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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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178/179

髪を結い直した朝、ヒロインたちは大人になっていた ――尼崎の美容室と、数年ぶりの同窓会と、南ぬ島で留守番が下手になる男

神戸へ帰って二日目の朝。


ホテルのカーテンを開けると、都会の朝がもう動き始めていた。


車の音。


遠くを走る電車。


ビルの間へ差し込む薄い光。


南ぬ島の朝とは、時間の流れ方そのものが違う。


昨日は、長い一日だった。


神戸の海上空港へ降り立ち、かつてNSTで一緒に動いた真砂里緒と思いがけず再会した。


三宮へ入り、純喫茶「霧笛」で師匠と久しぶりに向かい合った。


両親の墓へ手を合わせ。


さらに丹波篠山へ向かって、祖父母へ今の暮らしを報告した。


一日のうちに、いくつもの昔の自分へ会ったような気がした。


警察官だった自分。


戦隊ヒロインだった自分。


祖父母の家で将来を考えていた自分。


それらをひとつずつ確かめながら、それでも最後に頭へ浮かんだのは、南ぬ島の小さなカフェだった。


そして、そこへ残してきた、一人のやかましいウェイター。


玲奈はスマートフォンを見る。


亮介からの夜の報告。


店内異常なし。家庭菜園異常なし。黒糖プリンも無事。俺も無事。


最後の一文だけ余計だった。


玲奈は少し笑い、スマートフォンを伏せる。


今日は、また違う一日になる。


午後には翌日の戦隊ヒロインOG会に向けたリハーサルがある。


久しぶりに、美月たちと顔を合わせる。


それなら、その前に少しだけ髪を整えておこう。


玲奈はすでに予約を入れていた。


行き先は尼崎。


指名した美容師の名前は――


宮良美海。


かつて「しおかぜ」で働いていた、みうちゃんだった。


午前。


玲奈は尼崎の駅前を歩いていた。


駅を出た途端、南ぬ島との違いを嫌でも感じる。


人が速い。


自転車も速い。


会話も速い。


信号が青へ変われば、人の流れが一気に動き出す。


玲奈はその中を歩きながら、少し可笑しくなる。


「みうちゃん、よく暮らしていますね」


宮良美海は、もともとこういう速度の町とは正反対の女の子だった。


南ぬ島生まれ。


南ぬ島育ち。


高校生の頃、「しおかぜ」でアルバイトをしていた。


素直で真面目。


頼んだ仕事は一生懸命やる。


客にも優しい。


けれど少しだけ、島の子らしいのんびりしたところがあった。


「みうちゃん、三番テーブルへお水お願いします」


「はーい」


元気に返事をして、なぜか四番へ向かう。


「みうちゃん」


「はい?」


「そちらは四番ですよ」


「あっ」


そして、にこっと笑う。


悪びれない。


慌てない。


あの頃の玲奈は、そんな美海を見るたび、


「急がなくてもいいですから、止まらずに動いてくださいね」


と何度言ったことだろう。


高校卒業後。


美海は南ぬ島を出た。


神戸の美容専門学校へ進み、美容師の資格を取った。


そして現在。


尼崎の美容室で、先輩たちに囲まれながら修業を続けている。


美海には昔から夢があった。


いつか島へ帰り、自分の美容室を開くこと。


そして高校生の頃、もう一つ、小さな約束をしていた。


「玲奈さん、私、美容師になったら、いつか玲奈さんの髪やらせてください」


閉店後。


モップを持ちながら、美海はそう言った。


玲奈は笑って、


「では、その時はお願いします」


と答えた。


ほんの短い会話。


でも、美海は覚えていた。


玲奈も覚えていた。


だから今回。


美容室を予約する際、玲奈は迷わず美海を指名した。


「いらっしゃいませ」


受付で名前を告げる。


「岡本です。宮良さんをお願いしています」


数分後。


店の奥から、聞き覚えのある声が響いた。


「玲奈さーん!」


玲奈が顔を上げる。


「みうちゃん」


高校時代の制服ではない。


黒を基調にしたシンプルな仕事着。


髪も美容師らしく整えられている。


手には仕事道具。


けれど。


笑い方だけは昔のままだった。


「ほんとに来てくれたんですね!」


「予約しましたから」


「それは知ってますけどぉ」


美海は嬉しそうに笑う。


「予約表に『岡本玲奈』って書いてあった時、二回見ましたよ」


「同姓同名かもしれませんからね」


「南ぬ島から来る岡本玲奈さん、そんなに何人もいないですよぉ」


玲奈も笑う。


