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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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星砂の浜で消えた婚約指輪――元警察官店主、恋の遺失物を追う

島カフェ「しおかぜ」に、重たい空気を連れた若いカップルが入ってきた。


平久保岬へ向かう幹線道路沿い。午後の光はやわらかく、店内には深煎りコーヒーと黒糖プリンの甘い香りが漂っていた。いつもなら、観光客は海帰りの開放感をまとって扉を開ける。けれど、その二人は違った。


男性は黙ってスマートフォンを握りしめ、女性は目元を赤くしている。

席についても、互いに顔を見ない。

テーブルの上には、砂のついた小さなハンドバッグと、濡れたハンカチ。


玲奈は水を置いた瞬間、異変を察知した。


観光疲れではない。

喧嘩でも、ただの気まずさでもない。

二人の間にあるのは、何かを失くした焦燥だった。


元警察官の職業病のようなものだった。

相手が隠している不安、言葉にできない焦り、手元の動き、目線の揺れ。

玲奈はそういうものを、見ようとしなくても見てしまう。


「ご注文は」


男性が力なく言った。


「アイスコーヒーを……」


女性は俯いたまま何も言わない。


玲奈は一拍置いて、静かに尋ねた。


「何かお困りですか」


男性は驚いたように顔を上げた。


「え?」


女性の目に、また涙が浮かんだ。


「指輪を……なくしたんです」


婚約指輪だった。


星砂の浜で写真を撮り、海辺で手を洗い、ハンドクリームを塗り、レンタカーに戻った。そのあと「しおかぜ」に寄る途中で、女性が指輪をしていないことに気づいたという。


男性は焦り、女性は自分を責め、二人は道中で言い争いになった。

せっかくの石垣旅行。

これから結婚するはずの二人の空気は、台風前の海のように荒れていた。


玲奈は二人の前に水を置き直した。


「まず座ってください。感情が高ぶると記憶が乱れます」


男性は面食らった。


「あの、店主さん……ですよね?」


「現在はそうです」


カウンターの隅にいた常連のおばあが、小さく笑った。


「玲奈ちゃん、また警察になってるさぁ」


玲奈は構わず、紙とペンを取り出した。


「最後に指輪を確認した時刻と場所を教えてください」


そこから、事情聴取のような確認が始まった。


星砂の浜に着いた時間。

写真を撮った場所。

指輪を外した可能性のあるタイミング。

ハンドクリームを塗った場所。

荷物を置いた場所。

車に乗る前に立ち寄った売店。

そして「しおかぜ」に入ってからの動き。


女性は涙を拭きながら答えた。

男性も少しずつ落ち着き、スマートフォンの写真を見せる。

写真には、浜辺で笑う女性の手元が写っていた。


玲奈は画面を見つめる。


「この写真の時点では、指輪があります」


次の写真。

海辺で手を洗ったあと。

まだある。


さらに次。

売店の前。

手元は写っていない。


「可能性を一つずつ潰します」


玲奈はそう言って、店の戸締まりを女主人ならぬ自分の段取りで整え、常連のおばあにひと言頼んだ。


「三十分ほど店を見ていてください」


「また任務さぁ?」


「遺失物確認です」


「言い方が硬いさぁ」


玲奈はカップルを連れて、星砂の浜へ向かった。


浜は午後の光を受けて、白く淡く光っていた。波打ち際には小さな貝殻が散り、観光客の足跡が幾重にも重なっている。

玲奈は感傷に浸らなかった。

まず、写真の位置と実際の場所を照合する。


「ここで写真を撮った。ここで荷物を置いた。ここで手を洗った」


砂浜を探す。

波打ち際を見る。

売店の前を確認する。

車内のシートの隙間、足元、サイドポケット、バッグの中。

一つずつ、可能性を潰していく。


女性は何度も謝った。


「私が悪いんです。ちゃんとしていれば」


玲奈は手を止めずに言った。


「今必要なのは、自責ではなく記憶です」


男性も黙って砂を見つめていたが、やがて小さく言った。


「俺も責めすぎた。ごめん」


女性は涙ぐんで頷いた。


玲奈はそれを横目で見た。

少しだけ、胸の奥が静かに動いた。


恋は、物を失くした時に本性が出る。

責めるのか。

一緒に探すのか。

沈黙するのか。

手を伸ばすのか。


亮介のことが、ふと頭をよぎった。

失くしたものが大きすぎた恋。

それでも、どこかでまだ一緒に探したいと思っている自分。


結局、浜では見つからなかった。


売店にも届いていない。

車内にもない。


玲奈は、そこで最初の店内での動きをもう一度思い返した。


「しおかぜに入ってから、ハンドクリームを塗りましたか」


女性がはっと顔を上げた。


「……塗りました。テーブルで。バッグから出して」


玲奈は静かに言った。


「戻りましょう」


三人が「しおかぜ」に戻ると、おばあがのんびり黒糖プリンを食べていた。


「見つかったかね?」


「確認します」


玲奈は二人が座っていた席へ向かう。

テーブルの上には、玲奈のハンドメイド雑貨を置いた小さな陶器の皿があった。貝殻チャームや布コースターの横。

その端に、小さく光るものがあった。


婚約指輪だった。


女性は息を止めた。

男性も目を見開く。


玲奈は指輪を手に取り、白い紙ナプキンの上に置いた。


「発見しました」


女性は泣きながら笑った。


「よかった……本当に、よかった」


男性は深く頭を下げた。


「ありがとうございます。探偵みたいですね」


玲奈は即答した。


「カフェ店主です」


おばあが横から言う。


「うそさぁ。絶対ただ者じゃないさぁ」


玲奈は聞こえないふりをした。


そのあと、二人は黒糖プリンを注文した。

今度は二つ。

同じ皿を覗き込むのではなく、それぞれの前に一つずつ置かれたプリンを、向かい合って食べた。


「ごめんね」


「俺こそ、ごめん」


やや苦いカラメルと、石垣黒糖の深い甘さ。

二人の表情は、少しずつほどけていった。


玲奈はキッチンの奥から、遠目にそれを見ていた。

口元には出さない。

けれど、胸の中で静かに息をつく。


よかった。


ただ、それだけだった。


閉店後、店内は静かになった。

玲奈はテーブルを拭き、カップを洗い、最後にカウンター端の席を丁寧に拭いた。


入口と窓の両方が見える席。

まだ帰らぬ亮介のために、毎日空けている席。


玲奈はその席に向かって、小さく呟いた。


「今日は、婚約指輪をひとつ見つけたわ」


返事はない。

外では、石垣の夜風が木製看板を揺らしている。


「なくしたと思ったものが、すぐ近くにあることもあるのね」


玲奈は指先で、磨いたばかりのカウンターをなぞった。


「私たちが失くしたものも、どこかに残っているのかしら」


少しだけ、声が柔らかくなる。


「あなたが帰ってきたら、一緒に探せるのかしらね」


夜の「しおかぜ」は静かだった。

黒糖プリンの甘い匂いが、まだ少しだけ残っている。


玲奈は灯りを落とす前に、亮介の席をもう一度だけ見た。


指輪を失くした恋は、今日、黒糖プリンの前で仲直りした。

まだ帰らぬ男を待つ恋は、今も空席のまま続いている。


それでも玲奈は、明日もその席を拭く。

失くしたものを探すように。

帰ってくるかもしれない人を、静かに迎えるために。

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