがたいことです」
その言葉に、玲奈は少し胸を突かれた。
この両親は、あかりを甘やかしているわけではない。
大切にしているからこそ、叱ってくれる人への感謝を知っている。
娘が外で迷惑をかけていないか、危ないことをしていないか、きっと何度も心配してきたはずだ。
玲奈はブレンドを淹れ、黒糖プリンを三つ出した。
「ご注文を確認します。ブレンド三点、黒糖プリン三点。以上で相違ありませんか」
父が少し固まった。
母が小さく笑う。
「あら、本当に警察の方みたい」
あかりは得意げに言った。
「そうなんです! 玲奈さんの注文取りは昔からこうなんです!」
玲奈は無表情で返す。
「確認は重要です」
三人は黒糖プリンを一口食べた。
やや苦いカラメルと、石垣黒糖の深い甘さがゆっくり広がる。
父は驚いたように目を細めた。
「これは……うまいですね。丁寧に作られている味がします」
母も頷く。
「本当に優しい味。あかりが来たがるわけです」
玲奈は短く答えた。
「ありがとうございます」
その後、話題は自然とあかりの近況へ移った。
父は苦笑いしながら言う。
「戦隊ヒロインの活動は、本当に一生懸命やっているんです。それは素晴らしいことだと思っています。ただ……」
母が、少し困ったようにあかりを見る。
「大学の方が、少し……」
あかりは目を逸らした。
「少しじゃないです。留年が決まりました」
玲奈は黙ってあかりを見る。
その目は、かつてNSTの現場で作戦ミスを見逃さなかった目だった。
「あかり」
「はい」
「素敵なご両親を心配させたらあかん」
あかりは一瞬固まり、それから吹き出した。
「彩香さんと同じこと言われた!」
父と母も、つられて大笑いした。
父は目尻を拭きながら言う。
「西川さんにも同じことを言われたんか」
母も笑う。
「この子、どこへ行っても同じことを言われるんですねえ」
あかりは不満そうに頬を膨らませる。
「でも私、戦隊ヒロインとしては頑張ってます!」
玲奈は静かに頷いた。
「それは知っている。あなたは現場では強い。けれど、卒業も任務の一つです」
「うわ、めっちゃ刺さる言い方です」
「必要な指導です」
店内にまた笑いが広がった。
父は、黒糖プリンの皿を見つめながら、ぽつりと言った。
「この子は、高齢になってから授かった娘でしてね。どうしても心配してしまうんです。でも、本人が一生懸命やっていることは、できるだけ応援したい。親というのは、難しいものですね」
母は穏やかに続けた。
「でも今日、玲奈さんのお店に来てよかったです。この子がどうして玲奈さんを尊敬しているのか、少し分かった気がします」
玲奈は返事に困った。
褒められることには、まだ慣れていない。
「私は、そこまで立派な人間ではありません」
父は静かに首を振った。
「いえ。娘が憧れた人が、こうして自分の道を見つけて、静かに店を守っている。それだけで、親としては嬉しいんです」
玲奈は、少しだけ目を伏せた。
その後、玲奈は三人に石垣の観光スポットを丁寧に教えた。
平久保岬、川平湾、玉取崎展望台、夕方の海岸線。
あかり一人では不安だと思ったのか、父に道路状況、母に休憩場所まで細かく説明する。
父は感心した。
「段取りが完璧ですね」
玲奈は答える。
「安全な観光のための確認です」
あかりは笑う。
「やっぱり玲奈さん、全然変わってないです」
別れ際、あかりは大きく手を振った。
「玲奈さん、また来ますね!」
玲奈は静かに言った。
「大学卒業決まってからやな」
一瞬の沈黙。
そして、あかりの両親が腹を抱えて笑った。
「それはいい!」
「あかり、次は卒業報告旅行ね」
あかりは情けない顔で叫ぶ。
「玲奈さんまで厳しい!」
玲奈は少しだけ口元を緩めた。
「期待してる」
三人を見送ったあと、「しおかぜ」はいつもの静けさに戻った。
閉店後、玲奈はカウンター端の席を拭いた。
まだ帰らぬ亮介のために空けている席。
そこへ向かって、小さく呟く。
「今日は、あかりが来たわ。相変わらず明るくて、相変わらず危なっかしくて……でも、いい子だった」
返事はない。
石垣の夜風が、木製看板を揺らしている。
「ご両親も素敵な方だった。あの子がまっすぐ育った理由が、少し分かった気がする」
玲奈は少しだけ笑った。
「大学は留年したらしいけど」
それから、声を少し柔らかくした。
「あの子には、心配してくれる人がいる。叱ってくれる人がいる。帰れる家がある。それは、とても幸せなことね」
玲奈は亮介の席をもう一度だけ丁寧に拭く。
「あなたにも、帰る場所があるわ。まだ遠いけれど」
夜の「しおかぜ」は静かだった。
黒糖プリンの甘い香りが、まだ少し残っている。
玲奈は灯りを落とす前に、小さく呟いた。
「今日も、懐かしい人に会えました」
それは、まだ帰らぬ男への報告であり、遠い戦隊ヒロイン時代へ向けた、静かな微笑みでもあった。