案内された椅子へ座る。


ケープをかけられる。


美海が玲奈の髪へ手を触れる。


その瞬間。


表情が少し変わる。


「……ああ」


玲奈が鏡越しに見る。


「何です?」


「やっぱり玲奈さん、髪きれいです」


「そうですか?」


「めっちゃきれいですよ」


指先で毛先を確認する。


「昔から思ってましたけど、癖少ないし、艶あるし、毛先もそんな傷んでないし」


「特別なことはしていません」


美海がむっとする。


「そういう人が美容師泣かせなんですよぉ」


玲奈が笑う。


「なぜですか?」


「何もしてませんって言う人に限って、元から髪質いいんです」


「それは私にはどうしようもありませんね」


「そこなんですよぉ」


美海は美容師らしく髪を確認しながら尋ねる。


「明日が戦隊ヒロインのイベントなんですよね?」


「はい」


「昔みたいな感じにします?」


玲奈は少し考える。


「いえ」


そして鏡を見る。


「今さら昔に戻す必要はないと思っています」


「じゃあ」


美海も鏡越しに玲奈を見る。


「今の玲奈さんを、ちょっとだけ華やかにしましょう」


玲奈は小さく頷いた。


「お願いします」


美海が手を動かし始める。


器用だった。


髪を分ける。


整える。


必要なところだけ軽く巻く。


過度に若々しく見せるでもなく、派手すぎるでもない。


南ぬ島のカフェ店主である今の玲奈に、ほんの少しだけステージらしい華やかさを足していく。


玲奈が少し顔を動かす。


「玲奈さん」


「はい」


「動かないでください」


玲奈が止まった。


「……はい」


美海も一瞬止まる。


そして笑った。


「何か変ですね」


「何がです?」


「昔、逆でしたよね」


玲奈も気づく。


「そうでしたね」


「『みうちゃん、慌てなくていいです』『そっちじゃないです』『お皿落とさないように』って、ずっと玲奈さんに言われてました」


「随分言っていたようですね」


「言ってましたよぉ」


「今は私が注意される側ですか」


美海が少し得意げに笑う。


「美容室では私のほうが強いです」


玲奈も苦笑する。


「成長しましたね」


「やっとですよ」


その一言が、美海には本当に嬉しそうだった。


髪を整えながら、二人の近況報告が始まった。


「尼崎での生活はどうですか?」


玲奈が聞く。


「まあまあですよ」


「まあまあ?」


「友達もできましたし、お店の人も優しいですし、仕事も楽しいです」


「よかったです」


「でも」


「でも?」


美海は小さく笑う。


「みんな、速いんですよぉ」


玲奈が少し首を傾げる。


「速い?」


「歩くのも。しゃべるのも。決めるのも」


「ああ」


玲奈は納得する。


「島とは違いますね」


「尼崎、いらちな人多いですよぉ」


「関西ですから」


「『みうちゃん、はよ!』って、一日何回言われるか」


玲奈が笑う。


「高校生の頃、私も言っていたのでは?」


「玲奈さんは違います」


「どう違うのです?」


美海が玲奈の口調を真似する。


「『急がなくてもいいですから、止まらずに動いてください』」


玲奈が止まる。


「……言いました?」


「めちゃくちゃ言ってました」


「かなり具体的ですね」


「私、途中でボーッとしてましたから」


「それなら仕方ありません」


「そこは今も変わってないです」


二人で笑う。


話題は恋愛へ。


玲奈が何気なく尋ねる。


「恋人とはどうです?」


美海の手がほんの少し止まる。


「うーん」


「何ですか、その反応は」


「まあ……いるっちゃいます」


玲奈が眉を上げる。


「いるっちゃいる?」


「ついたり離れたりなんですよぉ」


「それは交際しているのですか?」


「そこが微妙なんですよねぇ」


美海が鏡の中で苦笑する。


「向こうも忙しいし、私も忙しいし。別れた言うたり、またご飯行ったり」


玲奈。


「複雑ですね」


美海。


「玲奈さんは?」


「何がです?」


「恋人」


玲奈は即答した。


「いません」


美海も間髪入れず。


「亮介さんは?」


「ウェイターです」


「ふーん」


玲奈が鏡越しに見る。


「何です、その『ふーん』は」


「別にぃ」


「何か含みがありますね」


「年末に島帰ったら、亮介さんも『しおかぜ』にいるんですよね?」


「働いているのですから、います」


「玲奈さんと二人で?」


「店ですから」


「ふーん」


「みうちゃん」


玲奈が振り返ろうとする。


美海がすぐ言う。


「動かないでください」


玲奈がぴたりと止まる。


美海が笑う。


