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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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雨の日の紙飛行機と、負けず嫌いな店主 ――まっすぐ飛んだのは、紙飛行機より笑顔でした

雨の日の「しおかぜ」は、いつもより少し静かだった。


南ぬ島の雨は、降り出すと急に世界の色を変える。窓の外の海は灰色がかり、店先のハイビスカスは水滴をまとい、潮風は湿った匂いを連れてくる。


玲奈はカウンターの奥で、黒糖プリン用のソースを丁寧に混ぜていた。亮介はテラス席の椅子を中へ入れ、退屈そうに窓の雨粒を眺めている。


そこへ、幸せそうな家族連れがやって来た。


祖母と、若い両親と、幼い兄妹。


雨で予定が変わったらしく、少し困った顔をしていたが、「しおかぜ」の暖かい灯りを見ると、すぐに表情が柔らかくなった。


「雨宿りがてら、少し休ませてください」


「もちろんです」


玲奈は静かに迎える。


黒糖プリンと珈琲、子どもたちには島バナナジュース。


やがて退屈した兄妹に、祖母が折り紙を取り出した。


「紙飛行機でも作ろうか」


その一言で、兄妹の目が輝いた。


小さなテーブルの上に、赤、青、黄色の折り紙が広がる。兄がぎこちなく折り、妹は途中で折る方向を間違える。それでも二人は楽しそうだった。


亮介がすぐに混ざる。


「懐かしいなあ。俺も作っていい?」


「リョウお兄ちゃんも作るの?」


「作るよ」


亮介の折り方は雑だった。


角も少しずれている。折り目も玲奈なら許さないほど甘い。


しかし、できあがった紙飛行機は不思議とよく飛んだ。


「いくぞ」


亮介が軽く投げる。


紙飛行機はふわりと浮かび、店内の通路を滑るように飛んでいく。椅子と椅子の間を抜け、カウンターの手前でゆっくり床へ降りた。


兄妹は歓声を上げた。


「すごーい!」


「もう一回!」


祖母も拍手する。


「まあ、上手ねぇ」


亮介はすっかり得意顔だった。


「昔、山で遊ぶくらいしかなかったからね」


母親が笑う。


「器用なんですね」


玲奈はカウンターの奥で、少しだけ眉を動かした。


器用。


亮介が。


その言葉に少し引っかかった。


亮介は、その一瞬を見逃さない。


いたずらっ子のように口元を緩め、玲奈へ声をかけた。


「玲奈さん」


「はい」


「玲奈さん、手先器用ですよね」


「そうですね」


「ハンドメイド雑貨も作れるし」


「はい」


「紙飛行機くらい、一瞬ですよね?」


奈央が、ちょうど雨宿りに来ていたカウンター席で小さく息を飲んだ。


また始まった。


玲奈は静かに折り紙を受け取った。


「簡単です」


亮介は笑いをこらえる。


「ですよね」


玲奈は折り始めた。


その手つきは美しかった。


折り目はまっすぐ。角はぴたり。左右の翼は定規で測ったように対称。紙飛行機というより、展示用の模型のようだった。


祖母が感心する。


「まあ、綺麗」


父親も身を乗り出す。


「これは見事ですね」


母親も笑う。


「飾っておきたいくらい」


兄妹も拍手した。


「玲奈お姉ちゃん、すごい!」


玲奈は少しだけ誇らしげに微笑んだ。


「では、飛ばします」


しん、と店内が見守る。


玲奈が紙飛行機を放つ。


ふわっ。


すとん。


二メートルほどで落ちた。


沈黙。


兄妹が同時に言う。


「飛ばない」


亮介は口元を押さえる。


奈央は視線をそらす。


玲奈は紙飛行機を拾い、もう一度翼を確認した。


「重心でしょうか」


再挑戦。


ふわっ。


すとん。


今度は少し右へ曲がって、テーブルの脚に当たった。


亮介の紙飛行機は、相変わらずよく飛ぶ。


玲奈の紙飛行機は、芸術品のように美しい。


しかし、飛ばない。


兄妹は面白がって、二人の飛行機を並べた。


「リョウお兄ちゃんのは遠くまで行く!」


「玲奈お姉ちゃんのは綺麗!」


亮介が胸を張る。


「役割分担だね」


玲奈は無表情で答える。


「まだ結論を出すには早いです」


