黒糖プリンは食べ残され、文化財は海を渡りかけた ――県警の自称エース、空き皿と邪魔なウェイターから密輸ルートを読む
南ぬ島では、潮風が時計代わりだった。
朝は港から魚を積んだ軽トラックが走り、昼には観光客がのんびりと島を歩き、夕方になると海は黄金色に染まる。
事件という言葉とは、あまり縁のない島である。
だからこそ、「しおかぜ」の窓際席には、いつものように県警の将来のエース候補――本人談――大城誠司警部が腰を下ろしていた。
「玲奈さん。今日の島野菜パスタも素晴らしいですね」
「ありがとうございます。」
玲奈は柔らかく微笑み、コーヒーを運ぶ。
その横で亮介がぼそりと呟いた。
「警部さん、最近もう巡回じゃなくて常連ですよね。」
大城はカップを口元へ運びながら答える。
「違う。」
「何がです?」
「私は治安維持のため、この店を重点観察している。」
「重点観察って、週三回来てますよ。」
「偶然だ。」
「偶然で黒糖プリンまで毎回食べます?」
「偶然だ。」
玲奈は苦笑する。
奈央はカウンター席で吹き出した。
「警部さん、その偶然、甘いもの好きなだけですよ。」
店内に笑いが広がる。
その時だった。
大城の携帯電話が鳴る。
画面を見た瞬間、いつもの穏やかな表情が引き締まる。
「……失礼。」
短く応答し、数十秒で通話を終える。
そして玲奈へ向き直った。
「愛媛県警から協力捜査要請が入りました。」
店内の空気が少しだけ変わる。
「文化財窃盗事件です。」
大城は封筒から数枚の写真を取り出した。
江戸後期に作られた木彫仏。
古文書。
そして、それらを運搬したとみられる男。
「窃盗グループは文化財を民芸品へ偽装し、この島を経由して国外へ持ち出そうとしている可能性があります。」
「運搬役とみられる男が数日前に島へ入った形跡があります。」
写真を見た玲奈は、すぐには何も言わなかった。
だが数秒後、静かに目を細める。
「……あ。」
大城が顔を上げる。
「何か。」
「この方でしたら、三日前に来店されています。」
亮介も写真を覗き込む。
「あ、本当だ。」
「プリン残した人。」
玲奈がゆっくり思い出し始める。
「午後三時頃でした。」
「黒糖プリンとアイスコーヒーをご注文になりました。」
「でもプリンにはほとんど手を付けず、店内の木工細工ばかり見ていらっしゃいました。」
「特に木箱をご覧になっていました。」
大城はメモを取る。
「他には。」
「帰り際に、古い倉庫や使われていない建物はないか、と尋ねられました。」
亮介も思い出す。
「ああ!」
「席の下に木くずが落ちてた。」
大城が振り向く。
「木くず?」
「掃除した時に見つけました。」
「なぜ今まで言わない。」
「木くずですよ?」
「文化財事件と結び付くと思わないじゃないですか。」
「……それもそうだ。」
珍しく大城も納得する。
「玲奈さん、防犯カメラは。」
「残っています。」
ノートパソコンを開き、三日前の映像を再生する。
画面には午後の店内。
男が窓際へ座る。
玲奈が黒糖プリンを運ぶ。
そして――
突然、亮介が画面いっぱいに現れた。
トレーを頭へ載せ、おどけた顔で歩いている。
奈央が思わず吹き出す。
「リョウさん、何してるんですか。」
「お子さんが笑ってくれたから。」
映像は続く。
男が何かを椅子の下へ置く。
その瞬間。
また亮介。
今度は常連のおじいと腕相撲を始めている。
男の手元が完全に隠れた。
大城は額へ手を当てた。
「ウェイター君。」
「はい。」
「君は事件が起こるたびに、なぜ一番重要な場所へ映り込むんだ。」
「仕事です。」
「どこが。」
「接客です。」
「ウェイター君。」
大城は深く息を吐く。
「キミ、本当に邪魔!!」
奈央が笑いを堪えきれない。
亮介は納得がいかない。
「真面目に働いてただけですよ!」
「真面目なウェイターは、お客様の前で腕相撲しない。」