「やっぱり美容室では私のほうが強いです」


「その立場を利用していますね」


「昔のお返しです」


玲奈は呆れながらも、楽しそうだった。


美海には、まだ夢がある。


南ぬ島へ帰って、自分の美容室を開く。


しかし美容師として働き始めてから、夢までの距離が思っていた以上に長いことも分かった。


技術。


接客。


資金。


物件。


経営。


常連客。


一人で店を持つことの大変さ。


「高校の頃は、二十五くらいには島帰って店できるかなって思ってたんですよ」


美海がぽつりと言う。


「でも今は?」


「いつになるかなぁって」


「焦っていますか?」


「ちょっとだけ」


玲奈は鏡の中の美海を見た。


「急がなくてもよいのでは?」


「でも」


「私も、随分遠回りしましたから」


警察官。


警部補。


NST。


戦隊ヒロイン。


退職。


南ぬ島。


喫茶店修業。


そして「しおかぜ」。


予定通りだったことなど、ほとんどない。


「早く夢を叶えることだけが、正解ではないと思います」


美海は黙って聞く。


「尼崎で身につけたものも、島へ戻った時には全部、美海さんの店の一部になるでしょう」


「そうですかねぇ」


「きっと」


そして玲奈は、少し笑った。


「帰る場所は逃げませんから」


美海が鏡越しに玲奈を見る。


「玲奈さんが言うと、何か説得力ありますね」


「私も随分遠くへ行きましたから」


「でも、島に帰ったんですよね」


玲奈は少し考える。


「島へ帰った、というより」


「はい?」


「南ぬ島が、もう一つの帰る場所になったのでしょうね」


セットが完成する。


美海が玲奈へ鏡を見せる。


落ち着いている。


けれど、いつものカフェ店主より少しだけ華やか。


顔立ちを無理に若く見せることもない。


玲奈らしい端正さが、きちんと生きている。


玲奈はしばらく見ていた。


そして、


「素敵ですね」


と素直に言った。


美海の顔が一気に明るくなる。


「ほんとですか?」


「はい」


玲奈は鏡越しに微笑む。


「みうちゃんにお願いしてよかったです」


美海が一瞬、言葉を失った。


それから、少し照れたように笑う。


「……やっと約束、叶いました」


高校生だった少女が、


「いつか玲奈さんの髪をやりたい」


と言った。


その「いつか」が今日になった。


玲奈も笑う。


「そうですね」


「長かったぁ」


「でも、叶いました」


「はい」


翌日のOG会イベント。


美海は残念ながら勤務があるため会場へ行けない。


「でも動画配信、絶対見ますから!」


「仕事は大丈夫ですか?」


「休憩時間に見ます」


「無理はしないでください」


「玲奈さん、ちゃんとカメラ映ってくださいよ」


「私が努力することなのでしょうか」


「センター行ってください」


「もう現役ではありません」


「私にとっては今でも玲奈さんが一番です」


玲奈が少し照れたように目を伏せる。


「ありがとうございます」


年末には南ぬ島へ帰省するという。


「絶対『しおかぜ』行きます」


「お待ちしています」


「亮介さんにも会いたいです」


「相変わらずですよ」


「玲奈さんとも?」


「何がです?」


「別にぃ」


「その言い方、やめませんか?」


二人で笑う。


午後。


神戸市内のイベントホール。


翌日の戦隊ヒロインOG会のリハーサル会場。


玲奈が控室の扉を開ける。


次の瞬間。


「玲奈さぁぁぁん!」


玲奈は目を閉じそうになった。


「……この声は、まったく変わっていませんね」


赤嶺美月が飛んでくる。


「ほんまに来たんやなぁ! 久しぶりやんか!」


ツインテールは、もうない。


大学を卒業し、大手ガス会社の広報部員となった今は、落ち着いた社会人らしい髪型。


服装もすっかりOL。


それでも。


賑やかさだけは一ミリも減っていない。


横から、播州弁が飛ぶ。


「来る言うとったやろが。昨日から何回同じこと言うとんねん」


西川彩香。


美月が振り向く。


「なんや彩香、その言い方!」


「なんやあらへん。『玲奈さん飛行機遅れたらどないしよ』『玲奈さんほんまに来るんかな』言うて、朝からうるさかったん誰や」


「心配しとっただけやんけ!」


「三十分おきにSNS開くんを心配とは言わへんわ」


「彩香かて朝から鏡ばっかり見とったやろ!」


「私は身だしなみ確認しよったんや!」


美月がにやり。


「美人すぎる警察官やから?」


「誰がそれ言え言うた!」


「県警ポスターの女!」


「ガスの妖精に言われとうないわ!」


玲奈は二人を眺める。


仕事を持つ社会人。


片方は大企業の広報。


