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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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黒糖プリンより甘くない、四人の午後 ――恋の矢印は、潮風の中で少しだけ迷子になる

南ぬ島には、何も起きないことがいちばん贅沢に思える午後がある。


その日の「しおかぜ」は、まさにそんな空気に包まれていた。


観光客の波は午前中で引き、店内にはゆるやかなジャズと、コーヒーの香りだけが残っている。窓の外では潮風がハイビスカスを揺らし、壁に飾られた玲奈のハンドメイド雑貨が小さく影を落としていた。


玲奈はカウンターの中でカップを磨いている。


亮介は隣で、今日もどうでもいい話をしていた。


「玲奈さん、昨日おじいがね」


「はい」


「若い頃は那覇でモテたって言うんですよ」


「はい」


「で、どれくらいモテたんですかって聞いたら」


「はい」


「本人いわく、向こう三軒両隣」


玲奈は手を止めずに答える。


「かなり狭いですね」


「そうなんですよ」


亮介は一人で笑う。


玲奈は呆れた顔をしているが、その声は少し柔らかい。


窓際には、大城誠司警部が座っていた。


非番ではなく、勤務の合間らしい。短い昼休みにコーヒーだけを飲みに来たと言うが、常連のおばあたちは誰も信じていない。


奈央もカウンター席にいた。


保育園の制作帳を広げているが、ほとんど手は動いていない。視線は時々、大城警部の横顔へ向かう。


そこへ、常連のおばあが黒糖プリンの皿を置きながら言った。


「今日は暇さー」


「はい」


玲奈が微笑む。


おばあは四人を順番に見た。


「みんな三十過ぎて独身ねぇ」


亮介が咳き込む。


玲奈はカップを磨く手を止める。


奈央は顔を赤くする。


大城は静かにコーヒーを置いた。


「おばあ、それは急に切り込むね」


亮介が苦笑する。


おばあは平然としていた。


「昔は少しだけ占い師みたいなことをしてたさー」


「ユタではないよ」


「でも恋愛相談はよく聞いた」


奈央が興味を示す。


「恋愛診断ですか?」


「そうさー」


おばあは紙ナプキンを一枚広げる。


「今日は暇だから、四人の恋の矢印を見てあげるさー」


玲奈はすぐに言った。


「私は結構です」


亮介は笑う。


「やりましょうよ。面白そう」


大城もニヒルに微笑む。


「統計的根拠は薄そうですが、興味深いですね」


おばあは大城を見て笑った。


「警部さん、そういうところが面倒くさいさー」


奈央が吹き出す。


こうして、誰も本気ではないはずの恋愛診断が始まった。


最初の質問。


「好きになる人は、どんな人ね?」


おばあが玲奈を見る。


玲奈は少し考える。


「信用できる人です」


亮介が少し姿勢を正す。


「約束を守って、仕事を真面目にして、くだらないことをしても最後には反省できる人」


「それ、俺?」


亮介が聞く。


玲奈は淡々と答える。


「さあ」


大城は静かに聞いている。


奈央はにやにやしている。


玲奈はさらに続けた。


「それから、悪いことをしない人」


亮介が胸を押さえる。


「刺さるなぁ」


「亮介さんは、また悪さをしないように私が見張っています」


「はい」


「賠償金の支払いが終わる百十七歳まで」


店内が笑いに包まれる。


大城だけは、その言葉の奥にある親しさを見逃さなかった。


次は亮介。


「俺はね」


亮介は少し照れくさそうに頭をかく。


「怒ってても最後は笑ってくれる人」


玲奈の手が止まる。


「料理が上手で、朝のコーヒーが美味くて、俺のくだらない話を聞き流してくれる人」


奈央が言う。


「完全に玲奈さんですね」


亮介は慌てる。


「いや、一般論」


「一般論にしては具体的です」


大城はコーヒーを一口飲み、少しだけ面白くなさそうに窓の外を見る。


次は奈央。


奈央は赤くなりながら言った。


「私は……仕事を頑張っている人がいいです」


「ほう」


おばあが目を細める。


「責任感があって、落ち着いていて、頼れて、制服が似合う人」


亮介が小声で言う。


「それ、大城警部じゃん」


奈央はさらに赤くなる。


大城は全く気付かない。


玲奈だけが少しだけ奈央を見る。


最後は大城だった。


大城は姿勢を崩さず、静かに答える。


「自立している女性です」


「知性があり、誠実で、生活が丁寧で、料理もできる」


亮介が苦い顔をする。


「家庭菜園にも向き合い、古い映画や歴史にも理解がある」


奈央の表情が少し沈む。


玲奈は困ったように目を伏せる。


おばあは紙ナプキンに線を書き始めた。


玲奈。


亮介。


奈央。


大城。


四人の名前を丸で囲み、矢印を引く。


亮介から玲奈へ。


奈央から大城へ。


大城から玲奈へ。


そして玲奈の矢印は、少し迷ったあと、亮介の方へ向いているようで、ほんの少し大城の方にも揺れている。


おばあは首をひねった。


「うーん」


四人が覗き込む。


「どうですか?」


奈央が聞く。


おばあは苦笑いした。


「誰も悪くない」


「でも誰も得しないさー」


亮介が紙ナプキンを見る。


「本当だ……」


大城は腕を組む。


「興味深い構図ですね」


玲奈は小さくため息をつく。


奈央は苦笑いする。


四人そろって、


「うーん……」


と声を漏らした。


その間の抜けた声があまりにも揃っていて、おばあが最初に笑った。


奈央も笑った。


亮介も笑った。


玲奈も肩を震わせた。


大城も珍しく、口元を緩めた。


おばあは紙ナプキンを畳む。


「恋は黒糖プリンみたいにはいかんねぇ」


「材料を混ぜて冷やせば固まるわけじゃないさー」


玲奈は静かに言う。


「手間がかかりますね」


亮介が笑う。


「この章のタイトルみたいだ」


奈央は窓の外を見る。


大城は玲奈だけを見ている。


玲奈は一瞬だけ亮介を見る。


亮介は照れ隠しにテーブルを拭き始めた。


誰の恋も進んでいない。


誰も勝っていない。


けれど、誰も傷ついてはいなかった。


それが「しおかぜ」らしかった。


潮風が窓辺のモビールを揺らす。


黒糖プリンより甘くない。


でも、コーヒーより少しだけ温かい。


そんな四人の午後が、静かに過ぎていった。

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