負けず嫌いの火がついた。


三号機。


四号機。


五号機。


玲奈は次々と改良を重ねる。


翼を細くする。


胴を短くする。


先端を重くする。


折り目を微調整する。


兄妹も応援する。


「玲奈お姉ちゃん頑張れ!」


「もうちょっと!」


それでも亮介の紙飛行機には敵わなかった。


家族が帰る頃、店には紙飛行機が小さな群れのように並んでいた。


祖母は笑いながら言った。


「今日は雨で残念だったけど、楽しかったわ」


玲奈は少し照れた顔で頭を下げた。


「ありがとうございます」


兄妹は帰り際に手を振る。


「玲奈お姉ちゃん、次は飛ばしてね!」


玲奈は静かに答えた。


「次は必ず」


亮介はその声の真剣さに、少しだけ笑った。


閉店後。


雨はまだ降っていた。


店内には、しっとりとしたジャズが流れている。奈央は帰り、客席には玲奈と亮介だけが残った。


亮介が椅子を上げ終えて厨房を覗くと、玲奈はまだ紙飛行機を折っていた。


折り紙。


メモ。


定規。


ペン。


なぜか料理用のはかりまで置いてある。


「玲奈さん」


「はい」


「何してるんですか」


「研究です」


「紙飛行機の?」


「はい」


玲奈は真剣だった。


一号機から八号機まで番号が振られている。


メモには、


「翼角度、やや広め」


「先端重量、過多」


「投射角、要検討」


などと書かれていた。


亮介は吹き出した。


「本気すぎる」


玲奈は少しだけ頬を膨らませる。


「笑わないでください」


「ごめん。でも可愛い」


玲奈の手が止まる。


「何がですか」


「たかが紙飛行機にそこまで本気になるところ」


「たかが、ではありません」


「そういうところ」


亮介はカウンターに肘をつき、彼女を見る。


普段の玲奈は涼しい顔をしている。


元警部補で、何でも落ち着いていて、感情を乱さない。


けれど時々、こうして熱くなる。


負けず嫌いで、研究熱心で、子どもみたいに悔しがる。


その一面を見るたび、亮介は少し胸が鳴る。


「玲奈さんって」


「はい」


「冷たい氷みたいに見えて、中はけっこう熱いよね」


玲奈は少し困った顔をする。


「褒めていますか」


「かなり」


「分かりにくいです」


「じゃあ言い直す」


亮介は少し照れたように笑う。


「そういう玲奈さん、好きです」


雨音だけが少し大きく聞こえた。


玲奈は目を逸らし、紙飛行機の翼を整える。


「……口が上手いですね」


「元詐欺師ですから」


「そこは自慢しないでください」


「今のは本当」


玲奈は小さく息を吐いた。


それから、ほんの少し拗ねたように言う。


「それでも、今日は負けました」


「うん」


「悔しいです」


「うん」


「次は勝ちます」


亮介は笑った。


「じゃあ、俺が教える?」


玲奈は顔を上げる。


「勝者の余裕ですか」


「先生の余裕です」


「授業料は?」


「黒糖プリン一個」


「高いです」


「じゃあ、玲奈さんの笑顔一回」


玲奈は黙った。


そして少しだけ、口元を緩めた。


「今ので払いました」


亮介は胸を押さえる。


「安すぎた」


玲奈は初めて声を出して笑った。


その笑顔は、昼間の紙飛行機よりずっとまっすぐ亮介のところへ飛んできた。


「リョウさん」


「はい」


「次の定休日、練習します」


「紙飛行機?」


「はい」


「本気で?」


「本気です」


「俺、勝てるかな」


玲奈は静かに微笑んだ。


「今のうちに勝っておいてください」


「怖いなあ」


「負けません」


雨はまだ窓を濡らしていた。


けれど店内は暖かかった。


カウンターの上には、飛ばなかった紙飛行機が何機も並んでいる。


完璧すぎて飛べなかった玲奈の飛行機。


少し雑だけれど遠くまで飛んだ亮介の飛行機。


二つはまるで、二人そのものだった。


「しおかぜ」の夜は更けていく。


紙飛行機はまだ遠くへ飛ばない。


けれど、玲奈の少し悔しそうな横顔と、亮介のいたずらっぽい笑顔だけは、雨の日の店内をどこまでも明るくしていた。

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