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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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低く投げた石と、負けず嫌いな恋 ――サブマリン玲奈、静かな海で覚醒する

「しおかぜ」の定休日は、いつもより少しだけ空が広く見える。


その日は朝から海が穏やかだった。風は弱く、波は低く、砂浜には白い光がさらさらと降っている。


玲奈と亮介は、店の仕込みを早めに終えて、海岸沿いを歩いていた。


「玲奈さん、聞いてください」


「はい」


「昨日の夢にヤギが出てきました」


「はい」


「しかも、俺を見て笑ってたんですよ」


「はい」


「夢の中でも負けた気がしました」


「はい」


亮介が横目で見る。


「玲奈さん、聞いてます?」


「聞いています」


「全部『はい』じゃないですか」


「内容が薄いので」


「朝から厳しい」


玲奈は涼しい顔で歩く。亮介は相変わらず、くだらない話をいくつも並べる。パチンコの話、昨日見た変な雲の話、島猫に睨まれた話。玲奈は半分聞き流しながら、それでも隣を歩いていた。


途中で奈央も合流した。


「お散歩ですか?」


「はい」


「亮介さんの話に付き合わされています」


「それは大変ですね」


「奈央ちゃんまで」


三人で海岸へ出ると、島の子どもたちが波打ち際で石を投げていた。


水切りだった。


平たい石が水面を跳ねるたび、子どもたちは歓声を上げる。


「三回!」


「俺、五回!」


「もう一回!」


亮介の目が輝いた。


「懐かしいなあ」


玲奈が見る。


「できますか?」


「四国の山奥では毎日やってました」


「出ましたね、四国」


奈央が笑う。


亮介は平たい石を拾った。指で重さを確かめ、少し腰を落とす。


「見ててください」


シュッ。


石は低く鋭く飛び、水面を跳ねた。


一回、二回、三回、四回、五回、六回、七回。


子どもたちは大騒ぎになった。


「リョウお兄ちゃんすごい!」


「七回!」


「かっこいい!」


亮介は一気に得意顔になる。


「まあね。昔はもっといけたけど」


島のおじいまで近くに寄ってくる。


「リョウちゃん、やるさぁ」


「四国八位は伊達じゃないねぇ」


玲奈は腕を組む。


「水切りと四国八位は関係ありますか?」


「あります。たぶん」


調子に乗った亮介は、いたずらっぽく言った。


「玲奈さんなら、十回くらいいけますよね?」


奈央が小さく「あ」と言った。


玲奈は静かに亮介を見る。


そして、当然のように言った。


「もちろんです」


平たい石を拾う。構えは綺麗だった。背筋も伸び、腕の角度も悪くない。


しかし。


シュッ。


ボチャン。


一回。


玲奈は石を見つめた。


もう一度。


ボチャン。


また一回。


三度目。


水面に刺さるように沈んだ。


子どもたちが顔を見合わせる。


「玲奈お姉ちゃん……下手?」


奈央は笑いをこらえる。


亮介は完全にこらえきれていない。


そこへおじいがとどめを刺した。


「玲奈ちゃん、埋め立て地でも作る気かい?」


海岸中が笑いに包まれた。


玲奈は耳まで少し赤くなったが、顔はすましたままだった。


「今日は調子が悪いだけです」


亮介がペロッと舌を出す。


「今日は?」


「今日は、です」


その日の玲奈は、そこから何度も挑戦した。


だが結果は、ほぼ一回。


たまに二回。


三回跳ねた時には、子どもたちが優しく拍手してくれた。


それがまた悔しかった。


「頑張ったね、玲奈お姉ちゃん!」


慰められている。


元警部補。

元戦隊ヒロイン。

女優のような美人店主。


水切りでは、島の小学生に慰められている。


玲奈の中で、何かに火がついた。


その夜。


「しおかぜ」の自宅リビングで、亮介がさんぴん茶を飲んでいると、玲奈はノートパソコンを開いていた。


「何してるんですか?」


「研究です」


「何の?」


「水切りです」


亮介は吹き出した。


「そこまで?」


玲奈は真顔だった。


「亮介さんに負けたままでは終われません」


「たかが水切りですよ」


「されど水切りです」


そこから玲奈の本気が始まった。


動画サイトで水切りのコツを探す。


石の形。

投射角。

回転数。

リリースポイント。

手首の使い方。

腰の回転。


さらに調べるうち、玲奈はある映像にたどり着いた。


細身の背番号31番。


地面すれすれから球を放つ、伝説的な超低空アンダースロー投手。