片方は県警の警察官。


なのに、二人揃った瞬間。


女子大生時代と何も変わらない。


「お二人とも」


玲奈が言う。


「社会人になったのですよね?」


美月と彩香が同時に、


「玲奈さん!」


玲奈は笑った。


美月は大学卒業後、地元の大手ガス会社へ入社した。


配属は広報部。


人前に出ることを恐れない。


誰にでも話しかけられる。


イベントへ出せば人が集まる。


持ち前の明るさは、戦隊ヒロインを卒業しても何一つ失われなかった。


会社からの評価も高い。


そして、ついには妙なことになった。


ガスの安全利用や適切な換気、省エネを広報する企業キャラクター。


ガスの妖精「エネミズキ」。


モデルは完全に美月。


関西ではそこそこ有名。


営業所。


ガス展。


ショールーム。


イベント。


ステッカー。


クリアファイル。


ボールペン。


ノベルティグッズも妙に充実している。


玲奈が言う。


「しおかぜにもありますよ」


美月の顔が輝く。


「ほんまに!?」


「前に美月さんが来た時、置いていったでしょう」


「まだ飾っとるん?」


「はい」


美月がさらに身を乗り出す。


「玲奈さん、ひょっとしてエネミズキ気に入っとる?」


玲奈は一拍置いた。


「……少し」


美月。


「やったぁ! エネミズキ、南ぬ島制覇や!」


彩香が即座に、


「制覇ちゃうわ。ステッカー一枚置いとるだけやろ」


「一歩目が大事なんや!」


「ガス会社の営業区域、勝手に広げんなや」


「エネミズキに県境はないんや!」


「会社にはあるわ!」


「夢ないなぁ彩香!」


「お前が自由すぎるだけや!」


玲奈はまた笑う。


「しおかぜ」のカウンター横。


何となく捨てられずに置いてある、小さなエネミズキのノベルティ。


なぜか玲奈自身、あれを少し気に入っている。


島の店の中に、昔の仲間の痕跡が残っているからかもしれない。


彩香もまた、大きく人生を進めていた。


大学卒業後。


兵庫県警へ入った。


かつて玲奈の背中を追っていた少女が、本当に警察官になった。


仕事は真面目。


現場にも誠実。


若手ながら評価も高い。


そして端正な容姿から、犯罪抑止や交通安全、採用広報などのポスターにも起用されている。


かつて玲奈がそうだったように、


「美人すぎる警察官」


と外から呼ばれることもある。


美月が笑う。


「玲奈さん、見てや。彩香、完全に二代目やで」


彩香。


「誰が二代目やねん!」


「県警ポスターまで同じやん」


「頼まれたから出とるだけや!」


「けど満更でもないやろ?」


「ちゃうわ!」


玲奈は彩香を見て言う。


「よいと思いますよ」


彩香が止まる。


「え?」


「それで犯罪や事故が一件でも減るなら、協力する意味はあります」


彩香の表情が変わる。


少しだけ。


警察官になっても、玲奈から褒められた時だけは昔の後輩へ戻る。


「……はい」


小さな返事。


美月が見逃さない。


「彩香、泣くん?」


彩香。


「泣かへんわ!」


「目ぇ潤んどるやん」


「潤んどらへん!」


「玲奈さんに褒められたからやろ?」


「美月、ほんま黙っとれ!」


「怖っ!」


「お前が言わすんや!」


玲奈は苦笑する。


「相変わらず仲がよいですね」


二人同時。


「よくありません!」


そこだけは綺麗に揃った。


「玲奈さん、久しぶりやなぁ」


今度は柔らかな紀州弁。


麻衣だった。


玲奈も顔をほころばせる。


「麻衣さん。お元気そうですね」


「ぼちぼちやで」


美月や彩香が第一線を離れた後。


麻衣は戦隊ヒロインプロジェクトの中心人物の一人として、後輩たちを支え続けた。


新人の面倒を見る。


現場をまとめる。


時には厳しく指導する。


そして大学卒業後。


念願だった幼稚園教諭になった。


玲奈が言う。


「麻衣さんが先生なのですね」


麻衣が眉を上げる。


「玲奈さん、今ちょっと意外そうな顔したやろ?」


「少しだけ」


「なんでよぉ」


玲奈が笑う。


「昔を知っていますから」


麻衣も笑う。


「毎日大変やで。子ぉら、ほんま元気やさけ」


美月。


「戦隊ヒロインの新人とどっち大変なん?」


麻衣は考える。


「園児やな」


玲奈が何気なく聞く。


「あかりさんより?」


麻衣はさらに真剣に考えた。


「……あかりと同じくらいやなぁ」


少し離れたところから声。


「なんでうちが比較対象なん?」


三重弁。


あかりだった。


玲奈が振り返る。


この場にいるメンバーの中では、ほぼ唯一。


現在も戦隊ヒロインの第一線で活動している。


