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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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恋のライバルは二十歳 ――四国八位の快速ウェイター、今日は接客しすぎました

昼下がりの「しおかぜ」は、海風まで少し眠たそうだった。


ランチの波が引き、店内には黒糖プリンを食べる常連のおばあが二人、窓際で本を読む移住者が一人。玲奈はカウンターの奥で珈琲豆を量り、亮介はテーブルを拭きながら、いつものように余計な鼻歌を歌っていた。


そこへ、ドアベルが明るく鳴った。


カラン。


入ってきたのは、本土から来た女子大生四人組だった。


日焼け止めの匂い。

明るいワンピース。

スマホ。

ガイドブック。

そして、若い旅行者特有の、何を見ても少し楽しくなるような空気。


「ここだ!」


「陽気なウェイターと、美人店主のお店!」


「本当にいる!」


四人は一斉に玲奈と亮介を見た。


「わ、本当に美人!」


「店主さん、モデルさんみたい!」


「ウェイターさんも爽やか!」


亮介の背筋が、目に見えて伸びた。


「いらっしゃいませ。四名様ですね」


声がいつもより半音明るい。


玲奈はすぐに気づいた。


調子に乗る前兆だった。


女子大生たちは黒糖プリンと島野菜サンドを注文し、店内をきょろきょろ眺めながら盛り上がっている。


「リョウさんっていうんですか?」


「はい。リョウちゃんでも可です」


「可愛い!」


「体格いいですね。スポーツやってました?」


その瞬間、亮介の中で何かのスイッチが入った。


「分かります?」


玲奈はカウンターの奥で、静かに目を閉じた。


終わった。


亮介は語り始めた。


中学時代は陸上部。

種目は中距離。

千五百メートル走で四国総体八位。

高校ではラグビー部に入り、その脚力を活かして快速フランカーとして活躍。

県大会決勝まで進み、あと一歩で花園を逃した。


「最後の試合、残り五分でね」


「えー!」


「すごーい!」


「リョウさん、カッコいい!」


「絶対モテましたよね!」


亮介は照れたような顔を作った。


「いやぁ、昔は少しだけ」


玲奈はカウンターの下で伝票を揃えながら、無表情だった。


少しだけ、ではない。

この男は、昔も今も女に妙に好かれる。


元ラガーマンらしい長身でがっしりした体格。

日に焼けた肌。

年齢より若く見える爽やかな顔。

そして、相手の懐へするりと入る話し方。


面白くない。


もちろん玲奈は女優のように美しい。

常連からも観光客からも褒められる。

だが、目の前の女子大生たちの若さは、玲奈にはない種類の眩しさだった。


屈託がなく、よく笑い、失敗してもそれすら可愛らしい。


玲奈は自分の年齢を気にする女ではない。


けれど、その日だけは少しだけ思った。


若いというのは、強いですね。


そんな玲奈の気配にも気づかず、亮介はさらに調子に乗った。


「玲奈さんも昔すごかったんですよ」


玲奈の手が止まる。


「亮介さん」


「元警察官でね」


「亮介さん」


「しかも県警のポスターに」


「亮介さん」


女子大生たちは目を輝かせる。


「え、すごい!」


「だからこんなに綺麗なんだ!」


「カッコいい!」


亮介は止まらない。


「最初は氷みたいな顔しててね」


「亮介さん」


「今でも怒ると怖いけど」


「亮介さん」


「朝なんか俺、珈琲淹れながら説教されるし」


「……」


玲奈は無言で厨房へ入った。


その動きは静かだったが、かなり速かった。


厨房の奥から、包丁がまな板を叩く音が聞こえる。


いつもより少しだけリズムが強い。


常連のおばあが黒糖プリンを食べながら笑った。


「リョウちゃん、やりすぎさぁ」


亮介はようやく気づいた。


「あれ?」


奈央もちょうど店に入ってきて、状況を見ただけで理解した。


「リョウさん、終わりましたね」


「終わった?」


「完全に厨房へ避難されてます」


「怒ってるかな」


「怒ってるというより、拗ねてます」


亮介は目を丸くした。


玲奈が拗ねる。


それは珍しい。


女子大生たちは、最後まで楽しそうだった。


「黒糖プリン最高でした!」


「リョウさん、また来ます!」


「店主さん、ほんと綺麗でした!」


「リョウさんもカッコよかったです!」


亮介は笑顔で手を振った。


玲奈は厨房から出てこなかった。


