黒糖プリンより悔しい相手 ――島ネコ大集合、玲奈だけなぜか嫌われる
南ぬ島の朝は早い。
海の向こうから太陽が顔を出し始める頃、「しおかぜ」の一日は始まる。
その日も玲奈は店先の掃除をしていた。
テラスのテーブルを拭き、植木鉢に水をやり、風鈴がちゃんと鳴るか確認する。
すると。
「……?」
テラス席の隅に、一匹の茶トラ猫がいた。
細身で耳に少し傷がある。
地域猫だった。
玲奈は特に気にしなかった。
島には猫が多い。
港にもいる。
公園にもいる。
昼寝している猫を避けて歩くことも珍しくない。
「お客さんの邪魔をしなければ問題ありません」
そう呟いて店内へ戻った。
翌日。
またいた。
茶トラは同じ席で丸くなっている。
さらに翌日。
今度は黒猫も増えていた。
一週間後。
三毛猫。
サバトラ。
白黒。
いつの間にか五匹になっていた。
「玲奈さん」
亮介が言う。
「猫カフェ始めたんですか?」
「始めていません」
「増えてますよ」
「見れば分かります」
玲奈は猫が嫌いではない。
好きかと言われると少し困るが、苦手というわけでもない。
だから最低限の世話はした。
水を置く。
日陰になる場所を作る。
観光客が無理に触ろうとしたら注意する。
だが。
猫たちは玲奈に全く懐かなかった。
ある日の朝。
玲奈はしゃがみ込む。
「おはようございます」
茶トラを見る。
茶トラも見る。
数秒。
そして。
逃げる。
「……」
別の日。
三毛猫に近付く。
「どうしました」
三毛猫。
「シャーッ!」
玲奈。
固まる。
たまたま見ていたおばあが大笑いする。
「玲奈ちゃん嫌われたさぁ!」
「嫌われてはいません」
「威嚇されたさぁ!」
「警戒されているだけです」
その日の夕方。
亮介が出勤する。
すると。
猫たちが一斉に動いた。
「にゃー」
「おはようございます」
「にゃー」
「今日も暑いですね」
「にゃー」
「ご飯はありませんよ」
足元に集まる。
膝に乗る。
腹を見せる。
ゴロゴロ鳴く。
一匹は肩にまで登る。
玲奈は無言だった。
かなり無言だった。
しかし明らかに見ている。
「……なぜですか」
亮介も分からない。
「いや、初日からこんな感じでした」
「意味が分かりません」
それから状況は悪化する。
猫は増える。
だが全員亮介派だった。
朝。
亮介出勤。
猫集合。
昼。
亮介休憩。
猫集合。
夕方。
亮介閉店作業。
猫集合。
完全に猫の集会所だった。
若い移住者の奈央が笑う。
「リョウさん、猫に好かれますね」
「人にも猫にも優しいですから」
亮介は得意げになる。
「へぇ」
玲奈が言う。
短い。
怖い。
亮介は危険を察知した。
その日の夜。
常連のおじいたちも話題にしていた。
「リョウちゃん猫使いさぁ」
「才能ですね」
「玲奈ちゃん完全敗北さぁ」
「敗北ではありません」
玲奈は否定する。
しかし誰も聞いていない。
翌日。
玲奈は一人で再挑戦した。
テラス席。
誰もいない。
猫だけいる。
玲奈はしゃがむ。
「こんにちは」
無視。
「今日は天気が良いですね」
無視。
「黒糖プリンはありません」
無視。
その時だった。
亮介登場。
「おー」
猫。
集合。
玲奈。
無言。
亮介。
少しドヤ顔。
「玲奈さん」
「なんですか」
「猫にも人を見る目があるんですね」
玲奈がゆっくり振り向く。
「その発言、覚えておきます」
亮介は慌てて謝った。
しかし原因は分からない。
おばあが言う。
「玲奈ちゃん緊張してるさぁ」
「してません」
「してるさぁ」
若い移住者が言う。
「元警察官だからじゃないですか?」
「関係あります?」
「猫は察するんですよ」
おじいも頷く。
「玲奈ちゃん職質しそうさぁ」
店内爆笑。
玲奈だけ笑っていなかった。
そんなある日。
一匹の子猫が迷い込んできた。
まだ小さい。
少し痩せている。
玲奈が近付く。
逃げる。
亮介がしゃがむ。
寄ってくる。
抱っこ成功。
玲奈。
本日三回目の。
「なぜですか」
亮介は考える。
「俺、人たらしなんですかね」
「今さらですか」
玲奈は少しだけ不満そうだった。
そして夕方。
閉店後。
猫たちはテラス席で寝ている。
海風が吹く。
風鈴が鳴る。
玲奈は珈琲を飲んでいた。
「納得いきません」
「何がですか」
「私も世話しています」
「してますね」
「水も置いています」
「置いてますね」
「なのに懐きません」
亮介は笑う。
「嫉妬ですか?」
玲奈は即答した。
「違います」
数秒後。
「少しだけです」
亮介は吹き出した。
「認めましたね」
玲奈は顔を背ける。
その時だった。
いつも警戒していた三毛猫が近付いてくる。
玲奈の足元で止まる。
座る。
何もしない。
玲奈も何もしない。
静かな時間が流れる。
やがて三毛猫は立ち上がり、
そっと玲奈の膝に前足を乗せた。
亮介が驚く。
「おお」
玲奈も少し目を丸くする。
そして。
ほんの少しだけ笑った。
「時間がかかるだけかもしれません」
亮介は頷く。
「人間関係みたいですね」
「猫です」
「でも似てます」
玲奈は否定しなかった。
南ぬ島の夕暮れ。
黒糖プリンの店。
女優のように美しいクールな店主。
陽気で猫に好かれすぎるウェイター。
そして、いつの間にか増えた地域猫たち。
後日。
常連のおじいが言った。
「しおかぜは何の店か分からんな」
「黒糖プリンの店です」
玲奈が答える。
おばあが笑う。
「違うさぁ」
「猫たちの集会所さぁ」
店内が笑いに包まれる。
玲奈は否定しようとする。
だがその瞬間。
例の三毛猫が当たり前のように膝へ飛び乗ってきた。
誰よりも驚いたのは玲奈だった。
そして誰よりも嬉しそうだったのも、たぶん玲奈だった。




