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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第一章 霧笛のカウンターで、女は待つことを覚える

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冷徹なる美貌のボス、最後の辞令

純喫茶「霧笛」のカウンターに立つようになってから、玲奈は少しだけ朝が早くなった。


警察官だった頃も、NSTのボスだった頃も、朝は早かった。

だが、あの頃の朝は戦場へ向かうための時間だった。

今は違う。豆を量り、カップを温め、床を拭き、店の灯りを点ける。

誰かを追い詰めるためではなく、誰かを迎えるための朝だった。


それでも、玲奈にはまだ済ませなければならないことがあった。


警察官を辞めること。

戦隊ヒロインを降りること。

そして、自分を必要としてくれた人たちに、自分の口で別れを告げることだった。


最初に向かったのは、新橋のヒロ室本部だった。


会議室には、波田顧問と遥室長が待っていた。

玲奈が入ると、波田顧問はいつものように腕を組み、いかにも不機嫌そうな顔をしていた。遥室長は穏やかな表情をしていたが、その目だけは少し揺れていた。


玲奈は背筋を伸ばし、静かに頭を下げた。


「警察官を辞めます。戦隊ヒロインとしての活動も、ここで終わりにします」


短い言葉だった。

だが、その重さは会議室の空気を一瞬で変えた。


「ふざけんな」


波田顧問の声が、低く落ちた。


「てめえみてえな女が抜けるってのはな、こっちにゃ大損害なんだよ。分かってんのか、べらぼうめ」


玲奈は黙っていた。


波田顧問は怒鳴っている。

だが、それが単なる怒りではないことを玲奈は知っていた。

この老人は、いつだって怒鳴ることでしか心配を表に出せない。


遥室長も、静かに口を開いた。


「玲奈さん。少し休んでから考え直す、という形では駄目ですか。玲奈さんは、NSTにもヒロ室にも必要な人です。現場に立たなくても、後進の育成や広報、調整役として残る道もあります」


その声は優しかった。

だから余計に胸へ刺さった。


玲奈は、二人の顔を順に見た。


「ありがとうございます。でも、決めました」


冷たい言い方ではなかった。

ただ、もう動かせない言葉だった。


「私は、これまでずっと誰かを守るために生きてきました。警察官としても、戦隊ヒロインとしても。それを後悔していません。けれど今度は、自分の人生を一度、自分の手で作り直したいんです」


