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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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再生数より、島の静けさを守れ――美人店主はカメラの外で微笑まない

島カフェ「しおかぜ」には、少し変わった常連がいた。


名前は、速水陸斗。

本土出身で、数年前に石垣島へ移住してきた若い男性。

南ぬ島の海、空、集落、カフェ、穴場スポットを動画で紹介するインフルエンサーだった。


明るく、人懐っこく、話がうまい。

カメラを向ければすぐに笑顔を作り、青い海を背景に軽妙な言葉を並べる。観光客向けの情報発信も上手で、地元の小さな店を紹介してくれることもあった。


「しおかぜ」にとっても、陸斗はありがたい存在だった。


玲奈は動画配信そのものを全面禁止にはしていない。

事前に申請し、他の客を映さず、店の雰囲気を壊さない範囲なら許可していた。陸斗はそのルールを守り、黒糖プリンや店内のアンティークな雰囲気を丁寧に紹介してくれた。


ただし、玲奈は最初に釘を刺していた。


「店の紹介は構いません。ただし、私個人については触れないでください」


陸斗は、その意味がよく分からなかった。


彼は玲奈の過去を知っていた。

元警察官。県警カラーガード隊時代には、白いロングブーツ姿でイベント会場を華やかに彩っていた。さらに戦隊ヒロインとしても知られた、知る人ぞ知る存在。しかも女優のように美しい。


