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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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ペーパードライバー奈央と島一周教習 ――玲奈教官、元警部補の本気指導

南ぬ島の夕方は少しだけ時間がゆっくり流れる。


観光客が帰り始める頃。


「しおかぜ」の最後のお客さんが店を出て、玲奈がテーブルを拭いていると、入口のドアベルが鳴った。


現れたのは小川奈央だった。


千葉県松戸市から移住してきた若い保育士。


島暮らし二年目に入ったが、まだ時々「本土へ帰ろうかな」と弱音を吐くことがある。


玲奈はそんな奈央を少し気にかけていた。


本人は認めないが。


「玲奈さん」


「はい」


「お願いがあります」


奈央は深刻そうな顔をした。


玲奈は少し身構える。


仕事か。


人間関係か。


それともまた帰郷の相談か。


しかし。


「運転を教えてください」


だった。


玲奈は少し考えた。


そして静かに言った。


「それは大変ですね」


「私がですか?」


「周囲の車がです」


「そこまで言います?」


実際、奈央の運転は壊滅的だった。


免許は持っている。


だが、教習所時代は補習の常連。


仮免も何度も落ちた。


本免試験もギリギリだった。


島へ来てからも車は最低限しか乗らない。


保育園とスーパーとアパートの往復だけ。


少し遠くへ行くのも不安。


夜道など論外だった。


玲奈は腕を組む。


「分かりました」


奈央の顔が明るくなる。


「本当ですか!」


「やりましょう」


元兵庫県警警部補。


交通課勤務。


違反車両を徹底的に取り締まり、


大型トラック運転手たちから


『二号線の鬼台貫』


と恐れられた女である。


交通法規なら教科書ごと頭に入っている。


そして何より。


玲奈は教えるのが上手だった。


その日の夜。


教習が始まった。


奈央の軽自動車。


助手席に玲奈。


そして。


なぜか後部座席に亮介。


「何してるんですか」


玲奈が聞く。


「見学です」


「帰ってください」


「暇なんですよ」


「釣りでも行けばいいでしょう」


「夜だから」


「知りません」


しかし亮介は動かない。


結局そのまま出発した。


エンジン始動。


発進。


三秒後。


「停めてください」


玲奈が言った。


奈央が青ざめる。


「もうですか!?」


「ミラー」


「あ」


「シート」


「あ」


「シートベルト」


「あ」


後部座席。


亮介が笑いを堪えている。


玲奈がバックミラー越しに睨む。


「うるさいですよ」


「まだ何も言ってません」


「顔がうるさいです」


「理不尽だなぁ」


教習は前途多難だった。


左折で膨らむ。


右折で慌てる。


車線中央を走れない。


駐車は斜め。


バックは祈りながら行う。


玲奈は厳しかった。


だが怒鳴らない。


その代わり理詰めだった。


「なぜ膨らみましたか」


「分かりません」


「考えてください」


「うぅ……」


「運転は暗記ではありません」


「はい」


「予測です」


玲奈は前を見る。


「前の車」


「はい」


「歩行者」


「はい」


「自転車」


「はい」


「全部が次にどう動くか考える」


奈央は真剣に聞く。


「運転はハンドル操作より観察です」


それは元警察官らしい教え方だった。


そして不思議なことに。


奈央には分かりやすかった。


後部座席。


亮介は完全に暇だった。


「奈央ちゃん」


「はい」


「赤信号は止まるんだよ」


「知ってます!」


「すごい」


「子供扱いしないでください!」


玲奈はため息をついた。


「本当に何しに来たんですか」


「応援です」


「不要です」


しかし亮介は毎回来た。


誰より暇だからである。


二週間後。


奈央は少し変わった。


右左折が安定した。


車線も維持できる。


駐車も一発で成功する日が出てきた。


玲奈は表情に出さないが少し嬉しかった。


ある夜。


教習コースは島一周になった。


石垣島をぐるりと回る。


川平湾。


米原。


玉取崎。


平久保崎。


海沿いの道を走る。


夕暮れの空がオレンジ色に染まる。


奈央はハンドルを握りながら言った。


「綺麗ですね」


玲奈も窓の外を見る。


「そうですね」


「私」


少し黙る。


「最初、この島嫌いになりかけました」


玲奈は何も言わない。


奈央は続ける。


「でも」


海を見ながら笑った。


「やっぱり好きです」


玲奈は少しだけ微笑む。


「そうですか」


それだけだった。


でも奈央には分かった。


玲奈も嬉しいのだ。


後部座席。


亮介は寝ていた。


「……寝てますね」


「寝ていますね」


「何しに来たんですか」


「本当に分かりません」


二人は笑った。


それから一か月後。


奈央は一人で川平湾まで運転した。


駐車も成功。


帰りも問題なし。


翌日。


勢いよく「しおかぜ」に飛び込んできた。


「玲奈さん!」


「はい」


「行けました!」


「どこへですか」


「川平湾!」


玲奈は静かに頷いた。


「そうですか」


それだけ。


しかし。


奈央は知っている。


今の玲奈はかなり嬉しい。


亮介が横から口を挟む。


「卒業ですね」


「そうですね」


「先生、寂しい?」


玲奈は即答した。


「別に」


「絶対寂しい」


「違います」


「寂しい顔してる」


「していません」


「してる」


玲奈は無言で亮介の頭を軽く叩いた。


奈央は声を上げて笑う。


島へ来たばかりの頃。


帰ろうと思った。


何度も思った。


でも。


しおかぜがあった。


玲奈がいた。


亮介もいた。


少しうるさいけれど。


少し余計なことばかり言うけれど。


そんな二人のおかげで。


運転も。


島暮らしも。


少しずつ前へ進めるようになった。


帰り道。


奈央の車は夕暮れの海沿いを走る。


もうハンドルを握る手は震えていない。


バックミラーの向こうには、


南ぬ島の優しい夕焼けが広がっていた。

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