波田顧問は何か言いかけた。

だが、言葉を飲み込んだ。


遥室長は少しだけ目を伏せる。


「カフェ、ですね」


玲奈は頷いた。


「はい。南の島で、小さな店を開きます」


波田顧問は長い沈黙のあと、深く息を吐いた。


「ったく……。おめえは昔っから、決めたら曲がらねえ女だ」


そう言うと、照れ隠しのように顔を背けた。


「今までよくやった。おめえの働きは、誰が何と言おうと一級品だった。今度はカフェだろうが何だろうが、てめえらしくやれ」


遥室長は、少しだけ涙を滲ませながら微笑んだ。


「玲奈さん、今まで本当にありがとうございました。今度はお客さんとして、そのカフェに行かせてくださいね」


玲奈は深く頭を下げた。

その礼は、任務完了の礼ではなかった。

一つの人生に区切りをつける礼だった。


兵庫県警でも、引き留めは強かった。


玲奈は高卒ノンキャリアの叩き上げでありながら、若くして警部補に昇進した有望株だった。交通課時代の実績、県警音楽隊カラーガード隊での広報力、NSTでの実戦経験。

県警にとって、玲奈は単なる優秀な警察官ではなかった。

“美人過ぎる警察官”としてポスターや啓発イベントにも起用され、県警の顔の一人でもあった。


上層部は休職を勧めた。

広報部門への異動を提案した。

後進育成の立場も用意できると言った。


だが、玲奈の答えは変わらなかった。


「これまで、お世話になりました」


その一言で、彼女は警察官としての長い道を降りた。


最後に玲奈は、神戸市北区に住む黒川玄蔵を訪ねた。


黒川は、玲奈の両親の事故を担当した元警察官だった。

幼い玲奈にとって、警察というものを初めて現実として見せた男であり、後に彼女が警察官を志すきっかけにもなった人物である。

玲奈にとっては、師匠のような存在だった。


黒川は、古い湯呑みを前に置き、玲奈の話を最後まで黙って聞いた。


警察を辞めること。

戦隊ヒロインも降りること。

南の島でカフェを開きたいこと。

そして、いつか帰ってくるかもしれない男のために、場所を作りたいこと。


長い沈黙のあと、黒川は静かに言った。


「それがええ」


玲奈は顔を上げた。


「止めないんですか」


黒川は少し笑った。


「止めてほしい顔には見えん。お前はよう頑張った。警察官としても、人としてもな。せやけど、警察官のままでは救えんもんもある。お前自身の人生や」


玲奈は、何も言えなかった。


「誰かを待つ場所を作りたい言うなら、それも立派な生き方や。逃げやない。お前が自分で選んだ道や」


その言葉で、玲奈はようやく少しだけ息ができた。


だが、一番苦しい報告は最後に残っていた。


大阪府内のヒロ室西日本分室。

NSTのメンバーが集まるその部屋で、玲奈は退任を告げた。


最初に動揺が走ったのは、あかりだった。

目を丸くし、すぐに涙ぐんだ。

麻衣は言葉を失い、美咲は静かに目を伏せた。

迫田ツインズも、いつもの華やかな笑みを消していた。


「玲奈さん、辞めないでください」


麻衣の声が震えた。


「まだ、私たちには玲奈さんが必要です」


美咲も小さく言った。


「私は、玲奈さんがいるから現場で落ち着けました」


あかりはもう泣いていた。

澪香は「寂しい」と短く言い、澄香は「でも、止められへん顔してる」と呟いた。


玲奈は全員の顔を見た。

それぞれに癖があり、弱さがあり、強さがある。

自分が率いてきた、誇れる仲間たちだった。


そして、最後の辞令を告げる。


「NSTは、これから彩香のチームや」


部屋の視線が一斉に彩香へ向く。


「彩香を中心に、黒鷹と元県知事の線を追い続けなさい。あなたたちならできる」


だが彩香だけは、納得しなかった。


ずっと黙っていた彼女が、低い声で言った。


「勝手すぎますわ」


玲奈は何も言わない。


彩香は顔を上げた。

その目には怒りと涙が同時にあった。


「玲奈さんがいなくなったら、うちが中心になる? そんな簡単な話やないです。うちは、玲奈さんの背中を見てきたんです。厳しく叱られて、現場で助けられて、ようやく少し近づけたと思ったら、今度は“あとは頼む”ですか」


彩香の声が震える。


「まだ何も返せてへん。まだ横に立ててもいない。そんな状態で、納得できるわけないやろ」


玲奈は静かに彩香を見た。


「あなたならできる」


「そんな言葉で済まさんといてください」


彩香は最後まで頷かなかった。

けれど、玲奈はもう引き返さなかった。


別れは、いつも綺麗には終わらない。

応援してくれる人がいても、送り出せない人もいる。

それでも人は、自分の選んだ場所へ向かわなければならない時がある。


その夜、玲奈は霧笛のカウンターに立っていた。


黒いエプロンを結び、白いカップを磨く。

警察手帳も、NSTの指令書も、もう手元にはない。

あるのは、コーヒー豆と、苦いカラメルの匂いだけだった。


冷徹なる美貌のボスは、最後の辞令を出した。

そして今度は、自分自身に新しい辞令を出す。


誰かを追う人生から、誰かを待つ人生へ。

戦場ではなく、カウンターへ。

その先にある南の島へ向かうために。

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