閉店後。


店内には、妙に静かな空気が残っていた。


亮介は椅子を上げ、玲奈は食器を洗っている。


亮介が恐る恐る言った。


「玲奈さん」


「はい」


声は普通だった。


普通すぎて怖かった。


「怒ってます?」


「怒っていません」


「その言い方は怒ってます」


玲奈は手を止めずに言った。


「四国八位の快速の持ち主だったんですね」


「はい」


「花園まであと一歩だったんですね」


「はい」


「若い女性には、そういう話をするんですね」


亮介は黙った。


「私は今日、初めて聞きました」


「すみません」


「それから」


「はい」


「私の話も、余計でした」


「すみません」


「朝の説教の話も不要です」


「すみません」


玲奈は食器を拭きながら、少しだけ横を向いた。


「皆さん、可愛らしかったですね」


「え?」


「若くて、明るくて、よく笑って」


亮介はようやく気づいた。


これは怒っているだけではない。


玲奈が、珍しく嫉妬している。


「玲奈さん」


「何ですか」


「もしかして、ヤキモチですか」


玲奈は即答した。


「違います」


一秒。


二秒。


三秒。


「……少しだけです」


亮介は笑いそうになったが、必死でこらえた。


こらえないと危険だった。


「嬉しいです」


「調子に乗らないでください」


「はい」


「若い女性に褒められて、かなり嬉しそうでした」


「接客です」


「四国総体八位は接客ですか」


「昔話です」


「玲奈さんは怖かった、も接客ですか」


「失言です」


「そうですね」


亮介は椅子を置き、少し真面目な顔をした。


「でも、俺が見てたのは玲奈さんですよ」


玲奈は動きを止める。


「嘘です」


「本当です」


「女子大生の皆さんに囲まれて、非常に楽しそうでした」


「楽しかったです」


玲奈の視線が冷たくなる。


亮介は慌てて続けた。


「でも、嬉しかったのは玲奈さんが厨房で拗ねてたことです」


「拗ねていません」


「拗ねてました」


「違います」


「包丁の音、いつもより強かった」


玲奈は少し赤くなった。


「気のせいです」


「可愛かったです」


「……亮介さん」


「はい」


「今日は口が過ぎます」


亮介は少し笑った。


「じゃあ、黙ります」


「三分だけなら話してもいいです」


「短い」


「四国八位なので、四分にします」


亮介は吹き出した。


玲奈も、つられて少しだけ笑った。


その笑顔は昼間の女子大生たちとは違う。

若さの眩しさではない。

静かで、少し照れくさくて、長い時間をかけてようやく見せるようになった笑顔だった。


亮介にとっては、それが一番だった。


「玲奈さん」


「はい」


「今度、ちゃんと話します」


「何をですか」


「中学の陸上のこと。高校のラグビーのこと。花園に行けなかった試合のこと」


玲奈は少しだけ間を置いて頷いた。


「聞きます」


「パチンコの話より?」


「比べるまでもありません」


「じゃあ、明日からパチンコ禁止?」


「禁止ではありません」


「よかった」


「ただし五分までです」


「また五分」


「延長はありません」


亮介は笑った。


玲奈は二人分の珈琲を淹れた。


一杯を亮介の前に置く。


「四国八位のお祝いです」


「ありがとうございます」


「それと」


「はい」


「次に若い女性のお客様へ私の話を勝手にしたら、黒糖プリンは一週間抜きです」


「重い罰ですね」


「当然です」


二人はカウンターに並んで珈琲を飲んだ。


外では夜の潮風が、看板をそっと揺らしている。


その日の「しおかぜ」には、若い観光客の笑い声と、少し拗ねた玲奈の可愛らしい嫉妬が残っていた。


恋のライバルは二十歳。


けれど、亮介が本当に機嫌を取りたかった相手は、厨房の奥に引っ込んでしまう、少し不器用で、少し意地っ張りな、世界で一番好きな人だった。


そして玲奈もまた、口には出さないが少しだけ思っていた。


若さには勝てないかもしれない。


でも、この人の昔話をこれから聞けるのは、たぶん自分だけだ。


それなら。


少しだけ、勝った気がしなくもない。


「リョウさん」


「はい」


「今度から、その話は私に先にしてください」


「はい」


亮介は嬉しそうに頷いた。


玲奈は何でもない顔をして珈琲を飲んだ。


けれど耳だけは、ほんの少し赤かった。

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