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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第2章 しおかぜは、まだ帰らぬ男を待っている

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29/43

黒糖畑に消えた軽トラ――しおかぜ店主、朝焼けの聞き込み

島カフェ「しおかぜ」の朝は、いつも潮風から始まる。


平久保岬へ向かう幹線道路沿い。

市街地から少し離れた小さな店の前で、玲奈は木製の看板を出し、入口横の貝殻飾りを整えた。


島カフェ しおかぜ


白い壁は朝日に淡く照らされ、店先のハイビスカスはまだ少し眠そうに揺れている。

玲奈はカウンターを拭き、黒糖プリンの固まり具合を確認し、コーヒー豆を量った。


警察官でもない。

戦隊ヒロインでもない。

今の自分は、南ぬ島で小さなカフェを営む店主。


そう思っていた。


だが、その平和な朝に、常連のおじいが困った顔でやってきた。


「玲奈ちゃん、ちょっと聞いてくれんかね」


いつもならブレンドを頼む前に新聞を広げるおじいが、その日は新聞も持っていなかった。

軽トラの荷台に積んでいた農機具がなくなり、車体にも細かい傷がついているという。


「若い子のいたずらかもしれんさぁ。警察に言うほどでもないかねえ」


玲奈はコーヒーを淹れる手を止めた。


「被害は一件だけですか」


その声の温度が、わずかに変わった。


おじいは首を振る。


「実は、隣の集落でもあったらしい。古い草刈り機と燃料缶が消えたって」


玲奈の目が細くなる。


「場所は?」


「黒糖用のサトウキビ畑の近くさぁ。朝行ったら、なくなってた」


玲奈は伝票の裏に、静かにメモを取り始めた。


被害日時。

場所。

盗まれた物。

車体の傷。

畑道の出入り口。

目撃者の有無。


おじいは少し驚いた顔をする。


「玲奈ちゃん、なんか警察みたいさぁ」


玲奈は顔を上げずに答えた。


「元警察官です」


「そうだったさぁ」


その日の「しおかぜ」は、いつも通り開店した。

玲奈は黒糖プリンを出し、ブレンドを淹れ、観光客に平久保岬までの道を短く案内した。

だが、頭の中では別の地図が広がっていた。


サトウキビ畑。

細い農道。

高齢者の軽トラ。

盗まれた農機具。

複数の被害。


ただのいたずらではない。


昼の営業が落ち着くと、玲奈は店の黒板にこう書いた。


本日、午後は仕込みのため一時不在にします。


おばあがそれを見て笑った。


「玲奈ちゃん、仕込みって顔じゃないさぁ」


「黒糖プリンの確認です」


「嘘が下手さぁ」


玲奈は返事をしなかった。


夕方、玲奈はおじいの軽トラが停められていた畑道へ向かった。

足元には赤土。

サトウキビの葉が風に鳴っている。

西日が畑を金色に染め、遠くで鳥の声がした。


玲奈はしゃがみ込む。


車体に残ったこすり傷。

荷台の縁に残った金属粉。

畑道の端に残るタイヤ跡。

折れたサトウキビの向き。

泥に残った靴跡。


かつて国道二号線で過積載トラックを見抜いた目は、今も死んでいなかった。

NST時代に、港湾倉庫や夜の街で逃げ道を読んだ勘も、まだ体の奥に残っている。


玲奈は小さく息を吐いた。


「……これは、慣れている」


翌朝、玲奈は夜明け前に店を出た。


島の朝は早い。

空はまだ薄い藍色で、サトウキビ畑の向こうに朝焼けが滲み始めている。

玲奈は近隣の農道を歩き、畑の入口を確認し、軽トラを停めやすい場所を一つずつ見ていった。


その途中で、数日前から見慣れない小型トラックが走っていたという話を聞く。

集落外の業者らしい男たち。

古い農機具や鉄くずを回収していると言っていたが、誰も正式に依頼していない。


玲奈はすぐに駐在所へ連絡した。

同時に、自治会長と農協関係者にも話を通す。

ただ大騒ぎするのではなく、次に相手が現れた時に確実に押さえるための網を張る。