そして。


現在も大学生である。


玲奈が優しく尋ねた。


「大学はどうですか?」


あかりの顔が曇る。


「玲奈さんまで、それ聞くん?」


美月。


「卒業いつなん?」


あかり。


「知らん」


彩香。


「単位、足りとんか?」


あかり。


「足りとったら苦労せぇへんわ」


玲奈。


「戦隊ヒロインとの両立は大変そうですね」


あかりは真顔で言う。


「任務より単位のほうが厳しいんやに」


玲奈が笑う。


「それほどですか?」


「敵は倒せるんやよ」


「はい」


「必修は倒せやん」


一瞬。


全員が笑った。


麻衣。


「レポートはどうなん?」


あかり。


「もっと強敵やわ」


美月。


「戦隊ヒロイン史上初、単位足りへんから永久現役ちゃうん?」


あかり。


「誰が永久現役や!」


彩香。


「はよ卒業せぇや」


あかり。


「簡単に言うなや!」


玲奈は、昔と変わらないあかりを見て少し安心した。


美咲もいる。


地元奈良県庁へ就職。


今では県庁職員。


「玲奈さん、お久しぶりです」


穏やかな大和弁。


「美咲さんも、お元気そうですね」


「なんとかやらせてもろてます」


玲奈が聞く。


「県庁はいかがですか?」


美咲は少し遠い目をする。


「書類が強いですわ」


「強い?」


「任務の敵やったら、まだ動いてくれますやろ」


「はい」


「書類は動いてくれへんのに、締切だけ近づいてくるんです」


玲奈は吹き出す。


「なるほど」


美咲。


「戦隊ヒロインの時より、机の前で追い詰められるとは思いませんでしたわ」


あかり。


「単位も動かへんで」


美咲。


「あかりはんは、まず大学卒業しなはれ」


「奈良から刺してくるなぁ!」


笑いが広がる。


迫田ツインズとも久しぶりだった。


二人は戦隊ヒロインを完全に卒業している。


大学卒業後、それぞれ別の土地で就職。


一人は東京。


もう一人は大阪。


以前のようにいつでも同じ場所にいるわけではない。


それでも双子の仲は変わらない。


頻繁に連絡。


休みが合えば会う。


互いの近況もほとんど把握している。


そして数年ぶりに仲間たちの前へ揃って現れただけで、控室の華やかさが一段上がった。


「久しぶり」


「ほんと久しぶり」


「みんなちょっと変わった?」


「老けた?」


美月。


「自分らもやろ!」


双子。


「私たちは変わってない」


彩香。


「そういうとこだけ息ぴったりやな」


玲奈は笑う。


離れて暮らすようになっても、二人は二人だった。


そして結月。


岸和田でスポーツインストラクターを続けている。


基本的には第一線から離れている。


しかし戦隊ヒロイン側で欠員が出る。


急なイベント。


急な任務。


人が足りない。


そうなると、なぜか結月へ電話が来る。


讃岐弁に泉州弁が混じった独特の調子で、結月は笑う。


「うちもなぁ、もう毎回は出ぇへんで言うとるんやけど」


玲奈。


「それでも呼ばれるのですね」


「『結月、今日空いとる?』言われたら、なんや知らんけど行ってまうんよ」


美月。


「代打の神様やん!」


結月。


「そんなんちゃうわ」


彩香。


「昔から断れへんもんな」


結月。


「そやけどなぁ。困っとる言われたら、ほっとけへんやろ」


玲奈が微笑む。


「結月さんらしいですね」


結月。


「玲奈さんに言われたら、何も言い返されへんなぁ」


この日も結月は、昔と変わらない「困った時の代打」だった。


さつきとも再会する。


そして気づけば、控室はもうリハーサル前というより、


戦隊ヒロイン同窓会


になっていた。


玲奈は南ぬ島から持ってきた土産を机へ並べる。


「皆さんでどうぞ」


黒糖菓子。


島の焼き菓子。


南ぬ島らしい小さな品。


真っ先に美月の手が伸びる。


その手を彩香が叩いた。


「まだ配り終わってへんやろ!」


美月。


「一個くらいええやんけ!」


彩香。


「待てんのか!」


「ガス会社はスピードが命や!」


「お菓子食う速さと何の関係があんねん!」


「広報はタイミングが大事なんや!」


「ただ腹減っとるだけやろ!」


美月。


「彩香かて欲しいんやろ!」


彩香。


「配られるまで待つわ!」


美月。


「警察官、堅っ!」


彩香。


「お前が自由すぎんねん!」


玲奈が一つ手渡す。


「美月さん、どうぞ」


美月が勝ち誇った。


「ほら! 玲奈さんは分かっとる!」


彩香。


「玲奈さんが甘やかすからや!」


玲奈。


「久しぶりですから」