普通の投手とはまるで違う、海面を滑るような軌道。

細い体をしなやかに折りたたみ、沈み込むように投げる姿は、もはや職人芸だった。


玲奈は画面に見入った。


「これです」


亮介が覗く。


「野球?」


「違います」


「野球ですよね」


「応用です」


玲奈は動画を止め、再生し、また止める。


「低いリリース」


「腰の回転」


「手首の角度」


「水面に対して水平に近い軌道」


亮介は呆れた。


「玲奈さん、水切りでプロ野球投手を研究する人、初めて見ました」


「勝つためには必要です」


「誰に?」


「亮介さんに」


亮介は一瞬黙った。


そこまで言われると、少し嬉しい。


翌日から、玲奈の夜の習慣が変わった。


閉店後。


店の奥で、玲奈が低く腰を沈める。


腕を地面すれすれに走らせる。


シャドウピッチング。


一回。


二回。


三回。


亮介はカウンターで皿を拭きながら見る。


「玲奈さん」


「はい」


「何もそこまでムキにならなくても」


玲奈はすました顔で言う。


「ムキになっていません」


「なってます」


「研究です」


「サブマリン研究?」


「水切り研究です」


奈央が来た日も、玲奈は閉店後に練習していた。


奈央は目を丸くする。


「玲奈さん、何してるんですか」


亮介が答える。


「サブマリン玲奈の誕生を見守ってます」


玲奈は振り向かない。


「亮介さん、余計な実況は不要です」


「はい」


一週間後。


次の定休日。


海岸には、なぜか人が集まっていた。


島の子どもたち。

奈央。

おじい。

おばあ。

そして亮介。


「玲奈お姉ちゃん、今日リベンジ?」


「今度は跳ねる?」


「サブマリンって何?」


亮介が笑う。


「見れば分かるよ」


玲奈は静かに海を見る。


すました顔。


だが内心は本気だった。


平たい石を選ぶ。


指で重さを確かめる。


足を開く。


そして、驚くほど低く沈み込んだ。


島の子どもたちがざわつく。


「低っ!」


奈央も驚く。


「本当に投手みたい……」


亮介は目を細める。


あの一週間、毎夜繰り返されていたシャドウピッチングは、完全に形になっていた。


細身の背番号31番の名サブマリン投手を思わせる、流れるような超低空フォーム。


玲奈の腕が、海面すれすれに走る。


シュッ。


石は鋭く、低く、一直線に飛んだ。


ピョン。


ピョン。


ピョン。


ピョン。


ピョン。


ピョン。


ピョン。


ピョン。


八回。


海岸が一瞬静まり返った。


そして次の瞬間、大歓声が起こる。


「すごーい!」


「玲奈お姉ちゃん、八回!」


「リョウお兄ちゃん超えた!」


「サブマリン玲奈!」


おじいも腹を抱えて笑う。


「玲奈ちゃん、埋め立て地じゃなくて、今日は滑走路作ったさぁ!」


奈央は拍手する。


「本当に勝った……」


亮介は苦笑した。


「一週間で抜かれた」


玲奈は石を拾いながら、すました顔で言った。


「研究しましたので」


「どのくらい?」


「動画を百回ほど」


「水切りで?」


「はい」


「負けず嫌いすぎる」


玲奈は少しだけ亮介を見る。


「亮介さんには、あまり負けたくありません」


その一言に、亮介は不意に胸を突かれた。


普段は冷静で、涼しい顔をしている玲奈。


けれど、彼女の中には熱い火がある。


くだらないことでも本気になる。


からかわれれば、徹底的に研究する。


そして最後には、すました顔で勝ちに来る。


そういう玲奈が、亮介はたまらなく好きだった。


「玲奈さん」


「はい」


「格好よかったです」


玲奈は少しだけ口元を緩めた。


「当然です」


「でも」


「はい」


「次は負けません」


玲奈は静かに微笑む。


「受けて立ちます」


島の子どもたちは、もう次の勝負を期待していた。


「リョウお兄ちゃんもやって!」


「サブマリン対決!」


おじいが笑う。


「次は大会さぁ」


奈央も笑いながら言う。


「しおかぜ杯、水切り大会ですね」


亮介は空を見上げた。


「まずいなぁ。玲奈さん、本気になったら止まらない」


玲奈はすました顔で、もう一つ石を拾う。


「今さら気づきましたか」


その石は、また美しく水面を跳ねた。


南ぬ島の静かな海に、軽やかな音が重なる。


七回跳ねた石から始まった、小さな負けず嫌い。


一週間眠れなかった店主は、ついに海辺で覚醒した。


サブマリン玲奈。


その誕生を、亮介は少し呆れながら、少し誇らしく、そしてかなり愛おしく見つめていた。

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