「玲奈ちゃん、あんた本気さぁ?」


自治会長が半ば呆れたように言う。


玲奈は淡々と答えた。


「高齢者ばかりを狙っています。放置すれば、被害は拡大します」


それは、カフェ店主の顔ではなかった。

元警察官の顔だった。

そして、かつて仲間たちに短く指示を出していた、冷徹なる美貌のボスの顔でもあった。


数日後の早朝。

網に、相手がかかった。


黒糖用サトウキビ畑の脇に、見慣れない小型トラックが停まった。

荷台には古い草刈り機、燃料缶、金属部品。

男たちは周囲を見回しながら、軽トラの荷台から農機具を下ろそうとしていた。


玲奈は少し離れた場所から確認する。

駐在所へ短く連絡。

農協職員が反対側の農道を塞ぐ。

自治会長の軽トラが出口の一つに止まる。


だが、男たちは異変に気づいた。


小型トラックのエンジンが唸る。

赤土を蹴って、農道へ飛び出す。


玲奈は一瞬だけ目を細めた。


「逃走方向、北側農道」


それは誰に向けた言葉でもなかった。

体に残った指揮官の癖だった。


玲奈は自分の軽自動車に乗り込む。

アクセルを踏み込む。

朝焼けの畑道を、小型トラックが逃げる。

玲奈の車がその後ろにつく。


サトウキビ畑の間を、二台の車が走る。

舗装の荒い農道。

左右に揺れる視界。

赤土を巻き上げるタイヤ。

遠くに海が光る。


かつてのNST時代、夜の神戸や湾岸倉庫街で繰り広げた追跡戦が、ふと脳裏をかすめる。

美音のバイク。

あおいの空からの誘導。

彩香の鋭い声。

あかりの突進力。

麻衣の成長した背中。


今ここに仲間はいない。

けれど、自分はまだ動ける。


小型トラックが幹線道路へ出ようとする。

玲奈は無理に追突しない。

相手の速度、農道の幅、先のカーブ、出口にいる駐在の位置。

すべてを見て、逃げ道を一つずつ削る。


トラックはカーブを曲がり損ね、サトウキビ畑の横で急停車した。

荷台の金属部品が派手な音を立てる。


玲奈は車を止め、静かに降りた。


男がドアを開けて逃げようとする。

玲奈は一歩前へ出る。


「そこまでです」


声は冷たく、よく通った。


男は怯んだ。


玲奈は続ける。


「ここは静かな集落です。けれど、無防備な場所ではありません」


ほどなく駐在と農協職員が到着し、男たちは確保された。

盗まれた農機具の一部も見つかり、被害を受けたおじいたちのもとへ戻ることになった。


その日の午後、「しおかぜ」は小さな祝勝会のようになった。


おじいがブレンドを飲み、おばあたちが黒糖プリンを食べる。

誰かが差し入れたサーターアンダギーが、カウンターの端に置かれていた。


「玲奈ちゃん、すごかったさぁ」


「朝焼けの中、車で追いかけたって?」


「映画みたいさぁ」


玲奈は黒糖プリンを出しながら淡々と言う。


「安全確保の範囲内です」


「どこがさぁ」


店内に笑いが広がる。


常連のおばあが、しみじみと言った。


「玲奈ちゃん、やっぱりただのカフェの人じゃないさぁ」


玲奈は伝票を置き、いつもの真顔で返した。


「現在はカフェ店主です」


おばあは大笑いする。


「それも含めて、しおかぜの玲奈ちゃんさぁ」


玲奈は少しだけ困った顔をした。

だが、その目元はほんの少し柔らかかった。


閉店後、玲奈はカウンター端の席を拭いた。

亮介の席。

まだ帰らぬ男のために空けている席。


外では、サトウキビ畑の方から夜風が吹いていた。


玲奈は小さく呟く。


「私、やっぱりこういう時は動いてしまうみたい」


それは反省でも、後悔でもなかった。


待つ女になった。

けれど、守る女であることは変わらない。


島カフェ「しおかぜ」は、ただコーヒーと黒糖プリンを出すだけの店ではなくなりつつあった。

この集落で困った時、誰かが少しだけ頼りにできる場所。


玲奈はカウンターを拭き終えると、店の灯りを少しだけ落とした。


朝焼けの聞き込みは終わった。

小さな任務も、無事完了。

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