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潮風カフェに遅すぎた恋が来る  作者: スパイク
第3章 遅すぎた恋は、黒糖プリンより手がかかる

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賠償金の終わらない計算 ――来世紀まで返済予定です

閉店後の「しおかぜ」は、昼間の賑わいが嘘のように静かだった。


黒糖プリンの皿は洗い終わり、島野菜サンドの仕込みも終わっている。窓の外では、南ぬ島の夜風がハイビスカスの葉を揺らしていた。


亮介が、妙に重々しく言った。


「玲奈さん」


「はい」


「そろそろ、残債を確認しませんか」


玲奈の手が止まった。


「……本気ですか」


「怖いですけど」


「私も怖いです」


二人はしばらく黙った。


亮介には、多額の債務がある。


詐欺事件の被害者へ支払う民事上の賠償金。

二度の離婚に伴う慰謝料。

前妻との間にいる子どもへの養育費。


刑務所を出たら終わり、ではなかった。

むしろ、出てからの方が長い償いの日々だった。


島へ来てから、亮介は真面目に働いている。

玲奈と一緒に家計簿をつけ、毎月決まった額を返済している。贅沢はしない。パチンコも小遣いの範囲。黒糖プリンの売上、島野菜サンドの利益、亮介の給料、少しずつ積み上げている。


けれど、減らない。


驚くほど減らない。


玲奈はノートパソコンを開いた。


「では、計算します」


「お願いします」


「逃げないでください」


「逃げません。ちょっと席を外したいだけです」


「逃げています」


亮介は観念して隣に座った。


玲奈は残債、毎月の返済額、養育費、生活費、物価上昇の見込みまで入力していく。元警部補らしく、数字の管理は妙に細かい。


亮介は横で黒糖コーヒーを飲んでいた。


「怖いですね」


「見なければ減りません」


「見ても減らない気がします」


「それは正しいです」


十数分後。


玲奈の手が止まった。


「どうです?」


玲奈は画面を見つめている。


「……」


「玲奈さん?」


「117歳です」


「はい?」


「今のペースですと、完済時の亮介さんの年齢は117歳です」


沈黙。


亮介は画面を覗き込んだ。


確かに、そこには無慈悲な数字が表示されていた。


117歳。


亮介はゆっくり椅子にもたれた。


「島の長寿記録狙えますね」


「狙うしかありません」


「人類最高齢レベルですよ」


「健康管理を徹底しましょう」


「そこから?」


玲奈は真顔だった。


亮介は少し考え、恐る恐る言った。


「一発逆転しかないですね」


玲奈の目が一瞬で冷たくなる。


「何を考えていますか」


「商品先物とか」


「絶対ダメです」


「FXとか」


「絶対ダメです」


「仮想通貨とか」


「絶対ダメです」


「全部ダメですか」


「全部ダメです」


玲奈はノートパソコンを閉じた。


「楽して儲けようとしてこうなったんでしょ」


亮介は両手を上げた。


「ごもっともです」


「二度とその発想に戻らないでください」


「はい」


「一発逆転は禁止です」


「地道に117歳まで働きます」


玲奈は少し考えた。


「いえ」


「いえ?」


「二人で長生きしましょう」


亮介は顔を上げた。


玲奈は真面目な顔で続ける。


「117歳で完済なら、120歳まで働けば少し余裕があります」


「余裕の作り方が雑ですね」


「前向きです」


亮介は吹き出した。


翌日、この話はなぜか常連たちに広まっていた。


「リョウちゃん、117歳まで返すんだって?」


「島の最高齢狙えるさぁ!」


「黒糖プリン長寿法でいけるさぁ」


「玲奈ちゃんも一緒に長生きしなさいねぇ」


亮介は苦笑した。


「皆さん、笑い事じゃないんですよ」


おばあが黒糖プリンを食べながら言う。


「笑わないと重すぎるさぁ」


おじいも頷く。


「昨日より今日。今日より明日。少しずつ返せばいいさぁ」


玲奈は静かに頷いた。


「良い言葉です」


亮介は少しだけ肩の力が抜けた。


厳しい現実は変わらない。

数字は残酷だ。

罪は消えない。

返済も終わらない。


けれど、南ぬ島の空気は不思議だった。


潮風が吹く。

おばあが笑う。

おじいが茶化す。

地域猫がテラスで寝ている。

誰かが黒糖プリンを食べて「おいしい」と言う。


その中にいると、117歳という絶望的な数字さえ、少しだけ笑える距離に置ける気がした。


閉店後。


玲奈と亮介はテラス席に座っていた。


夜の海は静かで、遠くに漁船の灯りが見えた。


亮介が言う。


「正直、全部返せないかもしれないって思います」


玲奈は海を見たまま答えた。


「返せないかもしれません」


「そこは励ましてください」


「でも、返し続けることはできます」


亮介は黙った。


玲奈は続ける。


「全部終わるかどうかではなく、逃げずに返し続けることに意味があると思います」


「はい」


「だから長生きしましょう」


亮介は少し笑った。


「玲奈さんも一緒に?」


「当然です」


「120歳まで?」


「目標です」


「じゃあ、俺は毎日皿下げですね」


「はい」


「黒糖プリンも運びます」


「はい」


「畑も手伝います」


「苗と雑草を間違えなければ」


「それは一生言われるやつですね」


玲奈は少しだけ笑った。


風鈴が鳴る。


ちりん。


来世紀まで続きそうな返済計画。

笑えない現実。

終わらない贖罪。


それでも、明日は来る。


朝になれば、玲奈は黒糖プリンを仕込み、亮介はテーブルを拭く。

常連が来て、観光客が来て、島野菜サンドが売れて、少しだけ返す。


それを繰り返していく。


南国ののんきな空気と潮風は、罪を消してはくれない。

けれど、押しつぶされそうな夜に、ほんの少しだけ息をさせてくれる。


亮介は海を見ながら言った。


「117歳までよろしくお願いします」


玲奈は静かに答えた。


「こちらこそ」


二人は笑った。


「しおかぜ」の灯りは、その夜もやさしく港の方へ漏れていた。


終わらない計算を抱えたまま、二人はまた明日も店を開ける。

来世紀まで続きそうな返済予定を、黒糖プリンと潮風で少しずつ薄めながら。

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