そんな人が石垣島で小さなカフェを一人で切り盛りしている。

それだけで動画の題材としては強すぎる。


だが玲奈は、自分を撮らせなかった。

戦隊ヒロイン時代の写真も、県警時代のポスターも、店には一枚も飾らない。


陸斗には、それがもったいなく思えた。


しかし、玲奈は静かに言うだけだった。


「この店は、私を見に来る場所ではありません。コーヒーを飲む場所です」


陸斗は首をひねりながらも、ひとまず従った。


だが、彼の動画は次第に過激になっていった。


最初は店や景色の紹介だった。

やがて、視聴者数を稼ぐために「本当は教えたくない穴場」「地元民だけが知る秘密の浜」「観光客が行かない集落道」といった刺激的な見出しが増えた。


ある日、彼が紹介した小さな浜辺に観光客が押し寄せた。

私有地に近い道へ入り込む者が出る。

ゴミが残る。

夜遅くまで騒ぐ若者が現れる。

地元のおじい、おばあたちは困った顔をした。


「陸斗くん、悪い子じゃないんだけどねえ」


そう言うおばあの声には、怒りよりも疲れが滲んでいた。


玲奈は、事態を見過ごさなかった。


陸斗が「しおかぜ」に来た日の午後、玲奈は黒糖プリンとブレンドを出したあと、静かに言った。


「速水さん。お話があります」


その声の温度に、陸斗はすぐ気づいた。


「え、俺、何かしました?」


「しました」


玲奈は即答した。


陸斗は笑ってごまかそうとしたが、玲奈の目は笑っていなかった。

かつて冷徹なる美貌のボスと呼ばれた女の目だった。


玲奈は、感情的には叱らなかった。

まず、事実を並べた。


動画公開日時。

再生数の推移。

紹介された浜辺の場所。

その後に増えた車両数。

住民からの苦情。

ゴミの量。

私有地付近への立ち入り。


陸斗は、最初こそ反発した。


「でも、島を盛り上げたいんです。俺の動画を見て来てくれる人もいるし、店にもお客さん増えるじゃないですか」


玲奈は静かに頷いた。


「それは事実です」


「なら――」


「でも、島を紹介することと、島を消費させることは違います」


陸斗は黙った。


玲奈は続けた。


「あなたは、見せる力を持っています。だからこそ、見せない判断も必要です」


その言葉に、陸斗は少し苛立ったように顔を上げる。


「玲奈さんだって、昔は見られる側だったじゃないですか。戦隊ヒロインで、県警カラーガード隊で、ポスターにも出てた。だったら、見られることの強さも分かるでしょう」


玲奈は、しばらく黙った。


そして、店内を見渡した。


神戸港の小さな写真。

石垣の海の額。

貝殻のチャーム。

ミンサー柄の布小物。

黒糖プリンのショーケース。


そこに、戦隊ヒロイン時代のものは何もない。


「分かるから、飾っていません」


陸斗は言葉を失った。


玲奈は静かに言った。


「見られることは、力になります。応援も、知名度も、信頼も生まれる。でも同時に、自分の輪郭が勝手に切り取られる怖さもあります」


かつて、玲奈は美人すぎる警察官と呼ばれた。

カラーガード隊の衣装姿を褒められた。

戦隊ヒロインとして、冷徹なる美貌のボスと持ち上げられた。


そのどれも、嘘ではない。

だが、それだけが自分ではなかった。


「見せ方を間違えると、人も場所も消耗します。あなたの動画で浜辺が有名になる。でも、その浜で静かに暮らしてきた人たちの時間は、誰が守るんですか」


陸斗は視線を落とした。


玲奈は黒糖プリンの皿を少し押した。


「再生数は大事でしょう。でも、信用はもっと大事です。一度荒れた場所は、簡単には戻りません」


その後、玲奈は陸斗を地元の自治会、観光関係者、若い移住者、常連のおばあたちの小さな話し合いに同席させた。


怒鳴る者はいなかった。

ただ、おばあが静かに言った。


「あの浜はね、うちらが子どもの頃から行ってた場所さぁ。観光客が嫌なんじゃないよ。でも、暮らしの場所でもあるんよ」


その一言が、陸斗には一番効いた。


数日後、陸斗の新しい動画が上がった。


タイトルは、派手ではなかった。


「島の場所を紹介する前に、守りたいこと」


彼は、穴場の具体的な位置を出さず、ゴミを持ち帰ること、私有地に入らないこと、夜に騒がないこと、地元の生活を尊重することを話した。

再生数は、以前の刺激的な動画ほど伸びなかった。


だが、コメント欄には静かな反応が増えた。


「こういう発信が大事」

「島に行く前に知れてよかった」

「場所を守る観光、考えたい」


陸斗は「しおかぜ」に来て、照れたように言った。


「玲奈さん、再生数は前より少ないです。でも、なんか前よりちゃんと見られてる気がします」


玲奈はブレンドを置く。


「それなら、良い傾向です」


「玲奈さん、やっぱり俺の動画出ませんか? ちゃんと許可取りますし、絶対綺麗に撮ります」


玲奈は即答した。


「出ません」


「ですよね」


陸斗は笑った。


「でも、分かりました。見せないことで守れるものもあるんですね」


玲奈は少しだけ目元を和らげた。


「ええ」


その夜、閉店後の「しおかぜ」で、玲奈はカウンター端の席を拭いた。

まだ帰らぬ亮介の席。


外では、星の見える石垣の夜が広がっている。

玲奈は小さく呟いた。


「私も、昔は見られることに慣れていたつもりだったわ」


返事はない。


「でも今は、見られない時間の方が好きみたい」


玲奈は店内の灯りを少し落とした。

戦隊ヒロイン時代の写真はない。

県警時代のポスターもない。

あるのは、コーヒーの香りと黒糖プリンと、島の静かな夜だけ。


それでよかった。


島カフェ「しおかぜ」は、見せるための店ではない。

誰かが静かに戻ってこられる場所であれば、それでいい。


玲奈は最後に、亮介の席をもう一度だけ見た。


「あなたが帰ってきても、ここではあまり目立たないでね」


少し間を置いて、ほんの少し笑う。


「私も、もう目立つのは十分やったから」


南ぬ島の夜風が、木製看板をやさしく揺らした。

沈黙にも、守れるものがある。

玲奈はそのことを、今の暮らしの中で静かに知っていった。

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