美月。


「玲奈さん、大好きや!」


彩香。


「調子乗んな!」


また始まった。


玲奈は笑う。


社会人になっても。


肩書が変わっても。


美月と彩香は、二人でいると昔のままだった。


昔話にも花が咲く。


NST時代の失敗。


美月が勝手に首を突っ込んだ件。


彩香が玲奈に叱られた回数。


新人時代の麻衣。


あかりの失敗。


美咲が巻き込まれた一件。


結月が突然呼び出された任務。


迫田ツインズが現場で目立ちすぎた話。


当時は笑えなかった話まで、今となっては笑える。


そして会話は、現在へ移る。


仕事。


上司。


後輩。


子供。


書類。


単位。


恋人。


通勤。


生活。


かつて世界を救うような顔をしていたヒロインたちが、今は職場の人間関係や有給休暇の話をしている。


玲奈は、それが何とも嬉しかった。


皆、生きている。


ちゃんと大人になった。


そして今も、それぞれの場所で誰かの役に立っている。


当然。


次に質問されるのは玲奈だった。


美月が身を乗り出す。


「玲奈さん、島暮らしどうなん?」


「楽しいですよ」


「しおかぜ、めっちゃ流行っとるんやろ?」


「ありがたいことです」


麻衣。


「黒糖プリン、美味しそうやなぁ。写真見たで」


玲奈。


「ありがとうございます」


迫田ツインズ。


「海もきれい」


「ロマンスシートあるんでしょう?」


玲奈の眉がわずかに動く。


「……誰から聞きました?」


美月が元気よく手を上げる。


「私!」


玲奈。


「正式名称は窓際二名席です」


あかり。


「まだそれ言うとるん?」


玲奈。


「最初からそうです」


結月が笑う。


「亮介さんはロマンスシート言うとるんやろ?」


玲奈。


「勝手に」


そして。


全員の目が少し変わる。


玲奈は嫌な予感がした。


美月。


「で?」


「何です?」


美月がにやり。


「亮介さんとは、どないなっとん?」


玲奈。


「ウェイターです」


即答。


美月。


「ちゃうがな!」


「何がです?」


「何がやあらへんやろ! 毎日二人で店やっとんねんで?」


玲奈。


「お客様もいらっしゃいます」


彩香。


「玲奈さん、そういう意味ちゃうやろ」


玲奈が彩香を見る。


「彩香さんまで?」


彩香は腕を組む。


「昔からそういうとこ鈍いんやから」


玲奈。


「鈍くありません」


美月。


「鈍いって!」


彩香。


「美月に言われるんは腹立つけど、そこだけは同意や」


美月。


「なんで私に言われたら腹立つねん!」


彩香。


「日頃の行いや!」


「関係ないやろ!」


「あるわ!」


また喧嘩。


麻衣が紀州弁で穏やかに割って入る。


「まあまあ。でも玲奈さん、ほんまに何もないん?」


「ありません」


あかり。


「ほんまかいな」


美咲。


「ロマンスシートに二人で座ってはるんでしょう?」


玲奈。


「窓際二名席です」


結月。


「二人で夕日見よるん?」


「座席の確認で」


迫田ツインズ。


「コーヒーも一緒?」


玲奈。


「閉店後に時々」


美月。


「それもう昼ドラやんけ!」


玲奈。


「違います」


彩香。


「いや、かなり昼ドラ寄りやと思うで」


あかり。


「うちでも分かるわ」


玲奈。


「あかりさんでも?」


あかり。


「今ちょっと失礼やったやろ!」


美咲が笑う。


「玲奈さん、顔ちょっと赤いんと違います?」


「照明です」


結月。


「まだリハ始まっとらんで」


逃げ道を塞がれる。


県警時代。


容疑者の取り調べも経験した。


危険な相手との駆け引きもした。


それでも。


昔の仲間たちに囲まれ、


「亮介さんとは?」


と一斉に尋ねられるほうが、


よほど逃げ場がない。


玲奈は静かに言った。


「皆さん」


「はい?」


「そろそろリハーサルを始めませんか?」


美月が指差す。


「逃げた!」


彩香。


「逃げたな」


麻衣。


「上手いこと話変えたなぁ」


あかり。


「元警部補の逃げ方やに」


美咲。


「時間管理いうことにしときましょか」


結月。


「玲奈さんも大変やなぁ」


玲奈が思わず神戸の言葉で漏らす。


「もう、みんな好き勝手言うて……」


一瞬。


全員が黙る。


そして大笑い。


美月。


「神戸弁出た!」


玲奈。


「リハーサルを始めます」


「また逃げた!」


その頃。


南ぬ島では。


亮介が暇を持て余していた。


昨日は自由を満喫した。


パチンコ。


泡盛。


