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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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忘れ物は海を渡り、青年の夢はしおかぜに戻る

島カフェ「しおかぜ」には、たまに離島航路で働く若い男が顔を出した。


名前は、宮良拓海。

石垣島生まれの真面目な青年で、離島ターミナルを発着する船の仕事に就いている。黒島や竹富、小浜、波照間へ向かう観光客と島の人々を見送り、荷物を運び、乗船案内をし、時には荒れた海を前に予定変更の説明をする。


派手な男ではない。

だが、挨拶は丁寧で、時間には正確で、誰かの荷物が重ければ黙って手を貸す。玲奈は、そういう男を嫌いではなかった。


拓海は、いつも決まってブレンドと黒糖プリンを頼む。

そして窓際の席で、何かの資料を読んでいることが多かった。


ある夕方、その拓海が「しおかぜ」に来た。


だが、いつもと違った。

顔色が悪く、肩が落ちている。玲奈が水を出しても、しばらく黙ったままだった。


「ご注文は」


「……ブレンドを」


「黒糖プリンは?」


拓海は小さく首を振った。


玲奈は、その時点で異常事態と判断した。

黒糖プリンを断る常連は、かなり重症である。


「何かありましたか」


玲奈が尋ねると、拓海は唇を噛んだ。

そして、ぽつりぽつりと話し始めた。


離島航路で、観光客の忘れ物を巡るトラブルが起きていた。黒島帰りの便で、乗客の大切なバッグが見当たらなくなったという。中には財布だけでなく、進学関係の書類や奨学金の資料、家族の形見のような小物まで入っていたらしい。


船会社、港の受付、観光客、清掃担当、別便のスタッフ。

誰が受け取ったのか。

どこで置き忘れたのか。

誰が確認すべきだったのか。


話はこじれ、責任の押し付け合いになった。


真面目な拓海は、自分がもっときちんと見ていれば防げたのではないかと、自分を責めていた。


「僕のせいかもしれません。あの時、別の乗客に案内してて……ちゃんと確認できてなくて」


そこで声が詰まった。


拓海は、玲奈の前で泣き出した。


店内には、夕方の潮風だけが流れていた。

玲奈は何も言わず、彼の前にブレンドを置いた。


「まず、飲んでください」


「でも……」


「泣いている状態では、事実確認ができません」


「玲奈さん……そういう言い方……」


「現在、柔らかい表現は修行中です」


拓海は泣きながら、少しだけ笑った。


翌朝、玲奈は離島ターミナルへ向かった。


カフェ店主の格好ではなかった。

白いシャツに細身のパンツ、歩きやすい靴。余計な飾りはない。だが、背筋の伸びた立ち姿には、かつて元警察官であり、NSTのボスだった女の気配が戻っていた。


玲奈は、まず船会社の事務所で話を聞いた。

次に港の受付。

それから清掃担当。

黒島便の乗船記録。

荷物を最後に見た時間。

乗客の動線。

船を降りたあと、誰がどこへ向かったか。


港の関係者は、最初こそ戸惑った。


「玲奈ちゃん、そこまで調べるさぁ?」


玲奈は静かに答えた。


「誰が悪いかを決める前に、何が起きたかを確定する必要があります」


その言葉に、周囲は少しずつ黙った。


玲奈は紙に時系列を書き出す。


黒島出発。

石垣到着。

乗客下船。

拓海が別の乗客対応。

バッグは一度ベンチ横で目撃。

その後、清掃員が似たバッグを見たが、忘れ物カウンターへは届いていない。

さらに、同じ時間帯に別便へ乗り換えた観光客がいた。


玲奈は、違和感に気づいた。


「バッグは盗まれたのではなく、移動しています」


港の職員が顔を上げる。


「移動?」


「誰かが自分の荷物と間違えて持っていった可能性があります。ただし、悪意はまだ確認できません」


玲奈は別便の記録を確認する。

すると、竹富島行きの乗客の一人が、似た形のバッグを持って乗船していたことが分かった。さらに連絡をたどると、その乗客は宿で荷物を開け、初めて違うバッグだと気づいていたが、どこへ連絡すればいいか分からず困っていた。


紛失したバッグは、思わぬところから戻ってきた。


竹富島の小さな宿だった。


夕方、バッグは無事に離島ターミナルへ戻った。

中身も無事。進学資料も、奨学金の書類も、形見の小物もそのままだった。


問題は、誰か一人のミスではなかった。

繁忙期の導線の悪さ、忘れ物窓口の案内不足、似た荷物への確認不足、連絡系統の曖昧さが重なって起きたものだった。


玲奈は、港の関係者を前に淡々と言った。


「責任を押し付け合うより、再発防止策を作る方が先です」


そして、忘れ物の受付場所、乗り換え客への案内、荷物の特徴記録、緊急連絡先の掲示を整理した。

まるでNST時代の作戦会議のように、無駄なく、静かに、逃げ道なく。


後日、拓海は「しおかぜ」に来た。


今度は、黒糖プリンも頼んだ。


「玲奈さん、本当にありがとうございました」


「荷物が戻って何よりです」


「玲奈さんは……一体何者なんですか?」


玲奈はコーヒーを置き、いつもの無表情で答えた。


「カフェの店主です」


拓海はしばらく黙り、それから笑った。


「僕も、玲奈さんみたいになりたいです。泣いてるだけじゃなくて、ちゃんと考えて、ちゃんと動ける人に」


それから拓海は、通信講座で勉強を始めた。

観光業務、海上安全、危機管理、英語案内。

資格取得のためのテキストを抱えて、「しおかぜ」の窓際席に座るようになった。


玲奈は、彼の邪魔をしない。

ただ、コーヒーを出し、時々黒糖プリンを置く。


「糖分補給です」


「玲奈さん、優しいですね」


「必要な補給です」


拓海は笑って、またテキストに目を落とす。


玲奈はその姿を見ながら、ふと戦隊ヒロイン時代を思い出した。

青少年向けのイベントで、夢を持つ子どもたちに話をしたこと。

誰かの背中を押すことも、ヒロインの仕事の一つだったこと。


今の玲奈は、もうヒロインではない。

けれど、誰かの夢を静かに応援することはできる。


夕暮れの「しおかぜ」に、潮風が入ってくる。

拓海は窓際で勉強を続けている。

カウンターの端には、まだ帰らぬ亮介の席がある。


玲奈はカップを磨きながら、小さく思った。


待つだけの日々ではない。

誰かの夢を見守りながら、自分もまた、帰ってくる男を待っている。


離島航路に置き忘れられた夢は、黒糖プリンの甘さとともに、静かに「しおかぜ」へ戻ってきた。

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