「盛り上がってたんです。」
「証拠映像まで盛り上げなくていい!」
映像を少し戻す。
玲奈は二人のやり取りを聞き流しながら、じっと画面を見続けていた。
「ここです。」
男のズボンの裾。
赤茶色の土が付着している。
さらに木箱の角には、白い粉。
玲奈は静かに説明する。
「この赤土は島の北側、旧製糖所跡周辺でよく見られる色です。」
「白い粉は。」
「古い倉庫の壁材だと思います。」
「以前、奈央さんと歩いた時、同じものが靴についていました。」
大城の目が鋭くなる。
玲奈は続けた。
「それと。」
映像を一時停止する。
男が椅子の下へ木箱を置く直前。
木箱の角から、黒い木片がわずかに欠けていた。
「亮介さん。」
「はい。」
「木くずは。」
「ゴミ袋です。」
「昨日は定休日だったので、まだ回収されていません。」
ゴミ袋を確認すると、小さな黒い木片が見つかる。
愛媛県警へ画像を送る。
返信は早かった。
「盗まれた木箱と同じ黒檀材の可能性が高い。」
決め手だった。
赤土。
白い壁材。
黒檀の木片。
男の移動方向。
八重山署は旧製糖所跡を一斉捜索する。
そして、人目につかない倉庫の奥から木箱が見つかった。
中には木彫仏と古文書。
さらに運搬役の男も現場近くで身柄を確保される。
文化財は国外へ持ち出される寸前で守られた。
事件解決から数日後。
「しおかぜ」はいつもの穏やかな午後へ戻っていた。
大城警部は珍しく手ぶらではなく、一通の礼状を持って現れる。
「愛媛県警からです。」
「今回の協力へ正式なお礼が届きました。」
玲奈は丁寧に受け取る。
「皆さんのお力です。」
「いいえ。」
大城は首を横へ振る。
「決め手は玲奈さんでした。」
「防犯映像から赤土と白い壁材を見抜き、木箱の木片まで結び付けた。」
「現役でも、ここまで観察できる警察官は多くありません。」
玲奈は少し照れたように笑う。
「偶然覚えていただけです。」
「偶然ではありません。」
大城は真剣だった。
「うちの若いのを指導してほしいくらいですよ。」
玲奈はコーヒーカップを置き、穏やかな表情のまま答える。
「もう警察は卒業していますから。」
「復帰されるお気持ちは。」
「ありません。」
「あっさりですね。」
「今は、この店が私の職場です。」
その横顔は凛としていた。
警察官だった頃の芯の強さ。
店主としての穏やかさ。
その両方が自然に溶け合っている。
大城は思わず見入ってしまう。
(やはり……強くて、美しい。)
その胸は静かに高鳴っていた。
その空気を壊したのは、もちろん亮介だった。
「警部さん。」
「何だね、ウェイター君。」
「俺の木くずも役に立ちましたよね。」
大城は腕を組む。
「認めよう。」
「おお!」
「木くずは役に立った。」
「やった!」
「だが。」
亮介の笑顔が止まる。
「防犯映像を八割邪魔した事実は消えない。」
奈央が吹き出す。
「リョウさん、八割なんですか。」
「そんなに映ってた?」
大城は真顔で答える。
「正確には七割八分だ。」
「数えてたんですか!」
常連のおじいも笑う。
「リョウちゃんは事件解決にも賑やかさを添える係さー。」
「それ褒めてます?」
「たぶん。」
店内に笑いが戻る。
玲奈は新しく焼き上がった黒糖プリンを三人の前へ並べた。
「今日は、皆さん最後まで召し上がってくださいね。」
「もちろんです。」
大城は微笑み、亮介も胸を張る。
「今回は俺も食べ残しません!」
「あなたは最初から残していません。」
玲奈が静かにツッコミを入れると、また店いっぱいに笑い声が広がった。
海の向こうから流れ着いた文化財窃盗事件は、こうして静かに幕を閉じる。
決め手は、食べ残された黒糖プリン。
そして、防犯映像の片隅で誰よりも目立っていた、少し邪魔なウェイターと、誰よりも静かに真実を見抜く元敏腕警部補だった。