誰にも叱られない時間。


しかし一日で飽きた。


朝の作業は完璧に終えた。


家庭菜園。


異常なし。


店内換気。


完了。


床掃除。


完了。


コーヒーミル。


完了。


冷蔵庫。


異常なし。


黒糖プリン。


一個も食べていない。


「……暇だ」


誰も答えない。


亮介は散歩へ出る。


島の道をぶらぶら歩く。


すると早速、常連のおじいに捕まった。


「リョウちゃん」


「はい」


「玲奈ちゃんまだ帰ってこんの?」


「まだですよ」


おばあも笑う。


「寂しいさぁ?」


亮介は即答。


「全然」


「ほんとに?」


「ほんとです」


別のおばあが言う。


「昨日、一人でしおかぜの窓んとこ座っとったさぁ」


亮介が止まる。


「何で知ってるんです?」


「前通ったから」


「島の人、よく見てますね!」


「いつも玲奈ちゃんと座っとる席でしょう?」


「別にいつもじゃないですよ」


「一人じゃ広かった?」


「そこまで分析しないでください!」


おじいが笑う。


「リョウちゃん、顔に寂しいって書いてあるさぁ」


「俺、元詐欺師ですよ。表情管理得意なんです」


おばあ。


「全然できてないさぁ」


「元詐欺師のプライドまで島で崩壊してる!」


おじい。


「玲奈ちゃん帰ってきたら、寂しかったって言えばいい」


亮介。


「言いません」


「なんで?」


「そういう関係じゃないですから」


「じゃあ何ね?」


亮介は胸を張る。


「店主とウェイター」


おばあ。


「夫婦みたいなものさぁ」


亮介。


「本人の前でそれ言ったら、ゼロ・二秒くらいで『夫婦ではありません』って訂正されますよ!」


おじい。


「今日は本人おらんから大丈夫」


「本人不在なら既成事実にしていい制度あるんですか!」


島の人たちは楽しそうだった。


どうやら玲奈不在中。


亮介をからかうことが、ちょっとした娯楽になっている。


そこへ、さらに面倒な男が来る。


「やあ、ウェイター君」


亮介は聞き覚えのある声に肩を落とす。


「……警部さん」


大城誠司。


今日も無駄に涼しい顔。


「玲奈さんの留守は、ちゃんと守れているかな?」


「守ってますよ」


大城。


「店は?」


「無事です」


「家庭菜園は?」


「無事です」


「黒糖プリンは?」


「一個も食べてません」


大城が少し感心した顔。


「成長したじゃないか」


亮介。


「何で上からなんです?」


「玲奈さんから、かなり細かい指示をもらったのだろう?」


亮介が止まる。


「何で知ってるんです?」


大城は当然のように答える。


「玲奈さんだからね」


「それで何でも説明できると思わないでください!」


大城が笑う。


「まあ、留守番くらいならウェイター君にもできるだろう」


「その『くらい』が腹立つ!」


「できているならいいじゃないか」


「褒め方が嫌なんですよ!」


大城は少し亮介を見る。


「しかし」


「何です?」


「今日は静かだね」


「俺が?」


「普段より元気がない」


亮介。


「あります」


大城。


「寂しいのかな?」


「警部さんまで!」


おじい。


「寂しいさぁ」


おばあ。


「寂しいねぇ」


亮介。


「多数決で決めないでください!」


大城は涼しい顔のまま、


「玲奈さんが戻れば、元に戻るだろう」


と言う。


亮介。


「俺を留守番中の犬みたいに言わないでください!」


大城。


「では、店を壊さないように」


「壊しません!」


「黒糖プリンも守るように」


「守ってます!」


「ウェイター君自身も元気で」


亮介が叫ぶ。


「最後まで名前で呼べ!」


大城は軽く手を上げ、そのまま歩いていった。


おばあが言う。


「リョウちゃん、警部さんとも仲良しさぁ」


「どこを見たらそうなるんです!」


島は今日も平和だった。


そして平和すぎるからこそ、


亮介には逃げる場所がなかった。


神戸。


リハーサルが始まる。


ステージ。


照明。


マイク。


立ち位置。


映像。


登場順。


かつて何度も立ったような華やかな空間。


玲奈は指定された位置へ立つ。


隣に彩香。


その向こうに美月。


麻衣。


あかり。


美咲。


結月。


迫田ツインズ。


さつき。


昔なら、照明が点けば自然と「戦隊ヒロインの岡本玲奈」へ切り替わった。


今は少し違う。


もう昔の玲奈へ戻る必要はない。


今の玲奈でいい。


島でカフェを営み。


家庭菜園を気にし。


黒糖プリンを作り。


毎日くだらない男と口喧嘩をしている。


その岡本玲奈として、ステージへ立てばよい。


玲奈は隣を見る。


美月は広報部員。


彩香は警察官。


麻衣は幼稚園教諭。


美咲は県庁職員。


結月はスポーツインストラクター。


迫田ツインズも、それぞれ別の社会人。


あかりだけは、


「単位が……」


と小さく呟いている。


玲奈は思わず笑う。


皆、大人になった。


でも、誰一人として別人になったわけではない。


そのことが、妙に嬉しかった。


リハーサル終了。


外は夕方。


玲奈はホテルへ戻る。


スマートフォンに通知。


美海。


髪、崩れてませんか?


続けて、


明日の配信、絶対見ます!


玲奈は返信する。


きれいに保てています。ありがとうございました。


そして、


年末、お待ちしています。


送信。


もう一件。


亮介から。


写真が何枚か届いている。


家庭菜園。


店内。


厨房。


コーヒーミル。


きちんと整えられた窓際二名席。


玲奈は少し感心する。


「ちゃんとしているではありませんか」


そして最後。


亮介本人。


窓際二名席へ一人で座った自撮り。


玲奈は数秒見る。


返信。


最後の写真は必要ですか?


すぐ返ってくる。


留守番担当者の生存確認です。


玲奈。


頼んでいません。


亮介。


大城警部にも生存確認されました。


玲奈は笑う。


大城警部に会ったのですか?


会いたくなかったのに会いました。


何と言われました?


しばらくして。


「留守番くらいならウェイター君にもできるだろう」


玲奈はとうとう声を出して笑った。


亮介からすぐ、


今、笑いましたね?


玲奈。


少し。


亮介。


神戸からでもひどい!


玲奈はベッドへ腰掛ける。


今日も、たくさんの人に会った。


美海。


美月。


彩香。


麻衣。


あかり。


美咲。


結月。


迫田ツインズ。


さつき。


懐かしい。


楽しい。


昔の仲間は、今も大切な人たちだった。


それでも。


一日の終わり。


自然にスマートフォンを開いて会話をしている相手は、


南ぬ島にいる亮介だった。


もう一通。


明日本番ですよね。


玲奈。


はい。


楽しんできてください。せっかく久しぶりにみんな集まったんだから。


玲奈は少し考える。


ありがとうございます。


そして。


もう一文だけ付け加える。


お店も、ありがとうございます。


送信。


南ぬ島。


亮介は、その文章を何度も見た。


たった一行。


けれど、昨日より少しだけ寂しくない。


「どういたしまして」


誰もいない店で口にする。


そして同じ文章をスマートフォンへ打つ。


どういたしまして。


送信。


高校生だった少女は、美容師になった。


玲奈の背中を追っていた後輩は、警察官になった。


賑やかな女子大生は、大企業の広報部員になり、ついにはガスの妖精まで背負うようになった。


後輩たちをまとめていた少女は、幼稚園の先生になった。


県庁へ勤めた者。


別々の都会で働く双子。


困れば今でも呼ばれるスポーツインストラクター。


そして一人だけ、


まだ大学の単位と戦隊ヒロインの任務を同時に相手にしている者もいる。


ヒロインたちは、大人になった。


玲奈も同じだった。


もう警部補ではない。


戦隊ヒロインでもない。


南ぬ島の小さなカフェ店主。


昔の自分から見れば、


ずいぶん静かな暮らしかもしれない。


けれど玲奈は、


今の人生を気に入っていた。


昔の仲間と笑って。


元アルバイトの成長を喜んで。


一日の最後には、


遠く離れた島にいるウェイターから送られてきた、どうでもよい自撮りを見て笑う。


そんな毎日を。


その頃、南ぬ島では。


島中から、


「リョウちゃん、玲奈ちゃんおらんと寂しいさぁ」


とからかわれ続けた男が、


今日も一人、


窓際二名席へ座っていた。


「寂しくないですよ」


誰もいない店へ言う。


当然、返事はない。


亮介は少し黙る。


そして、ぼそり。


「……ちょっと暇なだけです」


その言い訳を信じる人は、


南ぬ島には、


もう一人もいなかった。


そして翌日。


いよいよ戦隊ヒロインOG会、本番。


かつてスポットライトの下で笑っていた女性たちが、


それぞれの人生を背負って、


もう一度だけ同じステージへ集まる。


髪を結い直した玲奈もまた、


昔へ戻るためではなく、


今の自分がここまで歩いてきたことを見せるために。

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